蠢動する鎮祭


 アカデミスタの動きがないまま日付は進み、ついに鬼追い祭の当日となった。


 真信は深月と二人、小里家の二階で最終確認を行う。


「たぶん、小里家が緒呉の家系と婚姻を繰り返したのは、自分の中になる鬼の因子を移して薄まらせるためだと思うんだー」


「移す? ……あ、類感と感染?」


 深月がそんなことを言っていた気がする。

 彼女は首肯した。


「そ、呪術の基本。触れれば移る。類似したものを同一と見る。そーいう原理を利用して、鬼は、鬼の因子を人に拡散して、逆に人の因子を取り込んだ。だから今の小里家は人間と変わらない姿をしてるんだと思う」


「そっか。でもじゃあ、今鬼の因子を持ってるのは、小里よりむしろ緒呉の人達なんじゃ」


「ううん。どれだけ移しても薄めても、血筋ってそれだけで力なんだよー。どれだけ擬態しても鬼の後裔こうえいは鬼の後裔に違いない。それに一つの鬼の血を何百人にも移したんだから、一人ずつ見たらもう薄すぎかなー。それだけで利用するのは不可能かも。だから今日見張っておくべきはやっぱり小里だよ」


「…………」


 深月の言い分に間違いはない。だが引っかかるものがあった。マッドから先日送られてきた画像と、その簡単な分析結果だ。


 映っていたのは、薬を浴びて肉と骨と化した血液。あれ以来、同じことをしてもあの結果にはならなかったという。あの反応が起きた原因はまだ解明中だ。


 ただ分かることがある。あれは鬼の因子と薬とに明確な因果関係があることを示していた。マッドからそれ以上の連絡はない。奈緒が言うには、千々石ちぢわ八潮やしおがマッドを止めているらしい。


 おそらく、マッドが呪術側に踏み込み過ぎないようにするためだろう。帰ってからその点に関しては協議を重ねる必要がありそうだ。


 真信は頭の隅でそんなことを考えながら、サンプルとして残していた粉薬を指で叩いた。


「でもこの薬は緒呉中に配られてる。住人にも関係はあるはずだ。もし薄まった血を使うとすれば、どんな方法になる?」


 問うと、深月は微かに視線を落とした。


「……やっぱり、あの子たちのお父さんはアカデミスタと繋がってるのかなー」


 そうでなければいいと、願う声音だった。深月は予想以上に双子たちに情を移してしまっているらしい。だが真信はもう、真実から目を逸らすことができない。


「そうとしか考えられない。確かに、小里螺剛らごうの行動時期とアカデミスタが動き出した時期は一致しない。けど、鬼の研究をしていた螺剛らごうにアカデミスタが最近になって目を付けたっていう可能性はある。利用されているのか協力しているのか、あれ以来螺合らごうは姿を見せていないから、確認はできない。ただ、最悪の可能性を考えておかないと」


 淡々と伝える。言えば言うほど胸が重くなる。真信は自分で思っているよりも、小里の人間に感情移入しているらしかった。


 深月は一つため息をつき、しばし思考を巡らせてから先の問いに答える。


「そーだねぇ……。薄まった血なら、集めればいいよ」


「どうやって?」


「簡単だよー。緒呉の人達を殺して溢れた血を、小里の子どもに飲ませればいい。食べることは力として取り込むことに繋がるから。同物同治どうぶつどうちって知ってる? 中国の薬膳やくぜんに対する考えかたの一つでねー。目が弱れば家畜の目を、心臓が弱いなら心臓を喰らえば治るっていう考え方。食もまた類感と感染なんだよ。鬼の因子も、また一所ひとところに集めてしまえば、現代でもそれなりに使えるのかもねー」


 ここ最近じゃ誰もやらないから確証はないけど、と深月は口を閉ざす。


 ということは、アカデミスタの実験とは、鬼の血を集めることなのだろうか。だとすれば祭の間、気をつけるべきは小里だけではなく、緒呉全体になる。呪術と無関係な住民を殺させるわけにはいかなかった。


 もとより緒呉の人間を殺す許可は帝から出ていない。深月達はあくまで原因究明と事態の解決のために送り込まれたのだ。深月に与えられた権限も普段より制限されている。


 樺冴の町周辺でならば、深月には全住民の生殺与奪が許されている。だがここは遠く離れた田舎町だ。同じに考えてはいけない。むしろ深月たちは、緒呉の人々を保護すべき立場にいる。


 公権力に仕える者は余計な縛りがあるのだなと、真信は改めて理解した。


 現段階で判明していることを踏まえ、今日の作戦を組みなおす。


 祭の主役たる小里柊に一名が常に付き添うことになった。これは真信の役目だ。静音と千沙ちさは双子を監視しながら緒呉の住人の様子を逐一観察する。そして深月は狗神鼠イヌガミネズミを走らせ、侵入者がいないかを見張ることとなった。


 こちらの人数が少ない中で、できるだけ手数を増やすのに狗神鼠イヌガミネズミは外せない。広範囲をカバーするため、深月は緒呉の中心付近で鼠の操作に集中することになった。祭の開始地点である神社は中心とズレているため、真信も彼女に付き添えない。全員がバラバラになってしまうが、スマホと無線で連絡を取りあうことで繋がりを補うことにした。






 早めの夕食を取り、祭りの準備に向かう柊の後を追う。途中まで道が同じ深月と真信はふと思い浮かんだことを話した。


「緒呉の人達にとって、鬼っていうのは自分たちを支配した恐ろしい存在だろう? なんでそれを祭にするくらい敬ってるんだろう。矛盾している気がする」


 祭だけじゃない。庚申こうしんの日も鬼の掛け軸を皆が広げる。恐れながらも信仰する。真信にはわけが分からなかった。


 だが深月にとっては自然な考えらしい。


「信仰なんて矛盾ばっかりだよ。もともと鬼って、悪であると同時に神様にもなるんだー。例えば、疫病をつかさどるのと同時に、疫病を吹き飛ばす力がある。自然への信仰だって、根底にあるのは自然災害への恐れだもん。強い何かには表裏の顔があるのが普通。一面だけじゃあ、人間の心は計れないから……。そ……それでねー真信……真信は……」


「うん?」


「えっと……わ、わた……私のこと……」


「?」


 いつもよりどこか歯切れが悪い。何か言いたげに真信の顔をじっと見つめてくる。どこか熱を帯びた視線に真信の心臓が跳ねた。深月は言葉を探すように、口を開いたり閉じたりを繰り返している。


「なにか僕に聞きたいことがあるの?」


 いい得も知れぬ気恥ずかしさが昇ってきて思わず尋ねると、深月がさっと視線をそらした。


「…………人の心って、難しいね……」


「そ、そうだね?」


 深月はそのまま無言で別れてしまった。いったい何だったのか。真信は一人首を傾げた。





 山に囲まれた緒呉の日の入りは都会よりも少し早い。空が橙色に染まり始めた十九時前、祭の準備が終わる。鬼追い祭は単純だ。神社を出た鬼役を、順路にそって追いかける。それを住人たちがつないで行って、鬼は緒呉を一周してまた神社に入る。それだけだ。


 順路には住民が集まり、ところどころで松明が燃える。外部から人を呼ぶことも、祭りのために外へ働きに出た若者が帰って来ることもない。身内だけのさびれた祭りだ。年寄りが気まぐれに出した揚げ物と焼きそばの出店が二、三個、順路沿いで明かりをいている。


 鬼役が神社を出るのは十九時ちょうどだ。だが住人たちは年に一度の祭を待ちきれないというようにすでに外へ出ていた。親戚を見つけては駆け寄り楽しげに話をしている。その足元を踏まれないようにちょろちょろと駆けまわるすす状の鼠のことには誰も気づかない。


 そうして人々が祭までの時間つぶしをしていた時、林の暗闇から突如体格の良い男達が現れた。


 十数人の男達は一様に同じ恰好をしていた。闇に紛れる黒いスウェットに肘当てと膝当て。胸には防護用のチョッキを着こんでいる。顔の半分を覆うマスクと目深に被った帽子で顔の判別もつかない。こんな男達は緒呉にいままでいなかった。鼠も彼らが侵入したところなど見ていない。


 見知らぬ人々に動揺する住人たちに向けて、男達は手にした銃を構える。


 そしてそのうちの一人が叫んだ。


「追え! 鬼はここで討ち取るのだ!」


 緒呉の民が事態を把握する前に発砲音がとどろく。幾人かが身体のどこかに銃弾を受け倒れた。それで住人は覚った。彼らは明確に、自分たちを害そうとしているのだと。


 一斉に悲鳴が上がり住人が逃げ出す。


 足を撃たれ地面に伏した老夫の一人が、迫る男達に向けて手をつっぱねた。


「ちっ、違う! 俺らは鬼じゃねえ! 鬼は小里の──!」


「違う」


 男が彼の言葉を遮り、顔を掴む。老夫が冷静ならば、その手が人の柔らかさと温もりを持たぬことも、よく聞けば声に機械音が混じっていることにも気づけただろう。


 だが生まれて初めて命の危機に陥っている彼にそんな分析はできない。男たちが遠隔操作された機械に過ぎないと気づけない。


 男は老夫に、背負っていた大きな丸鏡を突きつけた。


「追われるべき鬼は貴様らだ」


 そこに映っているのは人間ではなかった。口からはみ出た鋭い犬歯、髪を掻き分け伸びるつの。岩のように硬い肌は紛れもなく────


「おっ、鬼……」


 その姿を見とめた瞬間、老夫の傷口が粟立ち始めた。肉が盛り上がり、骨は拡張を始め、次第に元の体躯を失っていく。


 一人の異変は周囲にいた他の住人にも伝播する。彼らの変貌を確かめた機械人形達はいつの間にか姿を消していた。


 こうして住民たちは思い出す。自分たちは追う側の人間なのではなく、追われる鬼の側だったのだと。


 時間にして数分あっただろうか。

 祭でにぎわうはずだった順路沿いには、異形の怪物たちだけが呆然と立ち尽くしていた。






 耳につけたインカムに、次々と報告が入る。


『こちら深月。今のところ侵入者とかないよー。唯一緒呉に入れる一本道にも人影なし』


『こちら静音、その……申し訳ありません、さっそく菖蒲しょうぶさんを見失いました。すぐ探します』


千沙ちさだよ! こっちもちがやくん見失っちゃった。すばしっこいねこの子たち。山育ちの子どもなめてたわ~。動きが全然読めないんだもんさ』


「真信了解。深月も、狗神鼠イヌガミネズミが双子を見かけたら二人に教えてあげて」


『りょうかーい』


『お手数おかけします……』


 静音の通信で一度途切れる。真信は松明の並ぶ神社の参道に戻った。


 神社の一番奥にある拝殿へ足を向ける。そこには鬼の衣装に身を包んだ柊が座っていた。


 赤を基調とした長着に、濃い灰色をしたはかまだった。掛け軸に描かれていたものとはまた違う。祭りのために上等な生地でこしらえられたものだった。頭には金髪の被り物をしている。それがさらさらと腰辺りまで流れている。目元だけを隠している青い面は、このウィッグと繋がっているらしい。


 なんだか鬼というよりも、宮中にいる高官のようだ。


 柊と真信以外、人はいない。住人はみな順路の途中でそれぞれ集まっているはずだ。祭の主役が来るのを外で待ち構えているのだ。


「なんだか、普段の髪の毛もじゃもじゃなほうが鬼っぽいよね」


 そう軽口を叩いてみる。柊が苛立いらだたしげに眉をひそめる気配がした。


「俺もそう思うが、本人に言うもんじゃないじゃろ」


「そうしてると妹弟あのこたちと似てるね」


「そうかぁ? 顔が全然違うじゃろ。あいつらは母さん似じゃから」


「でも君たち、鼻から下は形がそっくりだよ。やっぱり兄弟なんだね」


「…………そうか?」


「うん」


「…………」


 素直に思ったことを伝えると、柊は押し黙ってしまう。機嫌を損ねてしまったのだろうか。顔の上半分が隠れているせいで、彼が何を考えているのか分からない。


 祭の開始まであと十数分になった。立ち上がった柊が、なぜか真信につめ寄って来る。


「お前ら明日の朝帰るんじゃろ? 最後に聞いておく、お前、本当は何者なにもんじゃ」


「えっ?」


 予想外の質問だった。彼の前で正体を疑われるようなヘマはしていないはずなのに。その疑問が顔に出ていたのか、柊が自分の耳を指先でつつく。


「俺は人より耳が良い。二階の会話も所々聴こえちょった。学がなくても分かる。お前ら、ただの大学生じゃないじゃろ。お前らにはあの薬がなんなのか分かるんか」


 仮面の奥で濁った瞳がギラリと光る。逃がさないためか首を掴まれた。真信の体が宙に浮く。脅威の怪力だった。喉を押さえられ息が苦しいが、それどころではない。この少年は今、なんと言った?


「待って、キミは本当に、あの薬がどういうものか知らないの? 知らないで飲んでいたのか」


「……緒呉で流行ってる病気の薬だと言われてる。材料がアレじゃからそんなわけないとは思ってたが。父さんが双子あいつらにまで飲ませようとしたのは始めてじゃ。父さんはあいつらに何をしようとしてる。知ってるなら話せ」


 真信はそれに答えようとするが、首を絞める力が強く言葉が出ない。柊はそれに気付いていないようだ。手の力を緩めようとしない。


 このままでは酸欠になってしまう。真信はズボンに隠し持っていた拳銃に手を伸ばし。


 銃声が、神社に鳴り響いた。


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