休日の風景
──
もはや日課になりつつある
食卓を共にするようになっても、特別会話はなかった。驚いたことにこの屋敷にはテレビがないため、場を
味噌汁をすすりながら真信は少女を窺い見た。普段は寝転がってばかりいる彼女だが、食事の時は違う。背筋が真っ直ぐ伸び、綺麗な箸使いで主菜を口に運ぶ。
老婆に挨拶していた時といい、時折見せる所作の美しさは育ちの良さの証だろうか。
いつもそうしていれば良いのにと思う。だがどちらにせよ着物を着崩しているので、旧家の令嬢には見えそうになかった。
以前に着崩す理由を聞いたことがあるが、その時は『んー、楽だから』の一言で済ませられてしまった。
二人が出会って一月が経ったが、どうにも謎の多い少女である。
食事を終え食器を下げると、夕飯時までやることがなくなる。
今までは一度家に帰って勉強したり読書をしたりで時間を潰していたが、この屋敷に対して気安さのようなものを覚え始めている真信には、いい加減その行き来が面倒になっていた。
そういうわけで真信は、この屋敷でできることを提案する。
「腹ごなしに大掃除をしよう」
「え、やだ」
即答だった。気弱な新入社員に見習わせたくなるほど見事な
別段屋敷が不衛生というわけではない。むしろこの家主しか住んでいないわりには、こまめに清掃されているようですらある。
しかし最近主婦業に目覚めてきた真信は気づいていた。棚の上、家具の隙間など、普段目につかない所には
曇り気味の空は
しかし当の家主は気が乗らないらしく、ごろりと一転して真信からちょっと距離をとった。
「
真信の実家がどうかは知らないけど、ウチが今日大掃除する必然性はなーし」
「いやいや、そこまで大がかりなことはしないよ。細かな掃除は日々少しずつやってこそだよ」
いつも通り謎の知識を
「いつも皆がやってくれてるし。私までやる意味ないよー」
「掃除が免除される住人なんてありません」
(……皆って誰だ?)
そんな疑問が湧いたが、真信はそっと胸の内に仕舞う。この屋敷に出入りする人間を把握しているわけではないし、そこまで問いただす気もない。
「ほらやるよ、立って立って。座ってたら移動するだけで日が暮れるよ」
「えー、転がったほうが速いよー」
「立ったほうが速いと思う。ほらっ」
人が生活するなら相応の汚れが出る。それは自分の身から出たものなのだから、たまには自分で拭うべし。真信の持論である。
別に真信一人で掃除してもいいのだが、せっかくの休日なのだから、彼女と共に何かをしたいという思いもあった。というかこの少女は少し運動すべきである。
手を差しのべ続けていると、深月は渋々といった感じで彼の手を取り身を起こす。やはりこの少女、押しには弱いのかもしれない。
「んー、でも今日はあんまり体力使えないよ」
「簡単に床の拭き掃除掃き掃除くらいでいいよ。面倒なところは全部僕がするから」
「まー、それなら。……真信もあんまり張り切らなくていいからね?」
「まかせて、朝飯前だよ!」
「昼飯いま食べたよー……」
真信がバケツに水を注いでくると、深月はどこからか真新しい雑巾を用意していた。小さなちりとりも
「動きやすい服に着替えないの? 汚れるかもよ」
着物のまま雑巾を絞り始めた深月に、真信はそう尋ねた。深月が着ているのは白地に水の波紋があしらわれた、いかにも高級そうな着物だった。
あれを掃除などで汚したら、いろんな人から怒られそうな気がするのだ。
そういう真信はそもそも学生服なので気にはならない。なぜか今日はこの格好で来るよう言われていた。
「この家にはね、腐るほど着物があるんだよ」
「? それがどうしたの?」
珍しく真剣な口調で、深月が自分の着ている着物の袖を持ち上げる。
「こっちが汚れたって替えはいくらでもあるの。でも、わざわざ買った洋服は、汚れたら新しく買いなおさなくちゃいけない。それってすごーく疲れるでしょ?」
「その価値観はよく分からないけど、キミがすごく面倒臭がりだってことはわかった」
原価の差がいくらあろうと手元に最初からあるものと外出して買ってきたものとでは、後者を大切にするらしい。
その着物一着の値段で洋服が何着買えるかは……関係ないのだろう。
「もしかして、いつもすぐ着物に着替えるのも──」
「…………汚れるからねー」
深月が遠い目で呟く。先日も家に襲撃があった。単独犯だったらしく真信が便所に行っている間に狗神がパックンチョしていた。
肉片のほとんどは狗神の力で消えていったが、飛び散った細かな血液まではそうではない。おかげで濡れ縁に汚れがついた。
人はなかなか綺麗に死なない。皮膚が切れれば血が吹き出るし、首を締めれば泡を吹く。事切れた後も身体から体液や糞尿が漏れ出てくるのだからどうしようもない。
そうやって、人間は死んだ痕跡をこの世に残していく。
真信は深月の言葉に
裏家業あるある。突然の仕事で着ていた服が汚れて台無し。
(それはすごくわかる)
まさか深月にそう言えるわけもなく、真信は同意を口にしたい衝動を抑える。
そういえば、と真信は思い至った。
(深月は、僕のことをどれだけ把握してるんだろう)
深月の後見人であり真信を深月の世話係に指名した
『──平賀家三男坊』
源蔵はそう真信を称した。それが、真信への威圧になると分かって口にしたのだ。
しかしあの言葉は、真信にだけ聴こえるよう吐き出されたものだった。
ならば、深月は?
彼女はどこまで知っている?
確かめたいような、恐いような。まるで真実の扉の前で立ち往生しているかのような感覚が真信を支配する。
いっそ聞いてしまえばいい。
けれど、もし彼女が何も知らなかったら。
真信の正体を知ったとき、果たして彼女は今まで通りでいてくれるだろうか。
ぐるぐると同じ言葉が周り、真信は大きくため息をついた。
(今は掃除に専念しよう、うん。)
「まぁいいや。僕はあっちからやるから」
「はいはーい」
スパッと思考を打ち切っていつもの楽天を装う。気の抜けるような深月の返事を背中に受けて、天井の埃を拭いに向かっていった。
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