もう一人の自分編

願いの形


 シークレットのヌイグルミを引き当て上機嫌な奈緒が、軽いステップで真信の前を行く。


 よほどご機嫌なのか、奈緒は鼻唄を口ずさんでいる。確か危犬きけんが短編アニメになった時のテーマソングだったはずだ。


 真信は当時のクラスメイトが五月蝿いほど繰り返し歌っていたのですぐ思い出せたが、奈緒はなぜ覚えているのか。相当古い曲なのに。


 もしかすると彼女は、古いものを古いと切り捨てず、ずっと胸の中に大切に閉まっておく人間なのかもしれない。


(たまに居るよな、そういう人。好きな物はいつまで経っても好きで、遠く昔に亡くした人との思い出を忘れられずにいるような……)


 あれは平賀の門下だったろうか。確かもう、この世にいない人間だ。


 そんな風に過去の記憶を思い出しつつ、真信はいつもの道筋を進んだ。

 人の気配が減ってくれば後は迷うはずもない、周囲に民家の無い一本道だ。


 角を曲がって樺冴の屋敷に通じる長く寂しい雑木林を進んでいると、突然に奈緒が立ち止まった。


「真信先輩、あれって……?」


 警戒の混じった奈緒の声に、真信は彼女の肩越しに遠くへ目を向ける。


 奈緒の視線を辿っていくと、先に帰ったはずの深月と静音が、屋敷の前で誰かと立ち話しているのが見えた。


 まだ距離があるので会話の内容までは定かではないが、どうやら主に受け答えをしているのは深月のようだ。珍しく姿勢を正し愛想笑いを浮かべているのがここからでもわかる。


 そして肝心の相手といえば──。


「真信先輩、あたしの記憶違いならいいんですけど……。あんな所に、お地蔵さまなんかありましたっけ?」


 奈緒の言うとおり、屋敷前の道端に小さな小屋のような物が設置されていた。中には確かに地蔵のような石が鎮座している。今朝まであんなもの無かったはずなのに。


 そして丁度、地蔵を指差し何やら熱く語っている様子の人物が一人。


「深月の前にいるお年寄り、たぶん常彦つねひこのおばあちゃんだ」


 後ろ姿なので顔は判然としないが、深月と話している背の低い老婆は針木はりきムギに違いないだろう。


 ムギは以前、樺冴家を敵視していた人物だ。憑き物筋を嫌悪する村人はそう珍しくない。


 だがムギはいつの間にか樺冴家の信者になっていた。深月があの老婆に何かしたのかどうなのか、そこは真信の預かり知る所ではないが。


 とは言っても、その後は直接の接触はなかったはずだった。無害だからと放置していたのだが。


「何を話して……あっ、終わったみたいですよ」


 ムギは深々と頭を下げ深月から離れた。もう帰るのだろう、通りへ戻るためにこっちへやって来る。すれ違うときに立ち尽くす少年少女へ会釈して、ムギは穏やかに微笑んだまま角の向こうに消えていった。


 真信はなんとなく奈緒と顔を見合わせて、首を傾げて深月の下へ急いだ。


 すぐ玄関先にたどり着く。深月と静音は屋敷に背を向け、竹矢来たけやらいに遮られた雑木林の方を見て立ち尽くしていた。もちろん視線の先には謎の地蔵がある。


「常彦のおばあちゃんが来てたみたいだけど、何だったの?」


「それが……その」


 真信が二人に問いかけると、荷物を持ったまま脇に控えていた静音が、沈痛な面持ちで目を背ける。


 対する深月はただただ深いため息をつき、ゆらりと左手を上げ、道端に置かれた真新しい地蔵を指差した。


「記念すべき百体目はぜひここに、だってさ」


「それは……」


 疲れたような困ったような顔で目を伏せる少女に、真信は事態を察してしまった。


 町の人間が樺冴家から身を守るために作り続けた地蔵の、その百体目。それがあの地蔵なのだ。そして作られた地蔵はその数が三桁を達成した記念としてここに設置された。地蔵を作り始める要因となった、樺冴家の前に。


 予想外の事態に、かけるべき言葉が浮かばない。


 深月がまたため息をつく。その目はどこか遠くを見ていた。


「悪意が無いのはわかるけど、悪意が無いのが困るんだよねー……」


 沈黙するしかできない一同。一人事情を知らない奈緒だけが、重くなった空気に困惑するように皆の顔を見比べる。


「あのぉ、お地蔵さまの何が駄目なんですか? うちは宗教違いです~、的な?」


「そういうわけじゃないんだけどね……」


 奈緒の素朴な疑問に真信が答えた。まさか当事者の深月に説明を任せるわけにもいくまい。以前に深月から教えて貰った知識を引っ張り出しながら真信は説明を続ける。


「この町に沢山あるお地蔵様は全部、町人を樺冴家の狗神から守る身代わり地蔵として作られた物なんだ」


「身代わり?」


「狗神が自分達に及ぼす災厄を、地蔵が引き受けてくれるようにって」


 人をよく見ている奈緒だからだろう。その短い説明と真信の表情で、これがおかしな話なのだと理解したようだった。


 見てはいけない物を流し見るように地蔵へ一瞬視線を向け、不快げに眉を寄せる。


「……そんなものを、記念とか言ってこの家の前に設置してったんですかさっきの人。しかも笑顔で。なんていう皮肉ですか」


 歯を食いしばりながら発せられた声には、幾分かの怒気が混じっていた。しかし深月はゆっくりと首を横に振り、老婆の悪意を否定する。


「針木ムギはそんな難しいこと考えてないと思うよ。『地蔵もこれで百体目かー、目出度めでたーい。そうだこれを地蔵と縁の深い樺冴家の前に置けば、きっと樺冴のかたも喜ぶだろうー』…………なんて」


「そんなのありがた迷惑じゃないですか!」


 奈緒がもう我慢ならないというように抗議を叫ぶ。けれどすぐに顔を伏せて唇を噛んだ。この場の誰に当たり散らしても仕方がないと、周りの視線で気づいたのだ。


 奈緒の憤りを静かに受け止めた深月は、諦めた口振りで苦笑した。


「善人気取りの思考なんてそんなものだよー。本人は自分が良いことしてるって、本気で思ってるんだから。私たちが間違いを指摘しても効果がない」


 自称善人は、自分の行いが他者の気分を害するなどつゆも思っていないのだ。だから拒絶されると本気で驚く。そして被害者面で涙を流す。なぜ自分の好意を受け取れないのかと、相手のほうを悪人にしてしまう。


 悪癖めいたその思考は本人の心に根を張っていて、簡単には治らない。"悪人"がどれほど更正させようと説得しても無駄だ。なぜなら彼らの頭の中で、自分は冤罪で責立てられる哀れな被害者なのだから。


(ならいっそ…………)


「いっそ、壊しちゃいましょうかコレ」


 真信が頭の隅で考えていたことを奈緒も思ったようである。痛々しいほど苦しげな奈緒の提案を、深月はそれは駄目だよと否定した。


「お地蔵様に罪はないから。……そもそもねー、身代わり地蔵を作るっていうのが、本当は信仰と矛盾してるんだよ」


「どういうことですか?」


「身代わり地蔵っていうのは、信者の痛みや不幸を引き受けて傷ついた逸話があるからこそ、ありがたがられる物なの。この町の人達の認識は順番が逆なんだよー。身代わり地蔵を作ったから、傷を引き受けてもらえると思ってる。そんなわけないのに」


 初めは異物への恐怖を和らげる、気休めの安定剤のようなものだったのだろう。それがいつしか信仰の土台となり、歪んだまま受け継がれ、町に広まった。


「本当は信じたから救われるのであって、救われるために信じる対象を作るわけじゃないはずなのにね」


 深月がポツリと溢した小さな呟きが全てだった。


 いまさら町の人間の意識を変えることはできない。いや、樺冴家の立場を思えば、変えるべきでもないのだ。


 何も知らぬ町人が踏み込んでこないよう、樺冴の当主はこの町で孤立していなければならない。地蔵はこれからも身代わり地蔵として町人の安らぎであらねばならないのだ。


 そんな手の打ちようのない意識のズレは、場にいる全員の心に暗く重たい影を落とす。いっそ悲しみが湧いてくるほどだった。


 周囲は無風のように見えても、上空では風が荒れているのだろう。灰色の大きな雲が流されて早足に太陽を隠した。ひんやりとした雑木林の空気が身体に寒いほどだ。


 頭にまとわり付く湿った空気を打ち払うように、突然と奈緒が動いた。

 乱雑にスカートをひらめかせ地蔵へ近づいていく。まさか壊すつもりかと真信は身構えたが、予想に反して奈緒は地蔵の小屋の前で動きを止めた。


「ええっと、お花も線香もないから…………とりあえず、これで!」


 持っていた犬のヌイグルミを力強く掲げ、そっと地蔵の前に置いた。真信は何事かと息を呑むが、次に彼女がとった行動で、どうやらそれがお供え物の代わりらしいとわかった。


 奈緒は地蔵の前に座り込み、石の上に落ちた葉っぱを摘まんで捨てる。


「このお地蔵さまは身代わり地蔵なんかじゃありません! 人を見守っていてくれるとかそういう普通の何かです! ……って、あたしが信じていれば、そうなるってこと……ですよね?」


 自信満々に拳を握り力説を唱えていた奈緒だったが、途中から及び腰になり、最終的に不安そうに深月を振り返る。


 そんな後輩の姿に深月は微笑み、奈緒の隣に並んで腰を下ろした。


「うん。きっとそーだよ。────信者第一号ですね、地蔵様」


 少女二人が手を合わせて祈りを捧げる。


 信仰の結末は、願う者の心一つで変化する。地蔵にそうあれかしと祈る思いが本物ならば、きっとそれこそが本当の地蔵の姿なのだろう。


 町の地蔵は自分を崇める町人を、身代わり地蔵として救うことはないだろう。地蔵はあくまでただの石の塊に過ぎないのだから。


 それでも、少女たちの願いが何かを変えることを祈って。奇跡が起きることを信じて。


 少女たちを温かな心気持ちで見守りながら、真信と静音もまた、荷物でふさがった両手の代わりに黙祷もくとうを捧げるのだった。



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