戦況確認


「それにしてもあの腕前……。真信先輩、さっさと学校やめて料亭でも開いたほうが幸せなんじゃないですか~?」


 夕食の片付けを終えた後、目的の部屋への道すがら、奈緒がそんな冗談を口にした。外はすっかり暗くなり、梅雨の生温い風が中庭からかおってくる時間帯である。


 奈緒に弱音を吐いてしまったばかりの真信としては、こういう話題に何と答えれば良いか分からない。冗談と分かっていても微妙な顔になるのが避けられなかった。


 真信が沈黙を守っていると、なぜか深月がノってくる。


「おおー。じゃあ店名は『料亭シンシン』で決まりだねー」


「えっ、なんでシンシン。中華料亭ですか? ……あっ、真信……しんしん……、そういうことですね深月先輩!」


 女子高生二人がきゃっきゃと笑い合っている。端から見れば可愛らしいものだが、話題の中心である真信は苦笑することしかできない。


 こういう時は自分も何か言うべきかと考え込む真信に対し、一番後ろを歩いていた静音が真面目な顔で挙手した。


「では店舗経営は私が行いましょう。必ず繁盛するよう、あらゆる手段を講じるとお約束します。はい、それはもう手段を選ばずに」


 仕事モードの静音が珍しくノリノリである。普段は冗談など無視してしまうというのに。


 どうやら深月とだけでなく、奈緒ともすっかり打ち解けたようだ。


「さすが静姉しずねえだねー」

「ほんと、静姉しずねえさん怖~い」


「ですからお二人とも。その『しずねえ』というのはやめていただきたいのですが……」


 静音が苦言を呈するが、二人はすでに次の話題に移っていて、静音の抗議を聞いていない。

 このまま行くと深月から静音への呼び名は『静姉しずねえ』で固定されそうだった。





「で、なんでこんな狭い部屋に四人で入らなきゃいけないんです。情報交換なら他のとこでもいいんじゃないですか~?」


 頬を膨らませて文句をつけるのはやはり奈緒だった。


 四人が入った部屋は四畳ほどの和室で、中央に大きな座卓があるので余計に狭く感じる。そこにこれだけ人間が集まって卓を囲んでいるから、圧迫感が否めない。


「ごめんね、奈緒。そろそろ定期連絡の時間なんだけど、この屋敷の敷地内で通信機器が使えるのってこの部屋と庭の倉しかないんだ。倉のほうはマッドが研究室にしちゃってるから、ここで我慢してくれないかな」


「機械が使えないって、どういうことですか?」


「この屋敷の中じゃ、悪意のある機械は壊れてしまうんだ」


「は?」


 奈緒は心底訳が分からぬ様子である。急にこんなことを言われて信じろというほうが難しい。


 しかしこれ以上どう説明したものか。真信は呪術の多くを知らない。その原理に詳しいわけでもない。理解していない者からの表面的な説明では相手に伝わらないこともあるだろう。


 首をひねったまま唸っている真信を、机に突っ伏して傍観していた深月もさすがに見かねたのか。緩慢な動作で奈緒を手招きした。


「これはね、悪意とか敵意に反応して自動で発動する呪詛の一種でねー。その気がなくても、ちょっとしたことで通話中に壊れるかもなんだ。この部屋の中は平気だよ」


「へぇ、なるほどです」


「奈緒ちゃんは素直だねー。ご褒美におじさんが置いていったこの高級栗饅頭まんじゅうをあげようー」


「もがっ──!? ……もぐっ……あ、美味ひい。ありがとうございます」


 突然口に饅頭まんじゅうを突っ込まれた奈緒が戸惑いながらも礼を口にする。深月は袖におやつを隠し持っていたらしい。


 見ていた静音が流れるような動作で麦茶を湯飲みに注ぐ。受け取った真信はそれを奈緒の前に置いた。


「はい、お茶」


「あ、助かりま~す」


 奈緒が麦茶をあおり、一息ついた所で、真信は座卓に用紙を広げた。これは何かと奈緒が紙を覗き込むが、用紙はまだ白紙だ。これから埋める。


「じゃあとりあえず、始めようか」


「何するんですか? 確かにあたしフリーなんで、抗争とかに巻き込まれない程度にはデカイ組織の立ち位置把握してますけど……。呪術者さんにも一応知り合い居ますし? でもでも、正直そいつらの内情とかは全然詳しくないですよ」


 変に勘ぐられないための予防線だろう。奈緒が早口に言ってちょっとだけ後ずさる。

 真信は奈緒を安心させようと微笑みかけた。


「それでいいんだ。まず確かめたいのは、裏社会における僕らの立ち位置だから。前に奈緒は僕らがこの屋敷にいる噂を聞いたって言ってたらしいね。どういう噂になってるの?」


「あぁ、そういうことですか。それくらいでいいなら、はい。お任せどうぞ」


 たったそれだけで、奈緒は今回の主旨を理解したらしい。


 真信が知りたいのは、どれだけこちらの情報が広まっているかだ。その内容次第で対策が変わってくる。


 こちらが意図して流している情報との差異を丁寧に検分していけば、把握できていない刺客の存在も浮き彫りになるだろう。


 そのためには組織と関係を持たない第三者からの情報提供が好ましい。組織間で交換された情報では、それぞれの思惑が入り交じっていて精査するには向かないのだ。


「そうですね~。とりあえず、平賀を出奔した連中が樺冴家と協力体制を敷いてるってのが一番広まってるやつですかね」


「それは、呪術者と科学側の両方に広まってること?」


「その括りはよく分かりませんけど、たぶん。呪術とかよく知らないあたしみたいな人間でも、樺冴家がヤバい所だってことだけは知ってますから。そこに動きがあれば、みんな注目しますよ。あたしがこの町に住んでるのも、ここなら樺冴を恐れてヘタな奴が入って来ないからですし」


「それは報復ほうふくからの自衛ということでしょうか」


 静音が確認を取る。奈緒は小さくあごを引いた。


「……はい、あたし達フリーの殺し屋には後ろ楯ありませんから。昔殺した人の家族とかに襲われても自己責任なんですよね。

 だから深月先輩にはあたし、ず~とお世話になってることになるんですよ~。いえ~い」


「いえーい?」


 少女達の謎のハイタッチが行われる傍ら、真信は奈緒の『自己責任』という言葉が引っ掛かって目を細めた。国に仕える深月はまだしも、後ろ楯がないのは今の真信達も同じだ。


 真信達が周囲から平賀の出奔者として認識されているなら、平賀に知人を消された者からの報復がこちらにあるかもしれない。それらから仲間を守るのは本来、真信の役割だった。


 最善なのは、みんなに不安を抱かせる前に真信が全て処理してしまうことだが。


(…………いや、こういう考えかただから、奈緒に怒られるんだよな)


 一人で背負い込みすぎるなと忠告を受けたばかりだ。全体の安全のためにも、まずは全員に注意を促すべきか。それに今はこっちの案件に集中すべきだった。


 いつの間にか神妙な顔つきに戻った奈緒が話を続ける。


「でも、そもそも平賀って名前だけ有名で、実態がわからない組織ですから。先輩達が平賀を名乗ってるだけの別組織の人間じゃないかって変に勘ぐって、無駄に錯綜さくそうしてる感じです。

 組織の人達が一番気にしてるのは、真信先輩達の後ろに平賀本家がついてるか否かでしょうね。それが分からないから、まだみんな情報集めにいそしんでるんだと思いますよ」


 それこそ後ろ楯の無い孤立した者達と侮って手を出し、それであの平賀が出てきては勝算がない、と。

 樺冴を狙う組織にとっては、こちらの規模が分からないからこそ手の出しようがないのだ。


 真信達はいまだに平賀という名前に守られているのだ。まさに虎の威を借る狐である。真信としては、それで深月達を守れるならいくらでも汚名を着るつもりではあるが。


「ついでにもう一つ訊きたい。樺冴に敵意を持つ組織はどれくらいある?」


「さあ、さすがにそこまでは知りませんね~。あ、でも最近、呪術に興味を持つ科学者の組織が出てきてるってのは聞きました。呪術を科学の視点から新しい兵器にして運用できないか研究してるとか。あくまで噂ですけど。

 あたしが知ってるのはこれくらいですかね」


 真信は情報を次々と用紙に書き入れていった。奈緒が語り終えると、今度は静音が身を乗り出した。


源蔵げんぞう氏の証言では、呪術界は現在三つの勢力に別れ始めているとのことです。

 一つは奈緒さんの言うとおり、呪術を研究したい科学者達と協力関係を結び、呪術の発展を目指す集団。

 二つ目が、介入を始めた科学者を嫌い敵対する集団。

 最後が、科学勢力や呪術界の変異を意に介さず、今まで通りを貫く者達。残りはそのどれにも属さない様子見の組織や個人ですね」


 静音は喋りながら戦況を図にまとめていく。その情報は組織同士の同盟関係や対立関係にも及んでいた。興味深げに観察していた奈緒も、隙間を補強するように思い出した情報を書き入れてくれる。


 おかげで図は真信が把握していたものよりも詳しく、分かりやすくなっていった。それでも関係は入り組んでいる。大小様々な組織が暗躍するそのさまは、戦時の国家勢力図にも似ていた。


 呪術側と科学側の同盟が多くなったのは、やはりここ最近のようだ。その原因は──。


「やっぱり十戒衆じっかいしゅうが死んでから、呪術社会の動きが活発になってるのか」


「あ、真信先輩もそう思います?」


「よくも悪くも影響力あったからねー」


「その通りです。そして深月さんの狗神は、呪術界の重鎮でもあった十戒衆を殺したこともあり、呪術界最大の兵器として前者二つの集団から注目されていると」


 視線が深月に集まる。用紙の端にリアルな犬の落書きしていた少女は、手を止めて眠たげな瞳で皆を見返した。


「うーん。呪術が衰退してる今、個の破壊力でいうなら、確かにわんこが最強なのかなー? ……今までは神器を狙う人ぐらいしか狗神わんこのこと知らなかったけど。……そっか、ついに有名になっちゃったかぁ」


 指でペンを回しながら感慨深げにしみじみと頷く。真信が来る前は深月も散々暴れまわっていたと聞いたが、それでも十戒衆を殺した方が名が知れ渡るとは。


 真信はガスで眠らされた老人しか見ていないので実感がないが、十戒衆とはそれほど有名な存在だったのだ。もう少し認識を改めるべきか。


「あのぉ~、一つ確認いいですかね。十戒衆を殺したのって、本当に深月先輩なんですか?」


「そうだよ」


 奈緒の控えめな質問に深月が気軽に答える。しかしその返答を聴いて、奈緒は表情を一変させた。


「あはっ。本当にそうなんだ~。あたしアイツら大っ嫌いだったんですよ~。……でも、あの十戒衆が狗神ごときに殺られますかねぇ。だって敵対者のことごとくを呪いで不幸のどん底に突き落として、なのに何十年と呪術界の頂点に君臨してきた奴らですよ? そんな簡単にはられないでしょ」


 奈緒が浮かべたのは挑発するような笑みだった。その瞳の奥には疑惑が渦巻いているのが分かる。彼女から発せられる異様な気配は、真信と静音が思わず構えてしまうほどに重く張り詰めていた。


 しかし深月はそんな空気をものともせず、手を一つ叩いてどこか得意げに微笑んだ。


「そっか、奈緒ちゃんはうちのわんこ、しっかり見たことないんだっけ。ほら」


 壁に映った深月の影が呼び声と同時にうごめいた。狭い室内に墨汁の塊のような物体が出現する。犬の頭部にも似た闇の集合体。端からボロ煤のように崩れていくのに体積が変わる様子がない。


 樺冴家が代々受け継いで来た狗神。犬の動物霊にして、口にいれたものを消滅させるおぞましき怪物である。


「ぎゃぁああああ!?」


「ごはっ」


 突然現れた狗神に驚いたのか、奈緒が跳び跳ねて斜め前にいた真信に抱きついた。腹部を勢い余った拳に強打された真信がうめく。


 胴に巻き付いた腕を剥がそうとしたが離れない。真信を盾のようにして後ろに回った奈緒は、青い顔で小刻みに震えていた。


「なっ、ななななんですかそれ!」


「狗神だよー。こういうの見たことなかった?」


「いやいや、あたしだって憑き物系くらい見かけたことありますよ。でも、あの子達はこんなに大きくも禍々まがまがしくもありませんでしたもん! こんなのもう化け物じゃん! 怖っ!?」


「へぇー。そっかー、怖いんだー」


 奈緒の反応が新鮮で面白いのか、深月はなんだか楽しげだ。しかし奈緒は本気で怖がっている。真信が視線を投げかけると、深月は残念そうにしながらも狗神を消した。


「まぁ、うちの狗神わんこは特別製だからねー」


「特別……。じゃあやっぱり、アイツ等を殺してくれたのは深月先輩だったんだ……」


 放心するように奈緒が呟く。どこか様子がおかしい。


 その時、真信が持っていたタブレットが鳴った。着信が入ったのだ。


「それなんの電話ですか?」


 狗神が消えてすっかり顔色の戻った奈緒が、タブレットを覗き込みながら聞いてくる。真信は通話と同時に受信したデータが表示できるよう設定しながら応えた。


「奈緒と一緒に捕まえた男二人、覚えてる?」


「はい、なんか深月先輩を尾行してた奴らでしょう?」


「うん。片方は処分したんだけど、もう片方は暗示をかけて解放したんだ。真っ直ぐアジトに向かうように。今も動向を監視しててね。その定時連絡だよ」


 タブレットを座卓の上に設置して、真信は通話ボタンを押した。


『うーっす。ちゃんと映ってますね。……って、真信様なんで美女に囲まれてるんすか嫌味っすか』


 画面の端に表示された小窓に通話相手が映る。年若い、中学生くらいの痩せた男の子だ。


 タブレットを見るため必然一ヶ所に寄り集まった真信達も向こうから見えているのだろう。少年は顔をしかめている。


「時間が少し早いけどどうかしたの?」


 嫌味の部分を無視して真信が問うと、少年が画面の外で何かを操作した。


『デコイ02ゼロツーが向かってる場所が絞れたんで。山の中、もうそれくらいしか施設ないんで特定でいいかと』


 転送されてきた画像を開く。何枚かの写真が出てきた。


 深い森の中に立つ、白い建造物だった。添付された資料によると製薬会社の研究所らしい。


『職員は守秘義務でみんな隣の寮に住み込み。薬だけじゃなくて家畜の遺伝子組み換えも研究してるんすけど、明らかに資金の帳尻合ってないんすよ。黒っすかね、やっぱ』


「非正規ルートで資金が入ってるってことか。どちらにせよ怪しいね。システムには侵入できる?」


『それがっすね、ここ建物が寮と研究所、それと研究成果の保管所の三つに別れてて。寮の方は行けますけど、他の二つがセキュリティが内で閉じてて入れません。本気出せばたぶん制圧できますけど、確実に警報鳴りますね』


「じゃあ、そっちは保留で。警報鳴ってからそいつらが逃げる前に、制圧いけるよね?」


『お任せを。最近は機械音痴の相手ばっかだったんで、腕が鳴りますよ』


 少年が邪悪な笑みを浮かべてまた画面外で何やら操作し始めた。


 敵地攻略の目処はついた。では、次は相手の目的である。


「呪術者が製薬会社と手を結んで、どうするつもりなのでしょう」


 タブレットに表示された情報を見ながら静音が呟く。真信は情報の中から、家畜の遺伝子操作に関する資料を表示した。


 希少な家畜を安価に複製することで利益を得る研究。簡単に要約するとそんなことが書かれていた。


「遺伝子操作、複製とくれば、恐らく……」


「クローン人間でも作るとかですかね~」


「ああ、奈緒の読み通りだろうね」


「えっ、冗談だったのに……」


 予想外の肯定に、言った奈緒が一番驚いている。真信は胸が重くなるのを感じながら、事務的に言葉を紡いだ。


「樺冴家の狗神は一子相伝。直系の女性にしか使役できない。樺冴家にある神器を手に入れるには、狗神が必要だ。けど深月は絶対に人に神器を渡したりしない」


 樺冴家に隠されているという宝。そこに至るには狗神の存在が鍵となる。狗神に意思はない。深月さえどうにかできれば宝は手に入る。


 しかし深月を操る作戦は、今まで十戒衆を含めた多数の組織が失敗している。現実的ではなかった。


「だから、一番手っ取り早いのは──」


「──自分達に都合のいいを作って、狗神をそっちに移せばいい」


 沈黙を保っていた深月がぼそりとこぼす。感情の入らない無機質な言葉に、真信は同調した。


「…………そういうことだ」


 クローン技術は以前よりも発達している。とはいえ、人間のクローン作成は人道的観点から研究が進んでいない。それが表社会の見解だ。


 しかし裏社会ではどうか。平賀では『いずれ可能だが、現行の技術ではかかる予算と利益がつり合わない』と結論が出ていた。


 ならば利益を度外視して予算を調達できればクローンは作れる可能性がある。


 しかも今回の場合は、狗神がそのクローンを樺冴の後継者と認識しさえすればいいのだ。最悪人体を全部揃えなくてもいい。身体がサイボーグだろうと、顔が潰れていようと、狗神を移す器として機能すればいいのだから。


 研究所の方針がどうかは分からないが、呪術者としては狗神を手に入れれば不満はないだろう。


 敵の目的を確認したところで、通信が再開された。


『うーい、全パターンの計算終わりました。今のペースなら、デコイ02の到着予定は明朝っす。寮の監視カメラ映像分析してますけど、その時間はほとんど研究所のほうに人いますね』


 正確に算出されていく数値に、真信は気を取り直して頭を回転させる。


「今から車で行けば先回りしてデコイ02を回収できるな。周囲に他の施設がないなら遠慮しなくて済む。研究データを他所よそに転送される前に、一網打尽にできそうだ」


『建築時の図面見つけたんで転送するっす。あ、作戦決まったら各自に連絡入れますけど』


「こういう時は応用の効くシンプルなのが一番だ。今町で動かせるのは十人。その内戦闘がこなせるのは六、七人か。今回は深月含めて六人で行こう。建物ごとに人員を三つに分けて、各自研究データが外部に漏れないよう行動を────深月?」


 途中で袖を引かれて指示を中断する。深月の細く白い陶器のような腕が、真っ直ぐタブレットへ伸びている。指差しているのは、研究所の図面。その中の研究成果を保存する建物を指していた。


 どうかしたのかと真信が振り向くと、深月は落ち着いた声音で真信を仰ぎ見た。


「真信、ここには私一人で行かせて」


 真信は突然の宣言にたじろぎながらも、首を横に振る。


「何言ってるんだ。そんなの駄目だ。危険だよ」


「お願い。役割は一人でも果たすから」


 少女の瞳には強い意志が宿っていた。深月は一度言い出したことを決して曲げない。説得は難しいだろう。


 こちらが妥協しなければ、真信達を振り切ってでも一人で向かってしまいそうな勢いだった。


「……せめて護衛に一人連れていってくれないかな」


「真信達の力は借りない」


「どうしてっ」


「どうしてでもだよ」


「敵地の情勢は詳しく分かってないんだ。せめて理由を教えてくれなきゃ許可はできない!」


 互いに一歩も退かず、狭い室内は一気に一触即発の空気になる。緊張が今にも爆発しそうな中で奈緒がひらっと右手を挙げた。


「じゃあ、あたしが深月先輩についていきますよ」


「奈緒?」

「奈緒ちゃん?」


 唐突な後輩の参戦に、真信と深月は毒気を抜かれた顔で唖然と口を半開きにしている。奈緒はそんな二人を面白そうに眺めながら笑みを深めた。


「護衛を一人つければ単独行動許してくれるんですよね? なら、あたしがつきます。深月先輩もそれでいいですよね?」


 矛先を向けられた深月は、奈緒の笑顔に不承不承としながらも頷く。


 真信としても、深月が一人でなければ許容はできる。しかしなぜ奈緒が余計な面倒ごとに首を突っ込むのか、それだけが釈然としない。


 出立の準備に深月と静音が部屋から消えると、真信は奈緒に向き合い問いを投げた。


「奈緒、なんで……」


 疑問に片眉を上げる真信に、奈緒は急に顔を近づけ彼の耳元で囁く。


「あたしは雇われですから、そろそろ役に立つとこアピールしとこうかなって。それに、あの狗神が特別ってことは、それってつまりってことでしょ? 深月先輩が苦しむのは見たくないんで」


 言い終わると顔を離し、勝ち気な瞳を細めてニヤリと笑う。そんな言外に込められた優しさに、真信は胸を押さえて頭を下げた。


「…………ありがとう。深月を頼むよ」


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