三者三様の証言・マッド
「おじゃましま~す」
重く分厚い
中は思ったよりも明るい。広い物置小屋といった空間の中央に、科学室にありそうな大きな机が陣取り、その周りを大小様々な機械が彩っていた。テレビでしか見たことないような精密機器まである。
ひときわ大きい機械に張り付く小柄な人影が一つ。後姿しか見えないが、金色の髪が白衣の上で踊っているのであの少女で間違いないだろう。
「えっと~、マッドさんですよね?」
場の雰囲気に圧倒されつい小声になってしまったが、少女の耳には届いていたらしい。マッドは勢いよく振り向いた。
「んぬ? 誰カと思えば奈緒ちーデはぬカ。お噂カねガね金銀お主モ
前髪をカチューシャで上げおでこを全開にし、瞳を隠すほど分厚いメガネをかけた少女が、ニカっと笑って両手を頭上で振ってくれる。けれど相変わらず言っていることが半分も分からない。
「マッドさん、真信先輩が呼んでますよ~」
「真信サマが? なんじャろほいなー?」
「ご意見を聞きたいそうです~」
端的に告げると、マッドは
「真信さまガ……? どういウ風の吹キ回しデ
「なんであたし疑われてるんですか?」
話の発展について行けず奈緒は素で驚いてしまう。マッドは両手を身体の横でパタパタ動かしながら逆側に首を傾げた。
「真信サマが
マッドはビシっと天井を指差しくるくる回っている。連想ゲームを高速でやりすぎて意味が通じなくなったような喋り方は狂人にしか見えない。しかし奈緒にはもう、この少女がただの変人とは思えなかった。
(…………この人、見た目通りじゃないみたい)
マッドという人間は言動こそ奇抜だが、この屋敷の問題点を的確に把握している。
何より、一瞬だけ感じた背筋が凍りつくような寒気。この少女がただ者ではないことを奈緒の観察眼が告げていた。
「マッドさんっておいくつですか?」
なんとなく、実は年上なのではないかと素朴な疑問が湧いて、奈緒は気がつくとそんな質問をしていた。
回りすぎてふらふらになったマッドは頭を揺らしながらケタケタと笑っている。
「重ネた年の数など個人を構成する一要素に過ギぬゆえ固執するモのデはないのデーす」
眼が回りすぎて喋っているうちに気持ち悪くなったらしく、手近なボールに顔を突っ込んでマッドは言う。その様子はやはり、ただのアホの子にしか見えない。
どうにも中身の聡明さと行動が釣り合っていないように感じる。奈緒はマッドの底抜けの明るさに釣られて、つい思ったことが口をついた。
「マッドさんのそれって、なにかのカモフラですか?」
マッドの言動が演じているようにしか見えなくて、奈緒は彼女を指し示して問うた。
だが、気軽に口にしたその話題は触れてはいけない物だったらしい。顔を上げたマッドの口元から笑みが引っ込み、空気が変わる。
大気の時間までもが停止した、まつ毛一本と揺らすことを
分厚い眼鏡のレンズに遮られてマッドの瞳は見えないはずなのに、彼女は奈緒の奥の奥まで見通している、そう感じた。
少しでも動けば目前の少女が怪物へ変じてしまうような錯覚すらある。
(ヤッバい。これあたし、死んだかも……)
表情を消したマッドは持っていたボールを机に置いて、奈緒まであと一歩というほど距離をつめた。
奈緒の心臓の拍動がどんどん早くなっていく。恐怖が限界まで達し拳を握りしめると、マッドは表情を一変させて元気よくニコリと笑った。
「たテよこななめ
「――――はぁ?」
マッドが声高々に
一気に緊張の切れた奈緒の腰が抜ける。その時、机の上にあった小瓶が袖に引っかかった。
「奈緒ちー危ナイ!!」
「えっ、ぅわ!」
焦って手を伸ばすマッドと、小瓶が空中にある間に拾い上げようとした奈緒の手が絡まる。二人は体勢を崩して倒れた。
尻餅をついた奈緒の上にマッドが覆いかぶさる。衝突から守るためマッドの頭を抱きしめた奈緒の耳に、軽くて硬い何かが地面に落ちて滑っていく音が聴こえた。
「うぐっお尻が……。あっ、マッドさん大丈夫ですか!?」
「ぁうっ? うう、ウむっ、ヘっちゃらチャらの
マッドが嬉しそうに無事キャッチした小瓶を掲げる。その笑顔はいつもと変わらない輝きを持っていたが、奈緒はすぐに違和感に気がついた。
メガネがない。倒れた衝撃で吹き飛んでしまったのか、マッドはあの瓶底メガネをかけていなかった。今まで隠れていた瞳が目前に。
動脈を流れる血液よりも赤く、死体を灰に変える炎の紅よりも眩しい。宝石のように輝く両の瞳が、そこにはあった。
ルビーにも似た
奈緒は放心した頭で手を伸ばし、マッドの前髪を上げているカチューシャを取った。まだ事態を把握していないマッドがくすぐったそうに肩をすくめる。
押さえがなくなったことで前髪がはらはらと降りてくる。予想よりも長さがある。細い金糸の束が緋色の上をちらつき、色を写し合ってより美しい。
「すごく、きれい……」
感嘆がため息となって口の隙間からこぼれる。
マッドは奈緒の目に映った自分の顔を見てメガネが無いことに気がついたらしい。
「ど、どうし――――」
「奈緒ちーモ、マッドの目ぇ
「…………えっ?」
あまりに弱弱しい声に、奈緒は自分が聞き間違えたかと思った。もしくは
しかし違った。
少女は、倉の冷たい石の地面にぺたんと力なく座り、本気で何かに怯えているようだった。
「マッドの目ぇ見た人、みんなコれ取っテ飾ろウとするます」
(────それは)
ああ、確かにこの美しい眼球を
しかし、仕事で人間の眼球など見飽きている奈緒としては、あんな球体に価値を認めない。
「そんなことしません」
「…………ほんとぅ?」
「はい。しません。だってきっと、その瞳はマッドさんの目で輝くから、そんなに綺麗なんです。取ったりしたらもったいないです!」
胸を叩いて強めに断言する。するとマッドはようやく顔を上げ笑顔を見せてくれた。涙に潤んだ瞳に光が乱反射して、これまた眩しい。
「奈緒ちー良い子! マッドの目ぇ守っテくれるの真信サマだけだったカら、マッド感動しますた!」
マッドが幼子のようにはしゃぐ。胸部のたわわな部分も合わせて上下に大きく揺れる。ボリュームに圧倒された奈緒は少女に背を向けてメガネを拾いに行った。
どこも壊れていないことを確かめて、メガネをマッドの顔にかけなおした。分厚いレンズに目が隠れてなんでか安心する。チカチカしていた視界が落ち着いてきたので、奈緒は竜登にも訊いた質問を繰り返した。
「それが、貴女が真信先輩を慕う理由ですか」
なぜマッドほどの人間が真信について平賀を出奔したのか、疑問の誕生と答えは間をおかずに提示された。そう考えて奈緒はマッドを引っ張って立たせたが、マッドは首を傾げてそれを否定する。
「マッドはそウいウんじャないデすよ」
あまりに純粋な声だった。マッドがまた、奈緒からカチューシャを受け取って装着する。さっきの美少女はもうどこにもいない。
「真信サマに感謝はあるあル冒険活劇けレど、ソんなの二の次デす。マッドは、真信サマがマッドに人を殺さセないデいテくれるカら、弱虫な真信サマの片棒担いデるだけます!」
言いながら、マッドは握ったままだった小瓶を光にかざして左右に振る。透明な液体が瓶の中で
あの中身は何だろう。奈緒は頭の片隅でそんなどうでもいいことが気にかかっていた。
「マッドは、誰カを傷つけテ殺すようなモのは、作リたくないデす……。真信サマも、余計な犠牲は望まぬデす。だカら、マッドと真信サマは共犯なのデすた」
瓶を小箱に仕舞って、マッドは倉の出口へと向かう。少女が戸を開けると外の空気が倉の中に吹き込んできた。
「コれ、良い子の奈緒ちーニだけ。内緒デ秘密のお話デすよ?」
人差し指を唇に当て、マッドは楽しげに振り返る。風にゆれる金髪の裏に、純粋で柔らかな緋色の輝きが一瞬、奈緒にだけ見えた気がした。
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