【幕間】シャーデンフロイデの執行吏


 時刻が深夜を告げる。この工場跡に近づくモノ好きはいない。放棄された木材、鉄筋材、そして積もり積もった埃たち。光源は、少女の持つLEDランタン一つ。工場の窓はほとんどが劣化して割れていたが、月明りが差し込むことはない。外は雨が降っている。


 雨の日は仕事が楽だ。水には防音効果がある。雨のカーテンに遮られて悲鳴は誰にも届かない。


 ランタンのか細い明かりを頼りに、木蓮もくれん奈緒なおはようやく傷口の止血を終えた。


 腕に刺さっていたサバイバルナイフを遠くに放り捨てる。甲高い音が大きな空洞めいた空間に響いて、ナイフの姿は闇に消えた。


 奈緒は包帯をバッグに仕舞って、自分の状態を確認した。傷跡をしっかり固定したので動きに支障はない。

 中学指定のセーラー服に血がついてしまったが、どうせ今後、二度と着ることもないのであまり気にならない。


 いや、どうせどうせと言うのなら、どうせこれから返り血で汚れるのだから、と考えたほうがお得感がある気がする。


「さっすが連続殺人犯。いやぁ~痛かったですよ。捕まえるのに怪我したのは久しぶりです。他の子の時もこんなふうに痛めつけて楽しんでたんですか? ねえおじさん」


 奈緒は垂れてきた髪を払って、専用に改造した釘打ち機で地面に縫い付けられた小太りの男に問いかけた。


「おじさん女の子を強姦して殺してたんでしょ? それも何人も何人も。あたし驚いちゃいました。だって、あたしの所におじさんを殺してって依頼が何件も来てるんだもん。短期間にヤリ過ぎです。おかげで依頼が重複して、おじさん一人殺すだけで、あたしちょっとしたお金持ちですよ? せっかくせっかく貯めてた高校入学の資金が浮いちゃうくらい」


 銃にも似た形状の釘打ち機を指先でくるくる回しながら、奈緒は男の周りをゆっくり歩く。いろんな方向から、男の絶望に歪んだ顔を眺める。


 男は沈黙している。どうやら男は奈緒が界隈でなんと呼ばれているか知っているようだった。


 残虐非道の拷問姫ごうもんき。奈緒は世間でそう呼ばれている


 顔バレはないはずだが、年齢や性別、手口は露見している。今の状況を考えれば脂肪の塊にすら推測は安易であろう。


「あ~あ、こういうとき有名すぎる名前を背負うと面倒ですよね~。でも喋ってくれなきゃ仕事にならないんですけど」


 奈緒はおもむろに男の手元に屈み込み、ポケットから一本の爪楊枝つまようじを取り出した。どこにでもある木製の細い爪楊枝だ。


 男は冷や汗を流しながらも、それで何をするのかと怪訝な顔をする。そんな男の表情に、奈緒はおかしくなって笑った。


「おじさん知ってる? 拷問ってね、別にアイアン・メイデンとか苦悶くもんの梨なんていう仰々ぎょうぎょうしいもの必要ないんですよ? あ、アイアン・メイデンは後世の創作だったっけ」


 言いながら、手の甲を上にして張り付けていた男の指先に、爪楊枝をあてがう。そして粘土を細長く伸ばしていく要領で爪楊枝を回転させながら、爪と肉との間に差し込んでいった。


「ひっ、ぁあっ」


「あはっ、おじさんこういうプレイいたみは始めて? なぁんだ。おじさん強姦魔のくせして処女だったんですね、ウケる」


 爪楊枝が指先の柔らかな肉を貫通した所で思い切り曲げると、いとも容易く爪が一枚剥げてしまった。それをもう二本分行って、奈緒は荒々しく不規則に波打つ男の腹部に腰を下ろす。


「地味だけど、ヤバイでしょこれ。指先って神経集まってますもんね。はりつけにされて、もう痛みはマヒしたって思ってました? ざ~んねん。人体が許容できる痛覚って、もっとスゴイんですよ?」


 次に奈緒が取り出したのは金属製のスプーンだ。


「目玉なんて一個あれば十分ですよね。本当は竹筒を用意できればよかったんだけど。あれね、目に当てて強く叩くと、ポーンって神経ついたままの眼玉が飛び出すんですよ。面白いでしょ?」


 ケラケラ笑いながらスプーンを男の顔に近づける。するとついに男が音を上げた。


「わかっ、わかった頼む! なんでも話す。話すから! もうやめてくれ!」


「あはっ、おじさん弱~い。ま、いいけど。じゃあ、あたしの質問に正直に答えてくださいね? そしたら助けてあげるかも? ――――おじさんは、なんで人を殺したの? ヤッてる時どんな気持ちだった? 命を奪うとき何を考えてたの?」


「そ、そんなこと聞いて、なにを」


「質問に質問で返さないで。幼稚園児じゃないんですから」


「ひっ! あっ、えっと」


「だから、なんで殺したのかってこと。思い出してよ。ほら、早く」


 しびれを切らした奈緒が未使用の爪楊枝を見せると、ようやく男は喋り始めた。


「そ、そりゃ、気持ちいいからに決まってんだろ」


「気持ちいい? なんで? ヤリたきゃデリヘル呼びなよ」


「それじゃたぎんねえんだよ」


 男は奈緒の疑問を即座に否定した。


「俺なんかには見向きもしねぇ澄ました顔の女をよ、捕まえて引きずってって、何発か殴ってやるんだ。そしたら泣きながら『ごめんなさい許して許して』って、俺はあれが一番好きでね。綺麗な顔が真っ赤に腫れ上がって、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって、そんな女を無理矢理押さえつけてれるのが、一番


 こんな状況でも男は当時を思い出して興奮しているようで。最初は憎しみに染めていた顔をだんだんと恍惚こうこつにゆるませる。痛みに脳内麻薬が活性化しているせいもあるのだろう。男の焦点はおかしなところに飛んでいた。


「女って不思議でさ、感じてなくても濡れるんだぜ? 恐怖で洪水になんだ。だから俺はヤリながら殴って、髪を掴んで振り回してさ、そのたびにいい具合に締まる。出す時はわざわざカウントしてやるんだ。そしたらみぃんな、これからさんざんヤリまくんのに、いちいち悲鳴上げやがる! ひゃはは! おもしれぇだろ!?」


「ふぅん。それで、叫ばなくなったら殺すんですね」


「当たり前だろ? 壊れちまったもんは面白くねぇ! でもよ、どんなに壊れた女でも、殺されるってわかったら、また泣き始める。助けを求める。俺の足にすがりついてくる! 傑作だろぉう!? 自分からしゃぶって来る奴だっているんだぜ!?」


 興奮に任せて唾を飛ばす男を、奈緒は冷静に見下ろしていた。なぜなら男の自慢話はありきたりすぎて、奈緒にとってはもはや聞き飽きてしまった茶番劇だったからだ。


 奈緒は、仕事で人を殺す前に必ず相手に質問をする。「どうして殺したの」と。奈緒にとって拷問は、仕事をこなす道具であり、話を円滑に聞き出す手段でもあった。


 大抵はこの男のように胸糞悪い話しか聞けない。同情に値する人間はごく稀だ。それでも奈緒は、半ば義務のように質問を繰り返す。


 命を奪う者の言い分を聞きたかったから。

 命が奪われる悲惨さを、忘れたくなかったから。


 仕事殺しを繰り返すうちに麻痺してくる罪悪感、嫌悪感。だが奈緒はこの自分の行為を"仕方のないこと"におとしめたくはなかった。


 しかし依頼を受けた時からそんな予感はしていたが、今回はやはり、ろくでもない理由しかないようだ。奈緒は無意識の内に握りしめていた拳を開いてため息をつく。


 男が息を切らせて言葉を途切れさせた所で、奈緒は男の言い分をまとめた。


「おじいさんが人を殺すのは、それが最高に楽しくて気持ちが良いから。それだけ? 後悔はないの? 遺族に申し訳ない気持ちは? 罪悪感って知ってる?」


「はぁ? そんなもんあるわけねーだろクソガキが! 俺が気持ち良ければいいんだよ。後悔なんぞ知るかぁ! 好き勝手やって何が悪い。ああ、でも遺族? には感謝してるんだぜ? あんな良い悲鳴上げる女産んでくれてありがとうございましたってなあ! ついでだからもう三人くらい産んでくれよ! 俺がおもちゃにしてやるからよお!」


 いい加減に、ふたをしていた心から嫌悪感が溢れだした。


「な〜るほど、これは存在が罪深い」


「──んんっ!?」


 聴くに堪えない騒音をまき散らす男の口を、奈緒は改造した医療用ホッチキスで縫い止めた。男は悲鳴を上げようとして、呻き、涙ぐむ。口を開けようとすると肉が裂けるからだ。


 奈緒はそのもう二度と開くことのない口に、丁寧にガムテープを巻いた。鼻だけで必死に息をする男が奈緒を睨みつけている。


 それに少女は、にっこりと笑った。


「おじさん知ってます~? 古い時代には拷問や処刑は一般市民にも公開される、一大エンターテイメントだったんですよ。ほんっと酷いですよねぇ。人間のやることとは思えませんよまったく。なんで、みんなそれを酷いと思わずに笑って見てられるのか、おじさんわかります~? それはね、罪人を同じ人間として見てないから」


 男が息を呑むのがわかった。これから自分がどうなるのか、脳みそが下半身についている身体でも理解できたのだろう。


「いわゆるマグロの解体ショーですよ。同じ生物だと認識もしてないんです。だから、どれだけ泣き喚こうと心に響かない。でもでも、あんまりうるさいと、こっちの耳が痛くなるでしょう? だからおじさんには、お口にチャックで~す!」


 ウインクしながら奈緒は小型のナイフを取り出した。男の服を引き裂いて、今度はその皮膚を剥ぎ取りはじめる。大きな皮膚片が取れると剥いたミカンの皮を自慢するように男の前に掲げてみせた。その度に男が呻きを上げる。


「あはっ、苦しいですか? 大丈夫。すぐに死にはしませんって。でも、生き残ることも許さない。だって、命を奪った罪は命じゃなきゃあがなえないんですから」


 手を止めることなく動かしながら、奈緒は歌い始めた。


「火責め水責め串刺し刑。異教徒は二匹のワンコと逆さ吊り。

 百人殺した英雄と、万人殺した独裁者。

 ギヨタン博士の安楽ギロチン、落とした首でお城ができる。

 はりつけ巻き上げ関節外れ、神の設計より大きく伸びたその手足はなんだ? 

 それはもちろん、エクスター公の娘と結婚したのさ!」


 皮の次は肉を丁寧に少しずつそぎ落としていく。そうやって何時間も、絶え間なく響いていた男の呻き声がやがて小さくか細く消えていくと、奈緒は歌うのをやめた。


 表情を掻き消し、冷徹れいてつな瞳で痙攣けいれんする男の身体を見下ろす。


「…………ほんっと、悪趣味で嫌な仕事。でも、続けなきゃ」


 誰に言うでもなく呟いて、奈緒は男の頸動脈をナイフでえぐりとった。


 心臓の鼓動こどうに合わせて噴き出してくる血が、奈緒の顔を真っ赤に汚す。


 奈緒は自分の作り上げた死体を証拠として写真に収めた。それを依頼主のもとに送れば仕事は終わりだ。仲介者に報告したら処理業者に連絡して死体を片付けてもらわねばならない。


 早くお風呂に入りたい。そう思いながら、奈緒は顔に張り付く横髪を耳に引っかける。


「あと何十年かければ、『木蓮奈緒』は安らかに死ねるんだろ」


 呟いて、ランタンの電源を切った。もともと赤毛だった少女の髪は、この仕事を始めてから、より紅くなったような気がする。



 木蓮奈緒のもとに平賀真信に関する仕事が舞い込んだのは、この数ヶ月後のことだった。




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