流転するは人の定め


 緒呉の地に銃声が響く。


 ひいらぎが真信から手を放した。落ちた真信は自分の手を見る。自分の拳銃が暴発したわけではない。もっと遠い場所からの音だった。では今の音はいったい?


 また音が聴こえた。遠くまでよく響く爆発音。それも一つじゃない。


「なんの音じゃ? 花火なんぞ上がらないはずじゃが」


「げほっ、今のは花火じゃない。銃声だ。何が起きてる!? みんな!」


 急いで無線に呼びかける。最初に反応したのは静音だった。


『こちら静音! 突然現れた男達が住人を襲っています。人ではありません、服で隠れていますが中は機械です! どうやら遠隔操作されているようで、私一人では対処しきれません!』


 次いで千沙の声も割り込んでくる。


『こっちも同じく! 鼠ちゃんも頑張ってるけど数が多い! それにおじ様おば様たちの様子が変だ。筋肉が盛り上がってまるで鬼みたいにっ』


『はい、住民の全員ではありませんが、約半分の方々が怪物のようになっていきます! それどころか、怪物化した方々が暴れ出していて──!』


 声の後ろで人々の悲鳴と怒声が響く。銃声はもう止んでいる。真信は階段まで走り、眼下の様子を視界に納めた。


 遠くに点在する松明の火。消えているものもあれば、支柱が倒れてしまったのか燃え広がっている場所もある。人影までは見えないが、あの辺りに人々は集まっているはずだ。


 迂闊うかつだった。侵入者だけを警戒していた。まさか機械が最後の引き金になるとは。恐らくそれらは真信達が来るずっと前から緒呉の地に運び込まれ、巧妙に隠されていたのだろう。


 やはり自分たちは、最初からどうしようもないほど後手に回っていたのだ。


「とりあえず、無事な人達を避難させるんだ。怪物の対処は後。機械の様子は?」


『襲撃後すぐ離脱していきます』


『──そいつらならっ、木影に着いてすぐっ電源落ちてるよー。使い捨てみたいっ』


 別の無線が入る。少し息が切れているがこの声は間違いない。


「深月! そっちは大丈夫?」


『うん。このへーんな機械? いちおう壊してるからもう動かないよっ。それより気をつけて。さっき緒呉おくれを包む結界が作動した。もうじき外と隔絶され──』


「深月っ!?」


 通信が切れる。深月だけではない、静音と千沙にも通じなくなっていた。スマホを取り出すが、こちらも圏外だ。


 真信たちが用意していた無線は平賀の技術で作った物をマッドが改良したものだ。そう容易くジャミングに負けるものではない。通信が途切れる直前、深月は結界がどうのと言っていた。どうやら想定外の何かが起きているようだ。


 すねに何かがぶつかる。足元を見ると一匹の狗神鼠イヌガミネズミがいた。深月が遣わしたのだろう。真信の体を駆け上ってくる。頭頂部に着いた鼠が髪の毛を引っ張るのと、肩を掴まれるのはほとんど同時だった。


「おいっ、なんか来るぞ!」


 振り返ると柊が神社の奥を指していた。鼠が示す方向も同じだ。


 林の奥から姿を現したのは、二メートルを超える巨漢。それも普通の人間ではない。角こそ生えていないが、肌は硬く浅黒く染まり、目は虚ろになっている。身体が膨張でもした結果なのか、破れた服が体に巻き付くようにして残っていた。


 その怪物じみた姿の生き物が、木々をなぎ倒して迫って来る。どう見ても正気には見えない。


 あれが報告にあった、緒呉の住人が変質した姿なのか。


「なんじゃあの化物バケモンは!」


「どうなってるんだ。鬼は小里家だけじゃないのか!?」







 すっかり日が山裾に隠れ、辺りは暗くなっていた。松明の火に照らされ、逃げ惑う人々の姿が闇に浮かびあがる。


「皆さん、落ち着いて向こうの暗がりへ! 声は殺して走ってください!」


 静音は鬼化した住人から、無事な住人を守るために奔走していた。


 鬼の動きは緩慢だ。走る園児よりも歩みは遅い。人らしい思考能力が消えているのか、大きな音や光に集まる習性がある。そのくせ目についたものを破壊せずにはいられない。その辺りの樹木ならばへし折ってしまう怪力を持つのが厄介だ。そして──


 鬼の一匹が老婆に迫った。静音は迷うことなくその足に銃弾を撃ち込む。しかし。


「っ! やはり効きませんかっ」


 鬼は一瞬態勢を崩したものの、傷口はすぐ消えて無くなってしまう。


 鬼は、脅威の再生能力を持っていた。手持ちの拳銃では足止めにしかならない。脳か心臓を狙えばあるいは。だが彼らが元緒呉の住民である以上、殺していいのか判断ができなかった。指示をあおぐべき主人との連絡は途切れてしまっていたから。


 自らおとりになって住民たちを逃がす。彼らにはできるだけ順路から離れた、光のない場所で静かにしているよう伝えた。時間稼ぎをしている間に周囲の様子を見渡す。


 もう残っている住人はいない。この付近で鬼化した者は三体、うち一体が静音を追いかけ、他の二体はぼんやりと松明の火を見ている。


 これなら、と。静音は鬼の隙をつき場を離脱した。


 順路沿いを少し離れて駆ける。逃げ遅れた者を探すが、鬼の姿はあれど住民の姿はない。鬼がのろまだと気づいて逃げ出したのだろう。あとは逃げた者たちが、鬼が光に集まってくることを理解していてくれればいいのだが。


 鬼のあの怪力では拘束するのは現状、難しい。ならば人間を近づかせないことを第一に考えねばならない。いくつかの鬼の集まりを見ていく。やはり人はいない。あったのは幾人か分の血だまりだけだ。浮いている死体は原型を留めていない。個人の特定はできそうになかった。


 犠牲者はゼロではない。一刻もはやく原因を究明せねば。


 そのとき、林の向こうに人影を見つけた。その影は丘状になった場所から鬼の様子を見つめたたずんでいる。静音はその顔に見覚えがあった。


(あれは……。アカデミスタに潜入している門下の。連絡が途絶えたと聞いていましたが、生きていたとは。確か今の名前は……刈浜かりはま、でしたか)


 静音は周囲に他の人間がいないことを確かめてから刈浜へ近づいた。現状に対する情報を得るためだ。


刈浜かりはまさん」


「おやぁ? これはこれは静音さんではないですか。お久しゅうございます」


 刈浜かりはまが振り返る。色白だからか、口元にだけ浮かべた人好きする笑みがくっきりと見えた。背が高く線の細い男だ。腰にコルセットでも巻いているのか、以前とは骨格から変わって見える。


 彼は平賀にいるとき、戦闘員と潜入部門とを兼任していた天才だった。千沙ちさ同様、潜入以前と今ではまとう雰囲気から違っている。静音は彼の目じりに浮かぶ陰鬱な気配に喉を鳴らしながら近づいた。


「説明を求めます。あの鬼に関して知っていることを教えてください」


「ああ、そうですね。はい、わたくししっっっっかりアカデミスタの動向を捉えております優秀なスパイですゆえ、この現状についても把握しております。さてどこからお話いたしましょうや?」


「なぜ住人が鬼に変貌しているか、という部分からお願いします」


「いいでしょう。まず、この緒呉に伝わる鬼の説話はご存知で? あれは伝わる途中で歪んでおります。真実は逆。緒呉に現れた鬼とは多数おりました。そして、被害者は一家族のみ。ここまで言えば、静音さんはお分かりでございましょう?」


 刈浜が試すようにウインクをする。静音はちょっと引きながら答えた。


「よもや、小里が鬼なのではなく、小里だけが人だったと……?」


「ええ、ええ。この地にこっそり住んでいた哀れな異国の漂流者は、鬼共に目を付けられ蹂躙じゅうりんされてしまったのです。指を喰い千切られ、純潔をはずかしめられ、鬼と代々交わり彼らに人の因子を与え続けることを強制された。いわゆる類感と感染、呪術の基礎でございます。鬼は小里から人の因子を手に入れ、小里は代わりに彼らの鬼の因子を溜め込むこととなった。そうして小里は本当の鬼と呼ばれるようになったのでございましょう。村人が只人となったのと同じように。そうしていつの頃からか人々の認識もそのようにひっくり返ってしまったわけです。現在鬼追い祭りとして伝わるこの行事も同じ。本来は鬼を追うのではない。普段は神社に閉じ込めていた人間を外に出し、逃げ惑う獲物を鬼たちが追って楽しむ悪趣味な催しが元となっているのでございます」


「そういうことですか……」


 静音は説明されて思い至った。真信がひいらぎから聞き出した『魔に呑まれぬ高潔な魂を』とは、どれだけ鬼に陵辱されようと精神の高潔さだけは保てという極限下での教えだったに違いない。


 深月が感じていた気配についてもこれで説明がつく。緒呉全体を覆う気配。それは誰か一人のものが蔓延まんえんしていたわけではなく、すべての住人たちからほんの少しずつれ出てていたものを勘違いしていただけだったのだろう。


 双子の浄眼ですら関知できないほどの微かな異常。祭りはそれを増幅させ、ついに人を鬼へと変えた。


 だが納得のいかない部分もある。


「しかし小里はこの緒呉で一番の富を得ています」


「ですが権力そのものは持ち合わせておりませんでしょう? よくあるお話ですよ。呪術は使役者を傷つけかねない代わりに、莫大な富を与える。そういうものなのですよ、は。ともかく、どれだけ人間に馴染んでもアレらの先祖は鬼。刺激してやれば本能のままにございます」


 そろった指先で眼下を示す。その先には鬼に変貌した住民同士が殴り合っていた。


 鬼の見た目はみな同じだ。筋骨隆々とし背丈はニメートルを超える。人間離れした茶焦げた硬質な肌に、黒々くろぐろとした針のような髪が生えていた。男女の別すら付きにくい。その指は三本の爪へと変貌していた。


 人をこうも異形の怪物に変える。それは科学にすら難しいことだ。おとろえた現代の呪術にそれほど大規模な術式を行使できる力があるとは信じられない。


「こんな荒行、どうやって……。深月さんはこんな大事、現代で行うのは無理だと」


 だが刈浜は簡単に答える。


「まあ、そうでしょう。ですが今、この緒呉は結界で閉じております。つまりこの緒呉こそが世界のすべて。世界そのもの。この緒呉の認識こそが世界の真実にございます。彼らが自分たちを鬼と思い出せば、その通りになる。もちろん、螺剛らごう氏の薬による仕込みあってこそではありますが」


 刈浜が肩をすくめる。静音は聞き覚えのある名前に意識を引っ張られた。


「そうです、小里螺剛らごうは何者なのです」


「彼は外部協力者です。螺剛らごうはこの緒呉の地でずっと人を鬼へと至らしめる研究をなさっていた。アカデミスタはそこへ協力を申し出たにすぎません。具体的に言えば、掘り返した鬼の干からびた首を提供し、緒呉の住民の中に未だ残る鬼のDNAを特定、それを増幅させる薬を完成させました。薬は思惑通り、住民の体にゆっくり馴染んでいきました。そして彼らを追い回し──ええまさに正しき鬼追い祭でございます──自らの真の姿を見せつけ、鬼の自覚を与える。あとは自然と発狂でございましょう。まさに呪術と科学の夢のコラボレーションにございます!」


 両手をかかげ、大げさなほどにくるくる回る。以前はこんな言動を取る男ではなかった。どうやら今の人格カバーに引きずられているらしい。


 あまりの動きと喋りの気持ち悪さに嫌悪感を抱きながらも、静音はつとめて冷静に話を進めた。


「アカデミスタの目的はなんです。この騒動を止める方法はあるのですか」


「目的はもちろん、ズバリ呪術の兵器転用。今回は人体の増強事例の観測ですが。この事例は緒呉という閉ざされた場所でのみ発動するもの。汎用化は難しいでしょうね。まあこうしてデータは取れました。後は知ったことではありません。解決? お国にでも任せていればよいのでは?」


「それはそちらの仕事は終わったという意味ですか。ではこちらの助力を願います。私は引き続き住人の避難を優先させますので、貴方は真信様にその情報をお伝えして──」


「できかねますねぇ」


「…………今なんと」


 予想外の言葉に静音の動きが止まる。真信を主人と仰ぐ人間が、真信のための行動を否定する? 耳を疑った静音が確認を問うと、刈浜はやれやれと肩をすくめてため息をついた。


「『できない』と申し上げたのでございますよ。アカデミスタの将来などどうでもいいですが、あの組織がやろうとしていることは面白い。扇動せんどうのし甲斐がある。真信様も、今回のことで我々の恐ろしさが身にみたでございましょう? それで私の目的は十分果たされております。わたくしは真信様のために働く小間使い。あの方のためにわたくし、これからもどんどんアカデミスタを盛り上げてまいります。あなた方の手伝いなどしている暇はないのでございますよ」


 その言い分はどこかおかしかった。真信のためと言いながら、今回のことはどう見ても真信自身の益にはならない。それに今まで行方をくらませていたのは彼の独断によるもののようだ。任務継続のために助力できないというならば分かる。だが彼の言い分は、まるで子供の我がままだ。


「自分の言っていることが矛盾しているのは分かっていますか?」


 つい責め立てる口調になってしまう。今が一刻を争う事態だとこの男は理解しているのか。

 だが刈浜は心底分からぬというように首を傾げるだけだった。


「はい? わたくしは真信様のためだけに──いえ、だったら手助けを……いえいえ、そんなに過保護ではあの人のためにはなりませぬ。やはりわたくしは自分の好奇心には逆らえませんので」


 言っていることに一貫性がない。まるで自分の感情のコントロールすらできない酔っ払いのようだ。


 そこで静音は、一つの可能性に行き着いた。それは潜入任務をこなす者が最も注意しなくてはならない現象。多くの者が恐れ、だからこそ千沙が透明にこだわる理由だった。


「貴方まさか、仮の人格カバーに呑まれて!?」


 腰をくねらせる刈浜を、静音は信じられないものを見る目で見つめた。

 元の彼は優秀な人材だった。そんなことは本来ありえない。だがそうとしか思えなかった。この刈浜という人格カバーはそれほどまでにが強いというのか。


 だが刈浜は、自分の現状を全く理解していないらしい。


「何を仰いますやら。わたくしはしっっっかりお役目を果たしているでございましょうに。それでは静音さん。お別れの刻限となりました。真信様にくれぐれもよろしくお伝えくださいませ」


「なっ、待ちなさい!」


 手を伸ばすが遅かった。刈浜の姿はどこかに掻き消えていた。闇夜に紛れて移動したか、何かしらの呪術を使ったのか。


「っああもう。よろしくなど伝えませんよ」


 どちらにせよ探している余裕はない。どこからか悲鳴が響いてきて、静音は反響を頼りにまた走りだした。


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