三者三様の証言・静音


 真信の元に向かうマッドを見送って、奈緒は庭に一人佇んでいた。今年は梅雨でも晴れ間が多い。小さく分厚い雲の所々浮かぶ夜空を見上げて、奈緒は頭の中を整理していた。


(この屋敷、深月先輩は一人でやって行けそうだけど、他がボロボロかなぁ。全員が団結されるとヤバイけど、引きはがせれば勝算ありと見た。人数構成とか戦力とか、いろいろ今日ので分かったし)


 この勢力は深月と真信という二本の柱で成り立っている。二人が相互に手を伸ばして進む道に、他の者が付随ふずいしているイメージだ。


(……にしても平賀の人ってみんなこんなに濃ゆいの? 腹の中が劇物じゃん。調べてた限りそんなイメージなかったんだけど。まぁ、それも真信先輩ありきって感じ?)


 見えやすい弱点。それが本当に真実なのか。もしかすると自分のほうがいい具合に騙されている可能性はないか。そんなことをグルグル考えていると、遠くに誰かの気配を感じた。極限まで抑えられた足音がする。一般人の歩きかたではない。


 恐らく屋敷の人間だ。そう当たりをつけて木々の合間から向こうを覗くと、案の定スーツ姿の静音がいた。手にはデフォルメされたピンク色の象型ジョウロを持っている。


 可愛らしいジョウロは静音の生真面目な表情とは似合ってないなぁと、なんとなく背後を付いて行くと、庭の隅に小さな花壇があった。ならされた土に深緑の芽が几帳面に並んでいる。静音はその芽たちに水をやり始めた。


 奈緒は自然を装って彼女の隣に立って声をかける。


「お花でも咲くんですか?」


 静音は目の端でちらと奈緒を認識し、水をやり続けながら答える。


「……ええ、夏になれば紫色の愛らしい花が咲くでしょう」


「へぇ~なんて花ですか?」


「トリカブトです」


「ど、毒草っ」


 そう言えば昨日もそんなことを言っていた気がする。引いてる奈緒にも動ぜず、静音は淡々と花壇のあちこちを指差す。


「ええ、あの端のクサノオウ……は薬草にもなるのでいいのですが、あっちはよりにもよってドクゼリです。他にもダチュラなど数種類が植わっています。夏にはイヌサフランの球根も植えるそうですよ」


「全部毒じゃないですか」


「そうです。マッドは何がしたいのでしょうね……」


「誰かに使うとか?」


「マッドに限ってそれはないでしょう。マッドは人を殺すものを作りませんから。ああ、ですが成分を抽出して新薬の研究でもするのかもしれません」


 話しているうちに水がなくなった。静音が象のジョウロをひっくり返すが落ちるのは水滴ばかりだ。象のまん丸い大きな瞳と、静音の鋭い目つきはやはりどうにも似合わない。


 水やりを終え、静音はそのまま母屋へ帰ろうとする。聞きたいことのあった奈緒は踵を返そうとした彼女の前に立ちふさがった。


「ちょっとお話いいですかね」


「……ええ、出発の準備が整うまででよろしければ」


 真面目な顔つきで応じた静音に、奈緒は単刀直入に訊いた。


「気づいてますよね? どうせ今日が始めてじゃないんでしょう?」


「……何に、でしょうか」


「真信先輩が吐いてることですよ」


 微かな動揺も見逃さないよう彼女の眼を真っすぐに見つめて告げたが、静音の表情は変わらない。

 やはり静音は知っていたのだ。


「……それをなぜ、私に問うのです」


「だって、たぶんあなたが先輩に一番近しくて、ああいう先輩を理解してるから。静音さんって、いっつも必要以上に真信先輩のこと心配そうに見てますもんね~。あたし得意なんです、人間観察」


 言い逃れはできないぞと笑顔で詰め寄る。手を伸ばせば背中に刃物を突き立てられるほどの距離。しかし静音は全く視線をそらさない。


「知っています。平賀の頃からたまにありましたから。ですがあれは、私が口出ししていいことではありませんので」


「どういうことですか。ああいう人を放っておいたら、くだらないことまで自分のせいにして背負って、いつか潰れるのでは?」


「いいえ、真信様があれほど自らの責任を病的なまでに追及なさるのは、本来は自分を保つためなのです」


 己をさいなむ胸の痛みを隠すように、静音が目を伏せる。長い睫毛まつげの震えには自責と信頼の入り混じったような複雑な感情が見え隠れしていた。


「あたしには、意味わかんないんですけど」


 奈緒が言外に説明を求めると、静音は少し間を置いてから語り始める。


「平賀は仕事を選びません。誰かの代わりに悪を正すこともあれば、どんな罪人よりも罪深い行いをせねばならぬ時もあります。我々が善か悪かは、全て依頼人次第なのです」


 言いながら、静音が目線だけで母屋を示す。正確には縁側だ。奈緒は頷き、連れだって歩き出す。


「……けれど、罪もない幼子を手にかけるのに、何の罪悪感も抱かない人間は、正しく人間とは言えないでしょう。どれほど仕事と割り切っても、積もる罪の意識は消せません。

 まして自分の指示で、自分の守るべき部下達にその罪を背負わせるのは、己の手で他者を害するよりも、真信様には耐えがたい苦痛でした。たとえ相手が善人ではなく悪人であっても、小さな罪の意識は積もり積もって、あの方の心をすり減らしていく」


 冷たい縁側に並んで腰を下ろすと、広い庭が一望できた。元は整頓されていたのだろう。こうして見ると、木々の立つ位置が計算されて植えられていることが分かる。


 しかし枝の手入れを長年放置していたのか、伸びすぎた枝の雑多感が否めなかった。


「罪の意識をやわらげ覆い隠す最もシンプルなものは、罰です。己の間違いを誰にも糾弾されないことが楽ではなく苦であることもある。罪の意識を軽くするためにも、人には罰が必要です。

 罪無き人間を殺す、その大きな罪悪感。それは、平賀によって洗脳と同等の教育を受けた門下とて同じことです。る者は自傷行為に手を染め、或る者は薬に、また別の者は他者に依存する」


 静音が膝に乗せていたジョウロを自分と奈緒との間に置いた。象の鼻は空を突くように伸ばされている。


「真信様は、そんな自滅していく人間に手を差し出すことで己の価値を定義しました。責任を背負い込むことで己への罰とする。あらゆる犠牲を、失敗を、堕落を、自分の目の前に広がる全ての罪を、自分の責任にしてしまった。真信様は自己評価が限りなく低いのです。ですから優しさを振り撒き周囲から必要とされることで、自分の価値を保ってきた」


 少年は罪の意識に消えそうになる人間性に、そうやって手を伸ばした。きっとその方法は間違っていたのだろう。価値の基準を己の外に置いてしまった時点で、もう正しい世界など見えるはずもない。


 それでも、真信が人間らしさを保って生きるためにはそうするより他になかった。


「私が彼に出会った時にはすでにそうでした。けれど、人間が背負える命など多くて二、三個に過ぎません。何十という重荷はやはり背負い続けられるものではないのです。結果、真信様は平賀から出て行ってしまいました」


 出奔は真信の意識で行われた。その事実は奈緒に少なからず衝撃を与える。どうせ回りにそそのかされでもしたのだと思っていたからだ。


 奈緒は密かに真信に対する認識を改めた。あの少年は、変わりたいと願い逃げを選択できる強さを心に秘めている。それが分かっただけで動きやすい。


 奈緒の心中を知るよしもない静音は、空を見上げて続きを語る。心なしかさっきよりも表情に希望が灯っているようだった。


「ですが真信様は深月さんと出会って、無条件の信頼に値する存在を知りました。それは自分の中にも有るありふれた物なのだと、ご自身で気づき始めているはずです。…………もう、大きすぎる荷物を背負う必要はないはずです。なのに真信様は以前と同じように、義務として、我々の全てをお一人で背負おうとしている」


 一瞬口をつぐんでから、また沈痛な面持ちに変わる。


 なぜそこまで分かっていながら静音が静観を貫くのか。奈緒には理解できない。


「重荷そのものをどうにかしようとか思わないんですか」


 どこか責めるような口調になってしまった奈緒の指摘に、静音は悲痛な面持ちで目を瞑り、首を横に振った。


「我々はどこまで行っても仕える者、追従する者でしかありません。主が間違いの道を選ぶというのなら、共に地獄に落ちる。そういう風にできている。これだけは、変えることができません」


 共犯。マッドの言ったその言葉が奈緒の頭に浮かぶ。これはきっと、彼女が言った意味とは根本からして異なるのだろう。

 しかし奈緒にはこの二文字が真信と彼らの関係を簡潔に表しているように思えてならなかった。


 静音がいつの間にか詰め寄り、奈緒の手を取っていた。奈緒の手を包むその手は角質が硬く、女性とは思えないほどゴツゴツしている。


 祈るように合わさる手を見て奈緒はなんとなく、これは努力し続けている人間の手だと、そう感じた。


 静音が限界まで頭を下げて嘆願する。


「ですから、どうか奈緒さん。真信様が間違えていると感じたなら、叱ってあげてはくれませんか? これは樺冴の勢力側の人間としての依頼ではありません。私個人のわがままです。真信様にとって庇護の対象ではない、対等であれる貴女にしか頼めないのです」


 それは静音にとって根拠の無い願いではなかった。


 真信に先に帰れと言われた時、静音は彼が何処どこかで吐いているのだろうと気づいていた。知っていながら何もできなかった。


 けれど奈緒と共に再び現れた真信の顔は、何か一つ踏ん切りがついたような、そんな晴れやかな顔をしていた。


 奈緒が真信の何かを変えたのだ。静音に出来ないことを、奈緒がやった。それはすぐに分かった。


 役割が、立場が違うから。だからこそ届く声がある。


 心のどこかでそれを悔しいと感じながらも、静音は己の私情を殺してあるじの最善を目指す。


 奈緒にしか出来ないことがあるなら、静音はいくらでも彼女に頭を下げよう。土下座だろうと腹切りだろうと、それが真信のためになるなら、やってみせよう。


 静音の覚悟と熱意が伝わったのか、奈緒は顔を背けつつも、静音の手を振り払わない。


「…………あたしは、あたしが嫌なことは嫌って言うだけですよ」


 素っ気ない態度だった。しかし否定はしないでいてくれる。そんな奈緒の優しさに、静音は微笑んだ。


「ええ。貴女の心のままに生きてください。私は奈緒さんを信用していますので。……もうそろそろ時間ですね。それでは、私はこれで失礼します」


 腕時計の針の位置を見て静音は立ち上る。背を向けようとする静音に、奈緒が最後に一つだけ質問を投げかけた。


「あの、静音さんの代償行為って……」


「さあ、口にするのもお恥ずかしいことです。ただ、今はそれが間違いだと気づくことができました。ですから私は」


 左耳に走る傷跡を指でなぞり、静音は笑って告げた。


「真信様を傷つける者は、たとえそれが自分であっても殺すでしょう」





「…………はぁ」


 別の準備があるからと謝して静音は屋敷の奥へと消えて行った。

 眉を寄せた静かな微笑みが、少し寂しそうに見えたのは錯覚だったろうか。


 残された奈緒は象のジョウロを弄びながら、また雲に隠れゆく細い月を眺める。


 どれだけの時間ぼんやりとそうしていただろう。大きく息を吸った奈緒は、ジョウロをそっと脇に置いた。かと思いきや突然頭を抱えて身体を折り畳むようにうつむく。


 呻き声を上げながら赤い髪を掻きむしる。


「ああああっ~もうっ! なんですか『信用』って!」


 しばらくは足をじたばたさせていたが、やがて疲れたのか大人しくなる。足の間から雑草の生えた地面を視界いっぱいに映し、奈緒は拳を握りしめた。


「あたしは、あなたたちに『ありがとう』も『ごめんなさい』も、言える立場にないのに」


 ぽそりと零した呟きは生ぬるい空気の中に霧散して形を失う。誰にも届かなかった言葉は、きっと発した本人の意識にすら還らずに、そうやって消えていくに違いない。


「仕事、しなくちゃ……」


 ──いつか彼女たちを傷つける自分の言葉なんて、全て消えてしまえばいいのに。


(……出発前に此処ここのこと報告しないと。……嫌だなぁアレに連絡するの)


 それが許されない願いであることを、奈緒は一番知っていた。




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