第三幕 カミツキ姫の東天紅

プ□口‾グ?


 両隣がなぜか埋まらないアパートの一室だった。

 カーテンはいつも閉めきられ、中の様子を知る者は部屋の住人一人だけ。普段は、本当に人が住んでいるのかと疑いたくなる静けさをたたえているはずだが、今日ばかりはそれも打ち破られてしまった。


 部屋の主である中年の男は、喉の奥で悔しげな唸りを上げて後ずさっていた。


 部屋は騒然としている。テーブルにはすり鉢と何かの干物が乱雑に置かれ、それも狂乱の後のように散らばっている。

 男の視線の先でが一歩前に出て、ちぢれたひじきにも似た文字が墨で描かれた和紙が、テーブルから落ちて床に舞った。ひっくり返ったとっくりから零れる液体は空気を拒絶するように粟立っている。中身は酒ではなかったのだろう。木の焦げる臭いが漂ってくる。


 男が逃げ場を失い尻餅をついた。


 見上げる先には、所狭しと並んだ何かの実験道具たちを蹴たぐり、テーブルから男を見下ろす者がいる。


 ピンクアッシュの髪を上部でお団子にまとめた少女だ。高校生くらいの年頃だろうか。しかし真っ黒に濁った三白眼はこの世の全てを憎んでいるようで、歳に合わない威圧感を放っている。


 少女には左腕がなかった。残った右手でナイフにも似た片刃の山人刀さんじんとうを弄んでいる。


「あーあ、面倒臭いわね。逃げ回ってんじゃないわ。さっさと、大人しく、スパッと死んでちょうだいよ」


 これみよがしに大きなため息をついて少女は男を睥睨へいげいする。引き絞った目じりに浮かぶのは汚物に対する嫌悪感と獲物をいたぶる高揚だ。この男を一瞬たりとも視界に納めたくないのに、その苦しむ様こそが朽ちた精神の栄養だとでも言いたげな、暗く不気味に光る瞳。


 部屋の静寂を打ち破った騒音の正体は彼女──氷向ひむかい綾華りょうかだ。


 男は自分を襲う理不尽の塊へ抗議しようと声を上げた。


「おっ、俺が何をしたとっ。俺は先々代から帝に使える歴とした術者で―———!」


「あーそういうのいいから。あんたが呪術者って時点でもう結末見えてんのよ。特に訊きたいこともないし、うるさいし、さよなら」


「ふざけ―—」


 抵抗しようと手に持った木彫りの棒を掲げるが、もう遅い。


 斬撃に遅れて床へ着地した綾華りょうかの足元に不出来な球体が転がってきた。顔のパーツはただ驚き一つを形作っている。綾華りょうかは落ちた男の頭部を踏みつけにして、背後の部下たちへ指示を出した。


「はい終わり。はい回収、さっさと撤退。こんな辛気臭いとこ長々といてられないわよ」


「はっ」


「あ、ちょっと待って。どこ行った?」


 部下の一人の襟首を掴んで問いかける。小柄な女性は綾華りょうかとの付き合い方を弁えているらしく、情報の足りない問いかけから即座に答えを導き出した。


永吏子えりこ様なら飽きたと述べられて外へ。監視員が一名付き添っております。呼び戻しますか?」


「べつに、ならいいわ。まったく、どうして私があんなのの子守しなくちゃいけないのよ。たしかにここ見つけたのもアイツだけど。やけに目ざといっていうか。……それにしたってあんな自分勝手女やんなるわ」


「…………」


 それ同類では? と思ったが、女性はそれを声に出さない。

 綾華は足元の頭を蹴りつけなおも大声で文句を言い続ける。


「呪術者スパスパ狩れるのはいいけど、あんなサイコパス預けられても困るってのよ。いくらボスの采配でも我慢のしきれない時が来るわ。そのボスも里帰りなさってるし、永吏子えりこのやつ、次ふらふらいなくなったら今度こそお仕置きしてやるんだから」


「…………」


 サイコ同士気が合うのでは? とも思ったが、やはり女性は口に出さず、呪術の道具を回収する作業に戻って行った。


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