誘拐事件編

誰かの思惑につき



 その四階建てビルに表示されるテナントは、全て架空の会社だった。


 名前だけの、設立手続きすらされていない会社群。ビルの内部にはもちろん社員が駐在しているわけもなく、それどころか、ろくな備品も置かれていない。


 真新しい外装にも拘らず、およそ廃ビルと区別がつかない有り様である。


 最上階のフロアは一際ひときわガランとしていた。工事が途中で中止にでもなったのか壁紙すら貼られておらず、壁も床もコンクリートがむき出しになっている。


 窓や扉から離れた壁際に一つだけパイプ椅子が置かれ、そこに一人の少年が拘束されていた。


 中肉中背で、飾らない黒髪が目立たないよう適度に整えられている。

 高校の制服を身にまとった彼は、パイプ椅子に両手両足を縛られていた。深くうつむいているため顔は見えない。


 少年は抵抗する素振りもなく、ひたすら同じ姿勢を保つだけだ。


 五月も終わろうとしている最後の日曜日だった。だというのに通りに人影はなく、ビルの周りは不自然なほどの静けさをたたえている。


 迫り来る梅雨に向けての準備運動とでもいうように、部屋の湿度は通常よりも高い。


 少年を見張る男二人が、鼻の下に溜まった水滴をわずらわしげに拭う。


 二人は共にマシンガンを不慣れな様子で携えていた。そのくせ防具等の装備はされていない。銀行強盗と言われて当たり前に浮かぶような、質素な服装だ。目出し帽でないのが惜しまれるほどである。


 他に道行く人間と違うところを敢えて指摘するならば、互いの腰に竹筒のようなものがぶら下がっていることくらいだった。


 この階からはわからないが、ビル内には二人と同じような格好をした人間が何十人と待機していた。


「本当に来るのかねぇ、あのお姫様は」


 暇をもて余したというように上背のある男がぼやく。似合わないキャスケット帽をかぶった男がすぐさま反応した。


「来る! 来るさァもちろん! なにせ初めての友人だ。潜入からほぼ二年。ようやく見つけたんだ。役立ってもらわないと困るんだよォ」


 唾を飛ばしながら、キャスケット帽の男が捕らえられた少年に顔を近づける。


「なァ、真信まさのぶくゥん?」


 間近で生臭い吐息を吹きかけられる。しかし少年は顔を背けもせず、また声を上げることすらしない。


 動きのない拘束対象に、男はつまらなさそうに舌打ちをして元の立ち位置に戻った。


 対照的に背の高い男は窓際に寄ってふところから煙草を取り出した。


「ったく、この支給された……マシンガン? とかいうの、肩にかけとくだけで重てぇ。これだから無骨な機械はよぉ」


「おいッ」


「いいじゃねぇか。一服だけだ」


 もう一人の制止も聞かず、男はライターの火をつける。


 その瞬間、爆音と共に窓ガラスが吹き飛んだ。


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