突入と思惑


 真信には狗神のような化物の相手はできない。自衛の手段すら思いつかない。そも時速五、六十キロで空を飛べる物体は人間が生身でどうこうするやつじゃない。


 だから一つ確認をとった。敵はみな狗神のようなものを従えているのかと。


 だが予想に反して深月は首を振って否定した。そうして、狗神の頭を穏やかに撫でる。


「んーん。普通の呪術は相手を呪って病気にしたり、不幸にするだけ。その結果相手が死ぬーってことはあるけど、呪術自体に即死性があるわけじゃないから安心して。

 普通は直接身体を消滅させたり殺したりできるはずはないの。うちのわんこが規格外なだけだよー。それだけねー、わんこが宿した呪詛じゅそが強すぎるんだよねぇ」


 優しげなようで憐れみの含まれた笑みが口元に浮かぶ。皮肉めいた表情はすぐに引っ込み、代わりにいつもの覇気のない顔で深月が前方を指差した。


「あっ、もうつくよー」


「……えっいや待ってこれビルに直撃す──止めて止めてやめぶつかるぅぅううぉおおおっ!?」


 少年少女を乗せた狗神はそのままビルの窓ガラスと周りの壁をぶち壊し粉砕し、最上階へと侵入を成功させた。


 窓際にいた男を瓦礫と共に爆風で吹き飛ばしつつ、深月と真信はコンクリートむき出しの床に着地する。


 フロアの広さはこの小規模なビルとほぼ同じ。扉の向こうは階段があるだけだろう。室内にいた人間は三人。一人は椅子に縛られた少年──あれが人形ひとがたであろう──で、残りの二人は三、四十代くらいの、マシンガンを携えた男性だ。


 背の高い男は反対側の壁まで吹き飛び、似合わないキャスケット帽をかぶった男は少年の横に立ち尽くしている。


(網とか煙とかの罠は……なさそうかな。外から見えた感じだと下の階にはまだ人員が居そうだけど、大きな音がして八秒も経ってるのに誰も駆けつけてくる様子がない……)


 身を低くして周囲をうかがいながら、真信は未だ強く響く心音を無視して状況を分析する。そして敵のあまりの杜撰ずさんさを把握して思わずため息をついた。


 キャスケット帽の男はまだ本物の真信に気づいていないらしく、腰の竹筒に触れながら咄嗟に人形ひとがた真信へマシンガンを突きつけている。


「なっ、カミツキ姫ェ!? 下から来るはずじゃっ。と、飛んで来たとでもいうのかァ!?」


 男がおののきながらわめく。粘度の高い発音だ。聴いていて不快になる。その声には聞き覚えがある気がしたが瞬時に思い出せない。


「んー? 見張りは二人かー。そっちうるさいし、一人でいいや」


「はッ?」


 深月が指差すと狗神が即座に男に食らいついた。胴体が消え去り、余った両足はしばらく立ったままだったがそれもすぐに倒れる。


 土台を失った頭部も重力に導かれるまま床に跳ね、ボールのように転がって帽子が外れた。あらわになった頭頂部には脂ぎった憐れな不毛地帯が広がっている。


 その顔と頭は間違いなく、真信達のクラスの担任教師のものだった。


 それを見てとった深月は痛恨のミスだというように自分の額をぺしと叩く。


「うわっ、しまったー。駄目ですよ先生そんな似合わない帽子かぶってたら。せーっかく顔見知りのよしみで最後まで残そうと思ってたのに。誰だか分からなかったじゃないですかー」


「顔見知ってないじゃないかそれ。担任のこと頭部の特徴で覚えてたでしょ」


 そう言う真信も顔だけで彼をすぐさま認識できなかった。それが気まずくて視線をそらす。残った担任の頭と足は、改めて狗神がその牙で肉片へと変えた。


「深月、あの先生って……」


「もちろん泳がせてた間者スパイだよー? 組織の下っ端の下っ端で馬鹿なうえに扱いやすかったから好きにさせてたんだ。

 真信と仲良くしてるのを見せつけて上に報告するように仕向けてたんだけど、まさか白昼堂々誘拐に乗り出すとは……。本当やり方がお粗末そまつ。下っ端すぎて上層部には信用されてなかったみたいだねー。こりゃ今回は引っ張り出せても中級辺りが限度かな」


 真信が樺冴家を訪れるきっかけの一つを作った担任教師は、学校に潜り込んで深月を監視する役目を担っていたのだろう。


 しかし長期の潜入任務を経ても目立った精神的弱点の見えない深月にしびれを切らし、弱点を自ら作ることにした。それが外部から来たために町での樺冴の立場を知らない、転校生の真信だったのだ。


 真信を深月と接触させ、もし仲良くなってくれれば友人という弱点が深月に生まれる。博打ばくち性が高く確実性に欠ける。作戦とすら呼べない粗悪な賭けだ。


 深月と源蔵はそれを逆手に取り、真信を身内に引き込んだ。そして『樺冴家当主の友人』という餌を作って、なかなか全体像の見えない敵組織の人間を引きずり出そうとしたのだろう。


(筋書きとしてはこんな感じだろうな)


 表情に出さず真信は思考を終えた。一方の深月はどことなく申し訳なさそうに眉を八の字にしている。


「利用してごめん、真信」


「そんな変な顔しないでよ。先生のことは意外だったけどさ、僕に実害があったわけでもないし」


 実を言えば、世話係という名目の他に自分が生かされた理由が何かあるのではないかという予感はあったのだ。


 それが平賀の名を利用することでなかったことには、拍子抜け感が否めないが。


「騙くらかされて身ぐるみ剥がされたわけでもないんだ。僕は別に気にしてないよ。深月たちの行動は合理的なものだ。なんだかあまり役に立ててないみたいだし、殺されずに済むための対価と思えばお釣りが出るくらいじゃない?」


 真信は心の底からそう思って言った。あのとき真信は問答無用で殺されても仕方ない立場にいた。それを、役割を与えられたことで生かされた。


 生きているならどうとでもなる。たとえ利用されたのだとしても、命さえ保証されるならそこにこだわりはない。


 むしろ平賀の家にいた頃に比べればよっぽど良心的な作戦に思えた。


(そもそも深月と源蔵さんは一言も僕を『利用しない』なんて言ってないし。なのに騙されたなんて、自分の良いように解釈して怒るなんて、愚の骨頂ってもんだ)


 それが当たり前の感性だと思って、真信は深月に笑顔を向けた。しかし深月はそんな真信の様子を不思議なもののように見つめ返す。


「やっぱり、真信って変わってるよねー」


「そうかな? それに僕のことを守るって言ってくれたでしょ? 事実、拐われそうなったとき助けてくれた。放っておいても結果は同じなのに」


 拐われたのが本物の真信でも人形ひとがたの真信でも、誘拐犯が気づいていないなら扱いに差は出ない。捕まった人間が怪我しようと殺されようと、深月達になにか実害が及ぶわけでもない。


 それをわざわざ助けたのだ。まだ利用価値があると思われているのか、別になにか理由があるのか。


 とにかく助けたということは、まだ殺されることはないということである。


 彼らが口約束をどこまで守る連中なのかわからなかった。だからそのまま様子を見て、知りたいと思ったのは事実だ。


 彼の意図に無意識に気づいているのだろう、深月は視線をうつむかせ眉間にしわを寄せた。


「呪術者は基本、約束は守るよ。約束を反故ほごにしたら呪詛返し受けるよーな業界だから。────だから真信は安心して」


 深月は一瞬浮かんだ真剣な表情を隠すように真信から背を向けて、倒れたまま気絶している男のほうを向いた。


「さーて区切りよく喋ったし、仕事しますかー」


 少女が切り替えるように呟き、にやりと笑う気配がする。


「窓から見えてた下の奴らが動かないってことは、待ち伏せしたいってことなのかなー。えーっと、外はおじさんが網張ってるから逃走の心配なし。

 じゃあ先にそっちの人から絞り上げようかー」



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