強襲前
男は山道を登る。
その先にある、仲間の待つあの場所に帰るために。歩きで一日はかかる距離なのに、不思議と男の頭に車を使うという発想が浮かばない。
──逃げなくては。
強迫観念に近い、追いたてられるような恐怖。足を止めれば追い付かれる。その前に仲間の元へ帰らねば。
……その思考が外から植え付けられたモノであることを、男は忘れている。
以前にこの道を通った時は二人だった気もするのだが、帰り道はなぜか一人だ。その理由もその意味も、男は考えようとしない。ただ足を動かす。それだけしか頭になかった。
しかしなぜだろう。どうしても、あの場所に辿り着ける気がしない。自分を追いかける何かがすぐ後ろに迫っている気がしてならないのだ。
──音はないのに、いるのが分かる。
月明かりが男のものではない影を地面に浮かび上がらせる。
──ほら、死神が追い付いた。
振り返る間もなく背後から手が伸びてきて視界が覆われる。首筋に深く突き立った冷たい金属が真横に引かれるのを感じながら、男はひび割れた笑いを上げた。
──これは罰だ。いくつもの酷い実験に手を貸し命を
最期に指の隙間から垣間見た月は、吹き出した男の血で怖いくらいに
侵入目標の裏口から西におよそ三百メートル。建物からは視認できない山林の木陰に四人の人間が待機していた。男女比は半々で、いずれも暗い色調の服を着ている。
時計を確認する高校生くらいの少年。そんな彼に付き従うように脇に控える長身で目付きが鋭い女性。髪をワックスで尖らせた青年の横には男性の死体が横たわっていた。
おかっぱの女性は無表情のまま、手入れした拳銃の銃口で青年の頭を小突いている。
おかっぱの女性以外の面々も、手に持っていないだけで、それぞれ人を殺すための道具を隠し持っているはずである。
視線の置き方も、顔に浮かべる表情も、皆違う。しかしこれから行う荒行の気配など
場馴れ。
つまりはそういうことである。
四人の中で最も年若い少年──
「今回の任務は
情報を外に転送する時間を与えないよう二手に別れ同時に侵入、攻略する。研究成果の現物が保存されている可能性がある建物には深月と奈緒が向かっているから、俺達はこっちのメイン研究室だ」
真信の言葉に合わせ
記憶に
「警備は七割が電子頼り。残りは呪術組織から派遣されたと推測される警備員。こっちは身構えられる前に殺ってしまえば害はないはずだ。防衛システムのほうは待機班が抑えるけど、おそらく数分で抵抗が入る。いちいち防壁を吹き飛ばしてる時間はない。そうなる前にメインルームを目指し占領する」
竜登もこの一月で学んだ。呪術──呪いや憑き物による攻撃は後手に回ると対処が難しい分、即効性が無い。狗神のような存在は例外なのだ。しかも呪術者本人には戦闘力が無いことが多い。
これは深月にも共通することだが、つまりは気付かれる前に殺してしまえば
「それと朗報だ。源蔵さんから許可が出た。この施設、国の機関のほうでも前から怪しいって監査候補になっていたらしい。今回の報告でブラックリスト入りだそうだ。……つまり、施設内にいる人間は誰であろうと関係者として処分して構わない。その後の調査は源蔵さんが引き受けてくれる。せいぜい派手にやれ」
無慈悲な宣告に竜登の背筋が
普段の優しげな雰囲気は欠片もない。竜登はこの顔に切り替えた真信が一番好きだった。
有能で信頼できる上司へ己の全てを預ける高揚感に背筋がゾクッとする。
自分のこの感情が真信の負担になっているなど、竜登は夢にも思わない。
「加えてマッドからお願いが来ている。余裕があれば、今回の研究データを持ち帰ってくれ、だそうだ。それと、データの中身を決して覗かないようにとも」
不思議な指令に竜登は首を傾げる。真信の言葉を黙して聴いていた静音も、微かに眉をひそめた。
他者の研究成果を流用するのは分かる。しかし身内にすら見てはいけないと願い出るのは珍しい。中身を見ないと、それが本当に該当する研究のデータなのか判別できないからだ。
もしかすると今回マッドが欲しているのは、身内にだからこそ見せたくない物なのかも知れない。
そんなもの、竜登には一つしか思い浮かばなかった。
「それって言うなればDNA研究の成果でしょう? もしかしてマッド、カミツキの姫さん増やして『
「無くはない。無くはないけど、今回はマッドを信じよう。きっと何か考えがあるはずだから」
少年は口角を引きつらせ、一瞬想像したであろう映像を切った。確認事項は終了だ。後は時間を待つだけである。
真信は部下に背を向け施設の裏口を目視しながら、右手を軽く掲げた。
「では、各自突入に備えて待機」
「「了解」」
同時刻、正面の建物に向かった真信達とはほぼ逆方向を深月と奈緒は進んでいた。
車を降り、少年達と別れて歩き始めて九分ほどが経過している。
先行する奈緒の後ろで深月はついに肩で息を始めた。
「山道、歩くの疲れた……」
監視を警戒して目立つ道路を避け森林の中を歩いているので、もちろん舗装などされていない。
時に行く手を塞ぐ枝を切り開き、時に
しかし施設の警備に気づかれないよう車が停車したのは、施設から五百メートル程度離れた場所だ。それほど歩いていない。
転けそうになった深月の腕を奈緒はすかさず掴んで引き起こす。
「疲れたって。まだ半分しか来てませんけど」
「あれだよねー……。もと半引きこもりを
「日頃から運動しましょうよ」
「いやー…………これでも……ましになったほう……なんだよー……」
深月の目が本格的に死んできたので、奈緒は仕方なく彼女に肩を貸して歩いた。なぜこんなにも体力がないのか。深月の事情を知らない奈緒にとっては不思議でならない。
深月を引きずるようにしてさらに森を掻き分けて行く。やがてなだらかな道に出た。道の先には二階建ての白い建物がある。真信達のいる向かいの建物より二回りほど小さい。
こちらは書類上では、研究に使う
奈緒と深月は低木の陰に隠れて時を待った。
定時になれば待機班が電子ロックを解除し扉を開けてくれる手筈となっている。その後は真信達と同時にそれぞれ建物内に侵入。混乱が収まる前に片づける。
こういったゴリ押しはシンプルで応用が利く分、少人数での作戦には向かない。本来は過戦力保持時の作戦のはずである。真信はそれだけ自分たちと深月の戦闘力を評価しているということか。
(いや、閉鎖された立地で、敵の総数も少ないからこそなのかも。時間をかけて潜入するのは不利っぽいし)
奈緒が自分なりに今回の件を分析していると、暇を持て余したらしい深月が奈緒の袖を引く。
「ねぇ、奈緒ちゃんの家族って、どんな人たちだったの?」
以前に家族の話題を出したせいか、眠たげな瞳でそんなことを訊いてくる。
「う~ん…………。なんていうか、楽しい家族でしたかね」
言いながら奈緒は何度も再生して
「お父さんは仕事で忙しくって、なかなか家には帰れないんです。そのぶん記念日にはみんなで盛大にお祝いしてくれました。お母さんと並んでご馳走を作って、テーブルを囲んであたし達の近況で盛り上がる。お父さんはそれを自分のことみたいに、嬉しそうに聴いてくれるんです。
お母さんはお裁縫が苦手でした。新学期になると雑巾を用意するでしょう? 一枚縫い上げるのに何度も指を刺しちゃって。なのに『こういうのは母の仕事なの!』って頑として譲らないような、頑固で不器用で、でも一生懸命な人です。
お姉ちゃんは頭が良かったから、テストで良い点取る度に褒められてて自慢の姉です。あたしがそれを羨ましがってたら勉強を教えてくれるんですよ。あたしが良い点取ったらハイタッチして喜んでくれる、優しい姉なんです。
賑やかな家でした。喧嘩することもあったけど、次の日には堪えきれずに笑っちゃうような、明日もきっと楽しい日が続くんだって当たり前みたいに思える、そんな家」
喋りながら、胸のなかに
何処にでもありそうな幸福な家庭の話。しかしそれは、もう何処にもない一家の悲劇の話だ。
死んだ者は
深月がじっと耳を傾けてくれるからだろうか、奈緒は言うはずではなかったことまで、つい
「だから家族が死んであたしは初めて、この世がこんなに孤独なんだって知ったんです。…………あ~っそうだ、先輩のご家族はどんな感じなんです?」
言っている内に恥ずかしくなって、奈緒は自分の発言を
矛先を向けられた深月は
「分かんない。物心つく頃にはもう居なかったからねー」
「えっ、ごっごめんなさい」
「ううん。いーよ。最初から居ないと、居る状態が分からないから、寂しくもないよ」
奈緒が下げた頭を撫でながら深月が浮かべた微笑みは、本当に何とも思っていない人間のそれだった。
奈緒の目には、それが異常に映る。
しかし深月にとっては当たり前のことだ。
飲み込むまでもない事実。けれど自分で発した言葉に深月は違和感を覚えて、少し遠くを見つめた。
自分の中の感情は、手を伸ばすごとに姿を変えるようで捕まえるのが難しい。だからこそ感覚を総動員させて原因を探る。
そして理解する。
深月はすでに自分が以前と違う立ち位置にいることに気づいて、付け加えた。
「けど、今は分かるかも。独りって本当は寂しいものなんだよね。私は独りじゃなくなって、やっと寂しいってことを知ったのかなー」
家族を失い、初めて孤独を感じた者。
仲間を得て初めて、己が孤独だったことを知った者。
どちらの孤独がより深いかなど、論点にもならない。比べるべきものではない。
深月は
「私ねー、真信達のこと家族みたいだなって思うの。真信達は私のためにって頑張ってくれるし、私もあの人達のために何かしたいって思う。奈緒ちゃんも
深月は隣で膝を抱えている奈緒へ得意げに告げた。胸を張って笑みを作る。
深月が心の底から言っていると感じ取った奈緒は、冗談で流そうとした口を閉じた。
何と返すのが正しいのか。奈緒がその答えを探すうちに、施設の裏口に付いている赤いランプが回りだす。
「あっ」
裏口は車ごと中に入れる搬入口になっている。本来なら鳴るはずのブザーは静寂を保ち、赤い光だけが森を順繰りに照らす。
しばらく待っていると、閉じていたシャッターが独りでに持ち上がり始めた。
それは仕事の時間の始まりを意味する。意識を切り替えた奈緒が腕時計の針を見ながら深月の肩にそっと触れた。
「時刻ピッタリ。突入ですか?」
深月はそれに頷いて、立ち上がって背伸びをする。
「うん。よーし、命の
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