出立前の空き時間



 夜もだいぶ深まった午後十時。


 地方にしては大きな都市の寂れた裏通りを、通話しながら歩く高校生くらいの少女がいた。


 ピンクアッシュに染めた髪を上部でお団子にまとめ、動きやすいシャツにぴっちりしたパンツを履いている。


 一見可愛らしい風体だが、真っ黒ににごった三白眼が常に周囲を睥睨へいげいしているため、人を寄せ付けない威圧感がある。

 加えて引き絞られた目尻には、世の全てを妬み怨むような濃厚な憎しみが漂っていた。


『はい。行くのが山の中ですんで、今日から明日にかけては連絡付かないかもなんですよ~。だからこっちがかけるまで、氷向ひむかいさんがたは動かないでください』


 電話口からそんな軽い声が響く。年若い女の声だ。空気中にすっと霧散するのに、なぜか意識に引っ掛かる音。そんな声音が、少女──氷向ひむかい綾華りょうかは嫌いだった。


 しかし定期的に連絡を入れろと指示したのは綾華りょうか自身だ。さすがにそれで怒鳴り散らしたりはしないが、機嫌が悪くなるのは否めない。


「アンタがあそこに潜入して一日経つけど。調子はどう? そいつらの戦力くらい見極めたのかしら?」


 どうせ出来ていないのだろうと嫌味を込めて言うと、白々しい笑い声が返ってきた。


『いや~、あたしは絶好調なんですけどね。疑われてない代わりに、あんまり信用されてもなくって。色々カマはかけてるんですけど、んですよ。自分の目で見極めるしかないです。なので、もう少し時間を頂ければと』


 この通話相手は下手したてに出ているようで実際は全くこちらを敬っていない。綾華りょうかにとっては耳障りですらあるこのキーの高い声が、びるような喋り方も相まってひたすら気を苛立いらだたせる。


 やはりコイツとは気が合わない。そう改めて実感し、少女は鼻で笑った。


 小さな音だったが向こうにも聴こえたのだろう、一瞬会話が途切れる。しかしすぐに、何か思い出したかのような声が上がった。


『あ、そうだ、な~んかあたしの疑われかた変みたいなんですよねぇ。ちゃんと経歴は改竄かいざんされてるんですよね?』


 電話の向こうの女は、失礼にもそんなことをのたまう。綾華はこめかみをひきつらせて荒くなる口調をなんとか留めた。


「私たちの仕事に不備があるとでも? キサマ、雇われのくせに口ばかり回るようね」


『いえいえ、ちゃんとなってるならいいんですよ。勘違いかもですし、そのうち話題になるでしょ。急用ってわけでもないんで。それに下調べの時間も欲しいですし? あそうだ~、一つ分かりましたよ。やっぱり十戒衆を殺したの、カミツキ姫でした』


 もたらされた情報は半ば分かっていたものだった。十戒衆がいかに強力で抜かり無い集団でも、あの悪名高いカミツキ姫なら不可能ではない。冷静に分析すれば簡単に分かることだった。


 とはいえ、呪術者同士の醜い潰し合いは想像するだけで愉快極まりない。つい上機嫌な笑みが口元だけに浮かんでくる。


「あっそう。仲間割れご苦労様だわ」


『いや~別に仲間じゃないですし。さすがにアレと一緒にしたらカミツキ姫も可愛そうですよ~。それを言うなら、樺冴家は悪質な組織を潰し回ってるんですからそれこそ──』


「見逃せとでも言いたいのかしら」


『や、そこまでは。でも利害は一致してるわけですし、ここにはしばらく手を出さないほうが効率良いのでは?』


「馬鹿言わないで。私は、私を汚した呪術者という存在を決して許さない。間接的にせよ手を組むなんて願い下げ。しかもそこには平賀の関係者がいるんでしょ? なおさら駄目よ。ソイツら私の家族のかたきなのよ? つまりは私の暮らしをめちゃくちゃにした張本人」


 金で雇った人間が生意気にも意見してきたので、そう軽くたしなめる。しかし相手は珍しく食い下がってきた。


『平賀の人間っていっても沢山いますし。ここに居るのがあなたのご家族を殺した張本人とは限りませんよ?』


 意味の分からない理屈を並べてくる。この女は何を言っているのか。張本人? それに何の意味があるというのか。


 諸悪は根本から壊滅させるべきだ。一人見逃せば、虫かカビかのように増殖するに違いないのだから。ゆえに氷向ひむかい綾華りょうかが願うはたった一つ。


「関係ないわ。忘れたのならもう一度教えてあげる。私は、家族を手にかけ私の幸福を壊した平賀も、私を凌辱りょうじょくした呪術者も許さない。平賀も呪術者も例外無くすべて悪よ。私は正義としてそいつら全員殺し尽くしてやるの。邪魔するならアンタだって殺す」


 言葉を荒げながら綾華りょうかは電話の向こうの人間を睨んだ。これだけ自分を苛立たせてそれだけで済ませるのは、コイツが計画に必要な駒だからだ。そうで無ければとっくにぶち殺しているというのに。


 綾華りょうかの怒りを電話越しでも感じ取っているはずなのだが、相手の調子は変わらない。


『はいは~い。あたしはアナタの復讐ふくしゅうで、お手伝いですからね。もちろんわきえてます。これは可能性の提案ですし。不可能ならそっちにかじを切るだけ。お仕事しますよ。てゆうか不満なら自分で見に来ればいいんじゃないですか』


 綾華りょうかが何を言ってもコイツの減らず口は無くならないようだ。少女は胸のムカつきをため息と共に吐き出し、頭痛に絞られる眉間を押さえた。


「嫌よ。だってその町、意味わかんない信仰根付いてる時代遅れの田舎でしょ? 見たくないもの見そうだもの」


『住んでみると過ごしやすいですけどね。それでは、また隙をみて連絡します』


「ふん。一応は期待してるあげるわ。わざわざアンタを雇った意味、忘れないでよね木蓮もくれん奈緒なお


『はいはい、ちゃ~んとお仕事しますよ、本日も復讐お疲れ様でぇ~す』


 直後、通話が切れる。文句をつける暇もなかった。綾華の中に解消できない苛立ちが残る。


 舌打ちしてスマホを仕舞った綾華の視界に、忌まわしいは唐突に飛び込んできた。


 道端にぽつんと佇む石の塊。地蔵菩薩ぼさつ、お地蔵さまだ。信心深い誰かがお供えしたのだろう、パックジュースと花が添えられている。


 綾華は足を止め、にこやかに微笑むお地蔵さまを睨み付た。そしておもむろに片足を振り上げる。


 放たれた斬るような蹴りが供えられていた花を散らす。パックジュースの口が破れ中身をコンクリートの上にぶちまけた。


 綾華は花が宙を舞う内に返す刀で足を構えた。今度は突き刺す蹴りが地蔵の頭部に炸裂する。


 硬く磨きあげられた石の砕ける轟音が誰もいない路地を駆け抜ける。


 無惨な石くれと化した地蔵を見下ろし、綾華は唾を吐き捨てた。


「健全な現実主義の社会をむしばむゴミクズがっ」


 綾華はまるでけがらわしい物を見るように、その濁った瞳を細める。


 なぜなら綾華にとっては、呪術も宗教も、民間の信仰さえも、全て憎むべきまどわしに過ぎなかったから。





「あああぁ~……。ほんっと、相変わらずのクソ。キングオブ自己中。何が正義だキモっ。ウザい。絶望的なまでに反りが合わない相容れないっ。助けてお地蔵さま~…………なんて」


 奈緒は通話を切ってから、ひたすら相手への不満を地面にぶつけていた。


 屋敷の前に新たに設置された地蔵に手を合わせて、その丸い頭を撫でる。酔っぱらいが道端の地蔵にくだを巻いているようにも見えた。


 心なしか地蔵の笑顔もひきつっているように見えなくもない。


「…………はぁ。そろそろ時間かなぁ。こっちの仕事も頑張んないとですかね。うん、頑張ろ」


 大きく背伸びして気分を切り替えたのか、奈緒はそのまま屋敷の中に戻って行く。


 元々人通りの少ない道だ。奈緒が居なくなり、屋敷の前は静寂に包まれる。本来ならば奈緒と氷向ひむかい綾華りょうかの会話を知る者はいない。


 しかし今日に限っては、雑木林の中から一部始終を見ている人影があった。


 大きな木の幹に細い身体を隠し、青い顔で口元を覆う一人の女性。


 どちらかというと小柄な体躯。男性を魅了する妖艶で豊満なシルエット。人の警戒を軒並み解いてしまう魅力的な表情は、今は緊張に曇っていた。


 ちょうど菅野すがの源蔵げんぞうとの連絡役として屋敷に立ち寄ったなぎさの姿が、そこにあった。


 近道に林を抜けていた時に屋敷から見知らぬ人物が出てきたので、とっさに隠れたのだ。


(今のって、報告にあった学内の協力者よね。いったい誰と電話を)


 頭の中に静音から受け取っていた資料を思い浮かべる。顔、特徴共に一致している。本人で間違いない。


 だからこそ、渚は出ていくタイミングをいっしていた。


 なぎさの諜報で鍛えた聴覚は、先程の通話における奈緒の言葉を一つも取りこぼすことなく捉えている。


 電話の向こうの音までは拾えない。しかし奈緒の発言を聞くだけでも、彼女が何かの組織と繋がっていることは確かに思えた。


(経歴の改竄かいざん、それに……。どういうこと? 木蓮もくれん奈緒なお、あの子はいったい……?)


 即刻このことを真信に報告すべきだ。渚が意を決して踏み出そうとした刹那、腰の辺りが震えた。スマホに連絡が入ったのだ。


 取り出して画面を見ると、そこに表示されていたのは『菅野すがの源蔵げんぞう』の文字。


 渚の頭に、真信から聞いた眉唾な話が思い出される。


 曰く、菅野源蔵はこの町で起こる全てを監視している、と。


 もしもそれが本当だとして、なぜこのタイミングで連絡が来る? まるで渚の行動を制止しているかのようだ。


 着信音はいまだ鳴り響いている。渚は源蔵の秘書だ。彼に取り入らねばならない以上、無視することはできない。


 未だかつて無い悪寒を感じる。渚は込み上げる嫌な予感と共に、震える指で通話ボタンを押した。



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