隠匿された軋み
「よろしかったのですか」
奈緒を自宅まで送り届けて帰宅すると、静音は真信にもう一度確認をとった。
奈緒の住むアパートは町の外れにあり、往復に時間がかかったので他の面子はすでに就寝している。起きている者といえば、見張り当番が巡回しているだけだ。
和室には静音と真信の二人しかいない。
ちなみに、マッドは捕獲してす巻きにしたら寝てしまった。ので彼女が自分専用の研究室に改造してしまった倉に放り込んできた。お腹がへったらそのうち抜け出してくるだろう。
「それは奈緒のこと?」
真信が隣の台所から湯飲みを二つ持ってくる。慌てて受け取ると、お手製の冷えたシソジュースが注がれていた。
「はい。彼女が信頼できる人間なのか定かではありません。もっと時間をかけて人柄や身辺を調べてからでもよかったのでは」
「いや、今回のは向こうから接触してきたようなものだ。下手に遠ざけるより、目の届くところに置いて利用すべきだよ。それに学内に協力者が欲しかったのは本当だしね。こっちの人員を送り込めたら楽だったんだけど……」
「丁度いい年頃の人間は、マッドしかいませんからね」
社会的に深月や真信は高校に所属する生徒に過ぎない。辞める気がないのだから、一日の半分を過ごす場所に味方がいないのは痛手だった。
しかし高校生にとけ込めてなおかつ違和感のない人間が、真信の数少ない仲間からは用意できない。
「今町に残ってる十人の中に、十七歳前後の人はいないから」
他の生徒と年齢が離れ過ぎていれば余計な詮索を生んでしまいかねない。
潜入するならば徹底的に集団と同一化しなくてはならない。雰囲気や立ち振舞いを合わせれば大抵はなんとかなるが、学校という集団内では、外見だけは誤魔化せるものではなかった。
唯一歳の近いマッドはその点目立ちすぎるので論外だ。そもそもあの少女が大人しく退屈な授業を受けてくれるわけがない。
ならば教員としてならば紛れ込めるのではと意見が出たが、これは理事長である源蔵に却下された。
あの胡散臭い男の言い分はこうだ。
『ここは高等教育の場なのだ。せめて正規の教員免許を持ってくることだね。そもそもだ。教員の仕事は君たちが想像する何倍も激務だぞ? 事務員ですら定時で帰れる日はないのだから』
やれやれと首を横に振る源蔵の顔が思い出される。静音はその横っ面を殴りたくなったが、真信の対応は大人だった。
「源蔵さんの言ってることは間違いじゃない。強行して反感を買うメリットもなさそうだ。だったら内部から引き抜くしかないでしょ?」
真信の提示する妥協案。現実的に考えれば、それしか方法はないように思える。
「それはそうなのですが、せめてこちらで彼女の経歴を調査すべきだったのでは」
素性の分からない人間を内に抱え込むのがどれ程危険か、分からない真信ではないだろう。しかしジュースを一息に飲み干した真信は、静音の進言を否定した。
「必要ないよ。静音にはまだ言ってなかったけど、奈緒の経歴はわかってる。倉庫を掃除した時、源蔵さんから預かってきた」
真信から差し出されたのは、数枚の書類だった。
「京葉高校の入学志願者は全員、源蔵さんの手配で身元の確認が済んでる。これはその時の報告書」
言われて受けとると、そこには受験の願書と共に身元調査報告書が
「狗神の弱点は物量なんだってさ。圧倒的な物量で攻められれば狗神の処理能力を超過してしまうからって。
四方から銃弾を山ほど浴びせられ続ければ、狗神でもいつか押し負ける。たとえ狗神が無事でも、爆撃でもされれば深月ごと吹き飛ぶだろうしね」
当たった弾丸を消滅させ口に入った人間をこの世から消し去ってしまう狗神も、決して無敵ではない。
一度に消滅させることができる物量には限度があるし、狗神の形態のままでは使役者たる深月から遠く離れることもできない。
襲われれば対処法などないように見える怪物でも、案外と弱点はあるものなのだ。
そうはいっても脅威になるのは集団か、もしくは人智を越える呪術者のみ。個人相手ならば狗神が負けることはないだろう。敵勢力でなければ歯牙にかける必要もない。
「だから呪術者でなくても、入学志願者のうち、宗教法人とか何らかの組織に属している人間は弾かれる。奈緒はなんの組織にも属してない。けど殺し屋として働いてるからかな、結構詳しく調査されてたよ」
「すり替えや書き換えの可能性は」
「受験以降、仕舞い込まれてたらしいから、たぶん平気」
静音はシソジュースを飲みながら書類に目を落とした。奈緒が生まれた病室番号まで記されている。真信の言う通り調査は厳格に行われたらしい。
「ごく普通の一般家庭に生まれて……『九歳の時に両親を交通事故で亡くし、その後一年間は精神病院で過ごす』……」
「家族が死ぬ場面を目の前で見てしまったらしい。退院後は養父に引き取られたとあるけど、この養父はダミーだろうね」
養父についての調査もされていた。しかしその経歴は、見るからに偽造されたものだった。
「書類上だけの保護者ですね。裏の人間がよく使う手です。ということは、彼女はこの時から殺しの仕事を?」
ページをめくる。そこには殺し屋としての経歴が記されていた。
初仕事は十歳の時とある。
その後はいつも対象を拘束して拷問。喉を切り裂いて殺害することが多い。この手口から
以前は見境なく仕事を引き受けていたが、中学生になってからは対象をいわゆる"悪人"に限定していた。そのおかげか、新たな二つ名でも呼ばれるようになっている。『
なぜ対象を限定し始めたのか。何かしらの心境の変化があったのかは、書面上からは推し測れない。
「…………」
静音は木蓮、という名前に聞き覚えがあった気がしていたのだが、この書面を見る限り木蓮奈緒は平賀と一切関係を持たない。
同じ苗字の誰かが仕事の対象だったことがあるだけだろう。静音は最後まで書類に目を通し、そう結論づけた。
紙束の角を揃えて少年に返す。真信は渡された書類を丁寧に折り畳んだ。
「どこかの組織との繋がりも、呪術者との関わりもない。今のところ協力者としては及第点でしょ?
そう言って微笑む真信の脳裏には、大切な少女の姿が浮かんでいることだろう。
真信は樺冴深月を信頼しきっている。彼女の行動が真信の指標になってしまっているのだ。
真信に仕える者として、本当は
他の元門下とは違い、静音は諫める必要はないとも思っていた。樺冴深月は人として強く正しい。ぼんやりしているように見えて、しっかり情勢を把握している。人を見る目も確かだった。
なので空の湯飲みを撫でながら、静音も同意する。
「えぇ、奈緒さんが悪い人間でないのは確かです」
真信が奈緒に渡した金は、静音が奈緒を送り届けた際に、大半を返されてしまった。
「てかこれ、さすがに多すぎです。要求された働きに見合いません」
玄関口でそうため息をつく少女は、心の底から呆れたような顔をしていた。
確かに一般的な報酬の金額より多いかもしれない。だが他の仕事を受けないという拘束に対する保証と、さらには口止め料も含まれているのだ。それほど途方もない額というわけでもない。
静音は自身の常識に照らし合わせて受け取りを辞する。
「それは真信様が必要だと考えて、貴女にお渡しになったものです。遠慮する必要はありません」
「いやいやいや、金銭感覚どうなってるんですか。これあたしの仕事何十回分の報酬だと思ってます? 平賀にいた人たちってみ~んなそうなんですかぁ? えぇっと、静音さんでしたっけ? あれ、苗字は? やっぱり平賀?」
「違います。苗字はありません。平賀の門下は付けられた名だけで活動しますから」
「なにそれ怖っ。じゃあ偽名なんだ。本名は知られちゃまずい的な?」
「本当の名は、平賀に拾われた時に捨てさせられました。もう覚えていません。他の者も同様でしょう」
「なんですかそれ、酷い! ジブリじゃあるまいし、親がくれた名前をなんだと思ってるんだか。…………ん? じゃあ、なんで真信先輩って平賀を名乗ってるんですか? 自意識過剰? 意識高い系?」
奈緒は好奇心に眼を輝かせてぐいぐい迫って来る。そんな少女の勢いにたじろぎながら、静音は答えた。
「それは、あの方が平賀ご当主の三男坊であらせられるので」
「――当主の息子!? あの平賀の? ええ~、樺冴に平賀から出奔して来た人たちが集まってるって噂は殺し屋界隈でも流れてましたけど。そんな中心人物がいるとかヤバ。てかそれ、あんま人に言わないほうがいいことなんじゃないですか?」
「貴女は協力者なのですから、隠す必要はないでしょう」
いつかは露見することだ。それに平賀との縁はほぼ切れているのだから、この情報は大きな切り札にはなり得ない。いま
隠して疑心暗鬼を生むよりも、今は協力者の信を得るほうが大事だった。
「……あ~そっか、そうですよね。じゃあ安心です。あたし、口は固いんで平気ですよ! 安全です!」
奈緒は親指を突きだしながら得意気に口角を上げた。
「いろいろ聞いて引き止めちゃいましたね。いやあはは、なんか話聞いてるの面白くて! とにかくこのお金、返しますから。あ、仕事分は先に貰いましたけど~。それじゃあ!」
ずいぶん早口に笑って彼女は玄関に消えた。人懐っこい少女だ。積極性がある分、深月とは違う意味でこちらのペースを乱される。
ここまでの道中でも平賀にまつわる質問が多かったが、それは仕方ないのかもしれない。
裏社会で出回っている平賀の噂は静音も知っている。確たる情報は一つもなく、規模も未知数。本拠地を知る者は外部にほぼいない。
その仕事ぶりも、鍵のかかった隣室の人間を殺せるとか、戦地の民間人を街ごと消して痕跡も残さなかったとか、嘘か本当か分からないものばかり。
そのため平賀の存在は裏の世界ですら都市伝説に近い。誰しもが名を知っているのに、誰も正体を知らない。
好奇心が湧くのも無理はないだろう。
今のところ奈緒の反応は良好だった。踏み込み過ぎず、かといって必要な確認は洩らさない。真信の言う通り当面の協力者としては申し分なかった。
それに、どちらにせよ奈緒単独が敵に回ってもさしたる脅威とはならない。
真信も同意見なのだろう。静音が視線を向けると彼も同じことを考えていたらしく、一枚のカードを取り出した。先日郵便受けに入っていたらしいあのカードだ。
差出人は不明。
だが文面は正しかった。
『──殺し屋がキミを見ている──』
確かに殺し屋はいたからだ。
「初めは奈緒が僕らに接触するためにこのカードを仕込んだんだと思った。けど彼女は身に覚えがないらしい。嘘をついているようには見えなかった。なら他にこのカードを仕込んだ人間がいるはずだ。警戒すべきはそっちだと思う」
相手が何を考えてカードを用意したのか、そのメリットが思いつかない。警戒が必要だ。強いていえば、そっちの状況はお見通しだぞという脅しだろうか。しかし、こちらの警戒を引き上げてどうしようと言うのか。
結局今でも一番怪しいのは奈緒だ。そして彼女が敵だろうと違おうと、静音のやることは一つだけ。
それが誰であれ、真信の障害になる者は必ず排除する。たった一人の大切な主のためならば、たとえ相手が身内だろうと決して
(私は貴方のためにあるのですから。貴方が命令するならば、どんな汚いことでもやりましょう。それが貴方自身を■すことでも私は──────違うっ)
一瞬頭に走ったノイズを否定すると、静音は軽い目眩を覚えた。持っていた湯飲みを取り落としそうになる。
これはまだ平賀で受けたマインドコントロールが解けきっていない証だ。個の存続より集団の存続を優先させる。それが平賀門下の在り方だった。
しかし。
(私はもう平賀の人間ではありません。真信様を裏切ることなどしない。……全ては貴方の、望むがままに)
居もしない神様へ祈りを捧げるように、静音は両の手で包んだ湯飲みに視線を落とした。
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