交差する世界編

悪夢が起き上がる


 ふと目覚めると、深月みつきは学校の体育館ほどの広い空間に横たわっていた。


 脳をみじん切りにされているような頭痛に比べて、起き上がると身体はすんなり動く。まるで病院で点滴を受けた後のような軽やかさすらあった。


(あの薬、栄養剤でも混じってたのかなー。……あれ?)


 針を刺された腕を撫でる。すると関節部分には注射後につけられるパッチが二ヶ所に貼られていた。


 思わず首をかしげる。左腕に麻酔を射たれたのは一回だったはずなのだが。


 疑問を抱きつつも、深月は酷く痛む頭を押さえて周囲を見渡した。


 コンクリートでできた箱の内側ような空間だ。深月はその中心にいる。遮蔽物はなく、出入り口すら見当たらない。あるのは深月の周りに等間隔で刺さった四本の木の棒くらいだ。 高い天井から微かな照明が降りている。


 ここがどこなのか見当もつかない。少なくとも記憶の内にこのような場所を訪れた覚えはなかった。


 深月はとりあえずの手がかりになりそうな、自分を囲むように屹立する棒へ目線を向けた。深月を中心に半径五メートル程を空けて、飾り気のない木棒が床に突き立っている。


「これは忌刺いみざしか。となると……」


 言いながら、深月は思考を深める。


 忌刺とは、言うなれば結界と同じだ。突き立った木の内側は清浄な空間となる。祭りの場を示すために清い木を刺すのが一般的で、それ以外に仕切りは設けない。


 深月の周りに立つこの木々が忌刺ならば、それはつまりここで何らかの祭事が行われるということだ。そして深月はその中心にいる。


(こんなことするのは神職か呪術家だけだけど……。とにかく、どっちなのかが問題だよねぇ)


 の聖域か、それともの聖域なのか。


 両方の可能性がある間から此処ここを出るわけにはいかない。もし内を守るための聖域ならば出ることは危険だ。


(目的もわからないけど……)


 この状況を作り出したのが樺冴の隠し持つ宝を狙う者達ならば、生霊かなにかを降ろして深月の身体を乗っ取ろうとするだろう。同様の手口は以前にもあった。


 だが一つ引っかかる。意識を失う前に見た人々。おそらく深月をここに運んだであろう彼らは、真信の名前を出した。それは深月を油断させるための方便だったのか、それとも……。


「痛っ────」


 段々と頭の痛みが増してきて、それ以上考えられない。いっそ頭蓋を割ったほうが楽になれそうな程の頭痛が続いている。また視界が霞んできた。


「────?」


 空間の隅で、なにかが動いた気がして深月は身を乗り出した。痛みを堪えて目を凝らす。すると突如、それは湧き出した。


「なっ────」


 それは人だった。全身の皮膚がただれ肉がこぼれ落ちそうになっている。四肢が潰れて動きが鈍く、眼球が奥に引っ込み頭髪は束で引き抜かれたようにまばらだ。


 まるで地獄から這い上がってきた亡者のような姿の人間達。それが四方から何十とひしめき合って、我先にと深月に迫る。


 身の毛のよだつあまりのおぞましさに、深月は声にならない悲鳴をあげかけた。


 開いた口から代わりに、記憶している知識を早口に呟く。


「し、死体が動き出すことを中国では走屍そうしもしくは走影そうえいと呼び、猫が死体を飛び越えると走屍になるという伝承が日本でも確認されていてっ」


 口のなかが渇き、一瞬言葉に詰まる。迫る恐怖から意識を逸らしたい一心で深月はまた誰ともなく説明を始めた。それでも頭には、考えたくないものが徐々に彼女の意識を侵略していっていた。


「っ──走屍の伝承は日本に少なく、中国由来のものが中心となっている。大陸のもので日本でも有名なものがキョンシーであり、ミイラ化した死体の妖怪と、され────」


 思い付く限り口を動かす。何か喋っていなくては気が狂いそうだった。


 なぜなら、目前に群がる彼らは──


「っキョンシーが官服と官帽を身にまとっているイメージは、官僚経験者の遺体にそれらを着せる慣例があった、ため……で…………ぅあぁっ」


 ────間違いなく、深月が今まで殺してきた人間達だった。


「なん、で……」


 彼等は忌刺からこっちには入れないようで、どんどん境界に積もっていく。誰もが深月に手を伸ばし、怨嗟のうめきを響かせる。


 男女の割合は同じくらいか。その顔一つ一つに深月は殺した人間の面影を見つけてしまう。


 狗神によって手にかけた人々のことなど、いちいち覚えてはいない。覚えていては正常な思考を保っていられるわけがなかったから、意識的に顔を見ないようにしてきた。


 だが、どれだけ目を逸らしてきたつもりでも、深月は彼等の面影を忘れられない。


 真信まさのぶや平賀の門下もんか達が殺人を受容する人間ならば、深月は殺すことをいとわない人間だ。必要だから行うだけ。殺したいわけでも殺人を楽しんでいるわけでもない。真信と違って、仕事と割りきって意識を切り替えることもできない。


 殺す人間の顔が嫌でも目に入ってしまうほどには、深月の精神性はに向いていなかった。


 今まで自分を保っていられたのは、ひとえに死体が残らないからだった。己の犯した行為の結果を直視せずに済んできたからだ。


 だからこそ、深月は己の意志を貫くことができていた。


 しかし今、深月の罪は全方から彼女を取り囲み、怨望によって飲み込まんとしている。


 四方を囲む落ちくぼんだ眼窩がんかは全て深月を捉えていた。


「っ、あぁ、あああああああああ!!」


 頭を抱えて今度こそ叫びをあげた。狗神がぞろりと影から現れる。


 目から涙が溢れて深月はもう前を向くことができない。自分の中で今まで必死に耐えてきた何かが、決壊する音がした。


 狗神が牙をふるう。肉の壁を一部削り取る。しかしまた新たな人間がそこを埋め、また削るのを繰り返す。


 その作業は終らない。顔を上げなくても深月にはわかる。


 彼等は消えない。永遠に自分を責め続ける。






 巨大なスクリーンには、高校生くらいの少女が一人うずくまっている姿が映っていた。


 彼女の周囲には黒い影のようなものが浮かび、素朴な木の棒以外


 部屋の中には、そんな画面の様子を面白おかしく観察する無数の瞳があった。


「いやはや、素晴らしいな化学というものは。我々十戒衆じっかいしゅうがどれだけしゅを送ろうと奇声一つ上げなかった小娘が、これほどに乱れるとは」


「まったくですよ。何の幻覚を見ていることやら。いったいカミツキ姫に何を投与したのですかな?」


 楽しげな老人の声が疑問を投げかける。それに、一分の隙もない真っ白なスーツを着こんだ男が笑みを貼り付けて答えた。


「用意したのは私ではないので何とも言えませんな」


 薄暗い室内には十個の椅子が段違いに並び、いずれもスクリーンを見ていた。埋まっているのは半数ほどで、座るのは老人ばかりだ。


 まるで小さな映画館のようだな、と菅野すがの源蔵げんぞうは部屋の後方に立ちながらあざけりの笑みを浮かべた。


 老人達は男の様子に気づかず、愉快げに会話を続けている。


「あのビルといい、ここといい、設計もさることながら機能性に優れているなぁ」


「いやぁ確かに。あの忌刺いみざしに見立てた柱は、気狂いしたカミツキ姫があそこから逃げださんようにでしょう?」


「ありゃ、小娘が暴れることを前提にした配置だ。木の大きさは視界に映り意識しやすい手頃なもの。何から何まで計算され尽くされとる。素晴らしいですな。今まで科学や算術というものを毛嫌いしておったが、これはいい」


「それもこれも、菅野さんが我々に協力してくれたおかげですな」


 老人達の視線が再び男に注がれる。源蔵は暗闇でどうせ見えないと知りつつも、にこやかな笑みで頭を下げた。


「いえいえ、あなた方の資金提供あってこそですとも。私も樺冴かごのお守りには飽き飽きしておりましたので」


 心底うんざりだという風に言ってみせると、しわがれた声達は口々に同意し始めた。


「でしょうねぇ。樺冴はあの小娘に代替わりしてから積極的に狩りをするようになった。後見人としてはさぞ忙しかったでしょう」


「まったく、おとなしく番犬をしていればよいものを。猟犬の真似事などするから、こうしていらぬあだを受ける」


「あの狂犬っぷりには困ったものだ。おかげで親交のあった組織が二つも消えた。──そうだ、後で暴れられても困る。今のうちに両手両足をもいでしまいましょう」


「ややっ、あれに近づけるのですか?」


「なに、そんなことせずともよい。あれほど一息に狗神を使えばすぐ脱け殻になりますとも。そのための今回の作戦ではないですか」


「そうですとも、そのために餌として末端をあれほど投入したのだから」


「本当ですよ。それに、隠し部屋の鍵を開けるのに指や足が必要だったらどうするのです」


「その時は千切った四肢を持っていけばよいではないですか」


「ははぁ、違いありませんねぇ」


 どっと笑いが起こる。こんな人間達が組織を統べていると知ったら、純粋に国の行く先をうれえて入信した者達はどんな顔をするだろう。興味が湧いたが、源蔵は理性でそれを忘れることに努めた。


「早く他の衆も集まりませんかねぇ」


 誰が発言しているのか区別がつかない声が外を気にする素振りをする。


「すぐに来ますとも。ああ、十戒衆が全員集まるのは何年ぶりかいね」


 しみじみと別の老人が答えたその時、源蔵のポケットが震えた。


「ちょっと失礼」


「おや外出ですかな?」


「なに、皆さんがそろう頃には戻りますとも」


 深々と礼をして重たいドアを開けた。外に出て密閉式の扉がしっかり閉まったのを確認して、源蔵はスマートフォンを取り出す。


 先の振動はメールを受信したことを告げていた。そこに映る文面を素早く確認し、源蔵は電源を落とす。


 そして、誰もいない静かな通路のその向こうを見遣みやって、己の計画の順調さに上機嫌になって呟いた。


「さぁて、深月は囚われの姫だぞ。君はいったいどうするんだい真信君?」


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