見えぬ主張


 意識が浅い浮上と潜水とを繰り返す。半ば睡眠状態にありながら、真信は自分の置かれた状況を確認し始めた。


 ──椅子かなにかに座らされている。両足は大きく開き、両手は後ろに回されていた。足の間に暖かく柔らかい物体が置かれている。害はなさそうだが、なんだろうか? 手首も足首も動かない。恐らく椅子の足と背もたれとに縛られ固定されているのだろう。


 今度は自分の周囲にまで感覚を広げる。

 人の気配はするが音がしない。反響もないから、自分が外にいるのか屋内にいるのかも分からない。

 しかし嫌に静か過ぎる。空を飛ぶ鳥虫の羽音も、草木や波の音もしない。


 ──ならば、閉めきられた屋内か。


 身動みじろぎせずに収集できる情報はそれくらいだった。真信は観念して眠りから意識を浮上させる。


 こんなもの、平賀で訓練を受けたものなら誰にでもできる芸当だ。それは向こうも承知だろう。


 完全な意識の覚醒を待って、まぶたを慎重に押し上げた。


 まず目に飛び込んできたのは、猫だった。三毛猫が真信の太腿ふとももあごをのせ、尻尾を揺らしてくつろいでいる。


 真信が見ていることに気づくと、猫は彼を見上げ一鳴きしてみせた。


「その猫は若について来てしまったのです」


 ふいに前方から声があがる。気配はなかったが今更驚くことでもない。


 猫から目を離し周りを見渡す。真信がいるのは大きなフロアだった。あちこちに細かな乾いた血痕と銃弾の痕がある。


 見覚えがあった。人形ひとがたの真信が捕らわれたあのビルの三階に間違いない。


 階段へ続く出入口は静音しずねが一人、立ち塞いでいる。


「おはようございます真信様。現時刻は夜の十時十八分です。他にご質問は?」


 平賀の実家にいた頃となんら変わりない様子で静音が腕時計を見遣みやって告げる。


 なんだかあの頃に時間がさかのぼったような錯覚すらある。縛られてさえいなければ、だが。


「日付は?」


「若の記憶から変わっていないはずです」


 真信は自分の認識と静音の言葉に差がないことを確認した。意識がなくてもある程度は経過時間を把握できる。提示される情報に誤魔化しがないなら、次だ。


「これ外してくれないかな?」


 言って、手足を動かす。足は予想通り荒縄で固く縛られていた。腕は手錠と荒縄で二重に捕縛されている。関節を外したくらいでは抜けられそうにないほど強固な拘束だった。


 視線に気を付けながらそでに指を這わせるが、縫い目がほどけていた。布と布の間に仕込んでいた針金は回収されてしまったようだ。


 ポケットのナイフはそのままだったが、逆立ちでもしない限り手元に手繰り寄せることはできそうにない。


 冷静に状況を把握していく真信と対照的に、静音はまるで時の停滞したかのような暗い瞳で謝辞を述べた。


「申し訳ありません。我々には真信様を保護する義務があります。もうしばらく大人しくしていただきます」


「身体が痛むんだ」


「申し訳ありません」


 身動ぎしながら催促しても静音はまったく同じ調子で答えるだけだった。これ以上は押し問答になるだけだ。真信はひとまず話題を変えることにした。


「ところで、なんだか凄く身体が軽いんだけど。まさかあの麻酔、栄養剤でも混じってた?」


 尋ねると天井の板が一枚開き、逆さの少女が勢い良く飛び出してきた。


「いエース! それコそお休みプンプンプリン弾の真骨頂ゥデっ!!」


「マッド、引っ込んでいてください」


「ニョぉウぇーい……」


 静音に怒られてしまい、おでこを全開にした少女は凹んで天井に戻っていく。なんだかシュールだ。


 天板はカチリと音を立てて元に戻った。もう繋ぎめすらここからは見えない。真信が気づいていないだけで、他にも隠れ場所があるのかもしれなかった。


「まるで忍者屋敷だね。他にもそうやって隠れてるの?」


「……若を慕って町に潜伏していたメンバーは全員集まっています」


「慕ってって……。マッドがいる時点で信じられないよ」


 マッドとは先ほど飛び出してきた少女であり、真信に頭の痛くなる名前の麻酔を打った張本人のことだ。


 平賀ひらがで与えられた名前を松戸まつどという。本人の希望でマッドという渾名あだなのほうが通りがいい。恐らくは十代後半と思われる。


 平賀で暮らす一人であり化学研究部門の人間だ。才能は人一倍あるが笑い薬や毛根絶薬などおかしな薬品ばかり発明するため、平賀の中でも煙たがられていたりする。


 真信の食事に度々たびたび試作の薬を混ぜ、毒味係を戦々恐々とさせたのも彼女の仕業である。


 馬鹿げた言動ばかり目立つものの頭の良さは折り紙つきだ。そんな彼女が自分を慕っているわけがないと、真信は呆れて苦言を呈した。


 しかし予想外にも、静音は首をかしげ真信の言葉を否定する。


「あれだけなつかれていてお気づきでなかったのですか? 彼女は真信様の信者ですよ。むしろ先駆者ですらあります。いうなれば真信様ファンクラブ会員No.1みたいな人です」


「えぇ。突っ込みどころが多いんだけど……」


 毒気を抜かれてマヌケな返答になってしまう。すると膝に刺さるものがあった。猫の爪だ。鋭く尖った爪が学生服を貫通して真信の肌を引っ掻いていた。


 真信の視線を獲得した三毛猫は悠々と膝から跳び降りて椅子の後ろに回り、伸び上がって真信の手首に顔をこすり付けてくる。


 丁度指先に首輪が当たっている。喉を撫でてほしいのかと手を動かそうとした時、脳裏に浮かぶ言葉があった。


 ────喋れないけど人間並みに頭いいよ。


 深月はそうこの猫を評していた。ならこの空気の中、三毛猫がこれほどをするだろうか?


(まさか)


 じゃれつく猫を後ろ手に撫でるフリをしながら、真信はゆっくりと首輪の内側へ指を差し込んだ。


 果たして、そこには猫の体温で生温くなった鉄の感触があった。


 真信は一瞬うつむいてから意識を切り替え乱雑な口調を整える。


「お前らの目的はなんだ。答えろ」


 真信は静音を睨み付けながら、細かく指を動かした。三毛猫はさらに伸び上がって真信の背中に爪を立てている。


 恐らく猫の腹の肉と毛に隠れて、真信の手元は全方向から死角になっている。


 そして悪意ある機器の壊れるあの屋敷での会話を、門下達は知らないはずだった。


 真信の眼光に射竦いすくめられた静音が身震いを隠して口を開く。


「我々の願いは一つだけです。どうかお戻りください、若。次期当主に相応しいのは貴方様だけです。あのお二方では荷が重い」


 以前にも聞いた主張だった。真信は苛立ちを隠しきれない様を前面に出して反論を重ねた。


「聞いてなかったの? 僕は兄上の援助を受けて家を出たんだ。その僕が、兄上を出し抜いてまで当主になろうとするとでも? 人の話くらい聞けよ」


「それでも確信は変わりません。貴方は当主になるべきだ」


 これこそ押し問答だった。このままでは永遠に話は同じところを廻るだけだ。


 彼女達の停止した思考を動かすにはそれなりの衝撃が必要だった。


「だから、その理由を僕は聞いてるんだよ!」


 手錠が外れる。途中まで削った縄を引きちぎる。針金とやすりを捨て自由になった手でナイフを取り出し、一瞬のうちに足の拘束を切断した。


 真信の行動に驚きながらも静音が咄嗟とっさに出入口を塞ぐ。


「あぁ、やっぱりその耳付いてる意味ないよな」


 その足を払い押し倒した真信は冷たい目をして、全霊のナイフを彼女に振り下ろした。


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