それは油断だった


「さーてさて真信、こいつらどう見る?」


 壁にもたれかかって気絶している長身の男を取り囲むと、深月が真信へそんな質問を投げかけた。


「こいつらの組織って、どれだけの規模なの?」


「すーっごくでっかいらしいけど、詳細が掴めてないからなんともねー」


 前提条件を確認した真信は男へさらに近づき、脇に屈んで男のげているマシンガンを指先で撫でた。


(うーん。僕こっちは専門外だしなぁ)


 自動拳銃ならまだしもマシンガンの種類にまでは詳しくない。だが、同じ型のものが金持ちの寝室に飾ってあったのを何度か見たことがあるので、粗悪な量産品ではなかろうと目星をつけた。


「そうだね……。質の良い銃器がこんな末端にまで行き渡ってる。相当組織力と資金力に秀でた連中だと思うよ」


 映画やアニメを見ていると感覚が狂うが、日本でまとまった量の銃火器を揃えるならそれなりの金がかかる。実弾を相当数支給するならなおさらだ。


 憶測でものを言うのは苦手なのだが、少なくともそこに間違いはないだろうと真信は推測した。


 深月は真信の予想以上の反応を見せた。感心するように倒れた男を眺めている。


「すごいね真信、そんなことわかるの? 私はこういう銃火器とかさっぱりでさー」


 言われて真信の心臓が跳ねた。問われて何の感慨もなく答えてしまったが、普通の日本育ちの少年は装備から人間実状を分析することなどできない。


 しまったと思った。しかし撤回すれば余計に話がこじれそうだ。なので適当に誤魔化すことにした。


「えっ、あ~うん。男は銃とか刀とかビームサーベル大好きだからね! こんなの男子高校生の基本だよ!」


「なるほどねー、そういうものなんだ」


 我ながら苦しい言い訳を深月はあっさりと納得してしまう。よくよく思い返せば、この少女はまともに友人がいない。裏の人間とばかり交際しているから一般人の基準がわからないのかもしれなかった。


(助かった……?)


 なぜかそんな考えが浮かぶ。真信の家のことを深月がどれほど把握しているかは分からないが、平賀に持ち込まれる仕事は非合法なものばかりだ。進んで他人に教えるようなものでもない。


 とはいえ深月は一般市民ではない。どちらかと言えば平賀家と性質は近い。真信の事情が知れたところで困ることはないはずだ。


 ならばどうして、真信はこれほどの危機感を覚えたのか。

 真信自身よく理解していなかった。それは大切な心の動きであるはずなのに。


 自分の心に鈍感でなければ彼は今までの人生を生きてこれなかったから。己に染み付いた習性を意識できるほど、少年は変われていなかった。


 心の柔らかい部分に芽生えたそれから真信は進んで目をそらし、気づかないよう蓋をする。


 深月は微妙な表情をしている真信の様子をいぶかしみながらも、特に指摘しないまま欠伸あくびを噛み殺した。


「こいつらねー、もとは十戒衆じっかいしゅうっていうすごい呪術者たちが作った大きな呪術結社だったの。それがここ数年は近代技術に手を出し初めて、それから大本の行方がわからなくなってる。だーいぶ深くまで潜っちゃってて尻尾も出さない。現れるのはこういう末端ばっかり。いい加減根っこから刈り取りたいんだけど────あ、逃げた」


 言葉の途中で何かに気づいた深月が動きを止めた。その視線の先では、倒れていたはずの男が今まさに扉の向こうに消えるところだった。


 真信が目を離した隙に長身の男が逃げ出したのだ。


「逃げた、じゃなくてっ! 追いかけないの!?」


「走って逃げる奴を追いかけるような体力が私にあると思うの?」


「ないだろうね! 僕が代わりに追いかける? でもどうせ待ち伏せされてるだろうし」


「うん。むしろ好都合だよー。ここは最上階、そんで下にはいっぱいお仲間がいるはずでしょ? そいつらが消えていく絶望を味わわせれば口も軽くなるんじゃないかなー」


 少女は可愛らしい笑みを浮かべながら、えげつないことを言う。


「まぁあの男じゃなくても、できるだけ階級が上の人を捕まえて情報聞き出さないとねー。よーし私たちも行こうか」


「わかったよ深月。行こう」


 真信もこういう彼女の二面性に苦笑できる程度には、深月のノリを把握しつつあった。





 階段を下りて三階の様子を窺う。ここもフロアは一つだけで、後は壁に区切られた階段と近くにトイレや給湯室があるだけだ。三、四十人程の人間がフロアで不安そうにうろついたり怒鳴りあったりしていた。


 二階をちらりと確認するが、そこに人はいない。二階にいた人間は全員三階に集まっているようだ。大きな音を聞き付けて三階まで人員が押し寄せたが、それ以上の指示がないためどうすればいいのかわからず右往左往している……というのが、聴こえてくる怒声を総合してわかった経緯だった。


「うーん。待ち伏せですらなかったというわけかー。やっばい。思ってたより下っ端しかいないみたい。さっきのひょろ長さんのがたぶん偉い」


 その通りだった。まるでただの寄せ集めだ。訓練されている気配が微塵みじんも感じられない烏合の衆だ。


 偽真信を監視していた男たちが腰につけていた竹筒のようなものを目前の彼らはつけていない。全員が所持しているわけではないらしい。


「だね。持ってる武器も安物の拳銃だけだ。でも指示を出してた人がいるはずだよね? その人はどこにいったんだろ」


「少なくともここにはいないみたいだねー。正面から外に逃げればおじさんが捕まえてるはずだし……。どこかに隠れてる? それか他に逃走経路があったかな……」


 いつもは眠たげな瞳を鋭く光らせ、深月は背後に狗神を浮かび上がらせる。階段には窓も蛍光灯もない。薄暗闇に同化するように狗神が体を端から溶けさせる。


「とりあえずこいつら片付けて、さっきの男の人に話聞いてみようかなー。真信はここにいてね」


 頷きだけを返し、真信は丸出しになった太い柱の影に隠れる。それを見てとって深月は敵の数を数えるように指を揺らし、途中で止めた。


「それにしても数が多い。……はぁ、やりますかねー」


 深月がゆらりと物陰から飛び出る。先行するのはもちろん黒影だ。深月の姿を覆い隠すように狗神が手前にいた人間二人に喰らいついた。


 それを合図に場が動いた。


 状況を把握しきれずたじろぐ者、拳銃を構えようとして手間取る者、逃げようと身をひるがえす者。


 突然現れた煤の固まりみたいな化物に、敵は一様に驚き思考を鈍らせる。


 兵として肉壁にもならない、と真信は感想を漏らしそうになった。


(事前に情報を共有することすらしていない? つまりこいつらは捨て駒同然の鉄砲玉か……。なら尚更どこかに頭がいるはずなんだが)


 混乱する人の群れに目を凝らす。そうしている間にも狗神が舞い、深月は場の中心へと身を踊らせてゆく。


 脇で観察して初めて、狗神が人を食っているわけではないことを真信は確認した。


 あれは口に入れたものを消滅させているのだ。牙に触れた部分は刻まれ肉片へと変わる。一度口に入った物はそこから逃れても少しずつ消えていく。まるで灰か煙にでもなったように、飛び散った内臓の欠片が姿を消した。


 細かい血痕は残るが、大きな血溜まりも蒸発するように収縮していく。後には赤い飛沫が散らされた痕跡だけが残る。


 やはりあれは人智の及ばぬ存在なのだ。真信がいままで生きてきた世界とはまた違う地獄が、そこに形成されつつあった。


 一分もしないうちに人数の四分の一が減った。そうするとさすがに反撃がある。手慣れぬ様子で撃ち出された弾は殆どが逸れて無駄にコンクリートを削るのみ。狗神へ向けて撃たれた弾はその身に触れたとたんに消えてしまう。


 連中も深月を見つけて銃口を向けるが、狗神が深月の周りを囲むように広がり弾が少女に当たらない。


 やはり自分の出番はなさそうだと真信はポケットにかけていた指を離した。


(そうなると、なぜ源蔵さんは俺を深月に付き添わせたのかが分からないが……)


 思案を巡らせようとした瞬間、真信の肩に触れるものがあった。咄嗟にそれを掴み投げとばす。


「がはっ」

「ん? こいつは……」


 組敷いたその顔には見覚えがある。先程逃げ出した長身の男だ。どうやらフロアには入らずトイレかどこかに潜伏していたらしい。


 男は悔しそうに顔をしかめてどうにか逃げ出そうともがいている。しかし真信が関節を完全に極めているためそれ以上の抵抗はできないようだ。


「くっそ! カミツキ姫といいお前といい、なんなんだよ! なんでヒョロガキに俺が投げられにゃならんのだ!」


「すみません。ちょっと仕事モード入ってたんで、条件反射で、つい」


 気を張りつめすぎていて暴漢に襲われる演技をする余裕もなかった。せっかく無傷で捕らえたのでこれで当初の目的を果たせる。


「あなたたちの組織は──」


 言いかけて止める。


(これは深月の役割、か)


 人の役目を奪いすぎてもいけないと考え直す。なので代わりに個人的に気になっていたことを訊くことにした。


「そのカミツキ姫ってなんです? 深月のことですよね」


 腕を曲げられうつ伏せに押さえつけられたままの男がキレ気味に反応を返す。


「あぁ!? そんなことも知らねぇのか! いや知らねえか普通。知らねぇよなぁ。いいか!? カミツキ姫っつーのはなぁ、あの女の裏での通り名だ! 狗神使って噛みついて、自分はふんぞり返ってるお姫様ってことだよ!」


「なるほど、通り名か。そういうの新鮮だなぁ」


 真信の居た、身元がバレた時点で首の連結が怪しくなるような業界とはやはり違うのだ。


 樺冴家はむしろ存在を開けっぴろにして、食いついてきたやつを迎撃している節がある。待ちの姿勢だ。顔と姿が周知されるのが前提の方法だった。


(それだけ餌が魅力的ってことかな。……ああ、そうか。だから深月は友達つくらないのか)


 狙われているのがわかっているのに友人など作れば、人質にされるのは目に見えている。だからこそ今回、真信が狙われたのである。唯一少女と親しげに接していた真信が。


(いままでもそうだったんだろうか。小さい頃からずっと一人で)


 平賀は表向き一般家庭を装っていたし、正体が洩れるような失敗を犯す身内はいなかった。だから真信は学校では普通の子供と同じように過ごすことができた。もちろん友達もいた。


 しかし深月は違う。友達を作ることは許されない。親しくすればその人間が狙われる。一度でも誰かが自分のせいで被害を被ったなら、人と言葉を交わすのも怖くなるはずだ。


 そうして無関心を自分の周りに形作っていく。常彦に声をかけられても目を合わせようとしないのと同じように。全ての人間を有象無象として自分から排除していく。


 両親もおらず、広い屋敷に人間は自分ただ一人。


 もしも、そうやって彼女が生きてきたのだとすれば……。


 想像した背中の寂しさに、思わず真信は目をつむってしまった。だから見えていなかった。


「おーい無視すんなよ、おーい!」


 自分の下で叫ぶ男の口元が、勝利を確信したように吊り上がるのを。


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