家族という繋がり


 神社に今度こそ発砲音が轟く。

 狙いはあやまたず鬼の腕を弾いたが、えぐれた肉はすぐ盛り上がってしまった。


「駄目だ、拳銃が効かない。すぐ再生されちゃう。なんなんだよこいつら源蔵げんぞうさんの親戚かな!? ひいらぎ君、たぶん殴っても意味はない。恐らく関節技のほうが有効だと思う!」


「ああ!? そんなもん知るかっ。俺は殴る蹴るくらしかできんぞ!」


 真信と柊は言い合いながら現れた鬼と対峙していた。柊は鬼と取っ組み合いをしている。横から真信が銃を構えるが、どんな攻撃を与えても効いている様子がなかった。そのためなかなか無力化できない。


(あの鬼、だんだんと動きが速くなってきてる。鬼の体に慣れてきたってこと? 厄介だな)


 鬼はなぜか真信を無視して柊ばかり狙って拳を振るっている。柊は必至にそれを避けていた。


「くそっ、邪魔じゃ! お前! これ持ってろ!」


 飛んできたものを受けとる。


「うわっ、カツラ?」


 仮面と一体になった人工の毛髪だった。確かにこんなものを被っていては動きづらいだろう。すると鬼の視線が目の前の柊から真信に移る。正確には、手に持った金色の髪へ。


「これかっ。柊君、拝殿の扉開けて!」


「!? ああそういうことか。よし!」


 意図を理解した柊が袖口そでぐちから錠前を取り扉をあけ放つ。真信はその中に金髪を放り投げた。


 鬼は目論見通りそれを追って拝殿へ駆けこんでいく。完全に中に入ったのを見て、柊が扉を閉めかんぬきを挿した。二人がかりで扉を押さえるが、鬼が出てこようとする気配はない。


「大人しくなったようじゃな」


「あの鬼は金髪フェチだったってことかな」


「知るかっ! ちっ、俺は螺剛らごうの所にいく。どう考えてもあいつが原因じゃろ」


「危険だ! それに菖蒲しょうぶちがやはどうするの? 行方知れずだけど」


「あいつらはずる賢い。鬼は足も遅かった。しばらくは上手く逃げるじゃろ。だがずっとはたない。……お前ら絶対大学生なんかじゃないじゃろ。警察かなんかか? なら頼む真信、お前が助けてやってくれんか」


「それはいいけど、お父さんがどこにいるか知ってるの? 僕らだって彼がどこにいるのか調べきれなかったのに」


「なんじゃ、そんなこと嗅ぎまわってたんか。小里の血を引く家長しか入れない結界が、うち所有の山の中にある。父さんはいつもそこで薬を作ってるんじゃ。今もあそこにいるじゃろ。あそこは今、家長である俺しか入れん。お前らにゃ無理だ。原因は俺が取り除く」


「そんな、じゃあどうして螺剛らごうさんが中に入れるのさ」


「俺のへその緒を持たせてる。それで入れるそうじゃ」


「……! 感染か!」


「なんじゃ、知ってるのか。大学生モドキはすごいな」


 感染呪術の理は、かつて接触のあったものは離れても影響し合うとする。人を呪うのに相手の髪や爪を使うように、その人間の一部を本人そのものとして見るのだ。だからこそ、かつて柊の体の一部だったへその緒をひいらぎ本人に見立てているのだろう。柊は頷き、拳をもう片方の手の平に打ち付けた。


「そういうわけじゃ。早くこんな意味の分からない事態は終わらせにゃ、あの二人に何かあったら、母さんに示しがつかないからな……。後は頼んだぞ」


「待って!」


 真信は駆けだそうとする柊の腕を掴んで引き留めた。


「どうしてあの二人を嫌っているのに、危険をおかしてまで助けようとするんだ」


 それが分からなかった。柊はずっとそうだ。憎んでいる存在を、どうしてこうも護ろうとするのか。真信にはその心理が理解できない。


 だって真信は、妹が処刑のために連れて行かれるのを、黙って見送ったのだから。憎い存在が消えるのに、ほっと息をついたほどなのだから。


 だから、同じであるはずの彼の心を理解したいと思った。


 真信が答えを得るまで手を放さないと覚ったのだろう。柊は頭をガシガシと掻いて、舌打ちと共に話し出した。


「ちっ、いいか、一度しか言わんぞ」


 心底嫌なことを思い出すように顔をしかめる。


「俺は確かにあいつらを憎んでる。あいつらが生まれなければ母さんはああも早く死なずにすんだじゃろう。俺の母親を奪ったあの双子が俺は、死ぬほど憎い。母さんを壊したあの男の子供が心の底から憎くて憎くてたまらん。あんな奴ら生まれてこなければと、思わんかった日はないくらいじゃ」


 人が生まれ持つ善性などすでに怒りで塗りつぶされたと言わんばかりに、その眼光には薄暗い憎悪がわだかまっている。犬歯をむき出し吐き捨てる言葉には胸のうちに積もり凝結された棘が端々にひらめいていた。


 だがその憎悪がふと揺らぐ。クマの浮かぶ目元が弱々しく痙攣し、吐息は苦しげな熱を帯びた。けれど柊は決して、目前の真信から視線をそらさない。


 己の真意を問う少年を見据え声を張り上げた。


「だがな、俺はあいつらに死んでほしいと思ったことだけは、一度だってないんじゃ! どれだけ憎くても生きていて欲しい。だから俺はあいつらを助けなきゃならない! お前も力貸せ!!」


 自分でも消化できない矛盾を抱え、それでも柊は力強く叫ぶ。そこには紛れもない、家族を想う兄の切実が存在していた。


 だが真信にはなおのこと分からない。


「どうして……。たった半分血が繋がってるだけの妹弟きょうだいにそこまでできる。憎んでいるなら、どうして」


「半分じゃろうと、似てなかろうと、唯一残った血の繋がりじゃからな。俺は頭が悪いから、お前が何をそんなに気にしてるのか分からんし、上手く言葉にもできない。これは理屈じゃない。──家族じゃから。俺があいつらを守りたいと思う理由は、それだけじゃ」


 これ以上の言葉はないと目線にだけ意思を込め、少年の顔が山の方へ向く。拳を強く握り締めて決意と共に山道へと走り去っていった。


 真信はそんな彼を呆然と見送った。


 なぜだろうか。根拠も不明なめちゃくちゃな理論が、不思議と抵抗なく胸に落ちた。


 真信の頭には、なぜか柊の背中ではなく、あの日連れて行かれて二度と帰らなかった妹の姿が浮かんでくる。


「そうか……」


 ぽつりと呟く。


「僕はあの時、永吏子えりこのために泣いてよかったのか」


 真信は永吏子がいなくなればと、ずっと思っていた。憎んですらいたと思う。けれど同じくらい、彼女に生きていて欲しかった。


 大切だったから。

 真信にとって唯一と言える家族いもうとだったから。


 どれだけ感情が矛盾していても、真信が永吏子を想っていたことに変わりはない。


 愛は無償なのだ。押し売りなのだ。相手の気持ちなんて関係なく、きっと自分の気持ちすら関係なく生まれてくる。だから自分の負の感情にだって、簡単に掻き消されるものじゃない。


 そんな多くの家族が当たり前に育んでいく家族愛の正体を、真信はようやく知ったのだった。






 その頃、深月は双子の片割れ、菖蒲しょうぶを拾い移動していた。


 双子はどうやらバラバラに行動していたらしい。ちがやの姿は付近になかった。その代わり鬼に見つかり、二人はこうして駆け足で逃げている。だがずいぶん素早く動けるまでになった鬼を振り切ることができない。


「ミツキ! あの鬼ずっと追いかけて来るぞ! あの犬に乗って逃げられないんか? ていうか走るの遅っいなぁ! 都会人みんなそうなんか?」


「これでも……田舎者、なんだけどなー。ごめっ、ちょっと休憩」


 立ち止まると、深月を引っ張っていた菖蒲の手が前に進もうとつんのめる。菖蒲は後ろに迫る鬼の足音を気にしているようだ。


 深月は怯えを隠せていない彼女に微笑みかけ、足元に小ぶりな狗神を出現させた。


「ほとんどネズミに使ってて移動まではできないけど、浮くだけならなんとかなるよー。ほらわんこ、頑張って」


 狗神が浮き上がる。その動作にいつもの機敏さはない。二人を乗せてやっと上空五メートルほどにまで上昇した。その遅さはまるで己が主を見習うかのよう。呪詛の半分以上を狗神鼠イヌガミネズミに費やしている今は、普段のような出力は望めなかった。


 だが鼠を呼び戻すことも難しい。鼠だけでは超再生能力を持つ鬼を足止めすることしかできない。だが、その足止めがなくなると簡単に散ってしまう命が、今の緒呉にはまだ溢れていた。


 それに、狗神を万全に戻し過ぎると鬼を殺してしまう可能性もあった。


 緒呉の住人はおよそ七十名ほど。その約半数が鬼と化している。彼らを元の人間に戻す方法があるかどうか分からないうちから、あの鬼たちを絶命させるわけにはいかない。


 深月は遠くに松明の火たちを眺めながら、打開策を探した。そして、隣で辺りをキョロキョロと見渡している少女に向き合う。自分には壊すことしかできないが、この少女には別の力がある。そのことを思い出したのだ。


「菖蒲ちゃん、あの鬼が元は誰だったかその目で見えない? 鬼とか妖怪とかってねー、正体を見破られると力を失うことがあるんだよ。だから人間としての正体を浄眼じょうがんである君たちが言い当てれば、あの力も弱体化すると思う」


「鬼どもはみんな同じ顔じゃ! 分からん! 当てずっぽうじゃ駄目か?」


「駄目だねー。んー、やっぱりちがやくんと合流しないと駄目かー」


「兄さまならたぶんあっちにいるぞ」


「分かるの?」


「なんとなくな」


 菖蒲が指さす方はただの暗がりだ。だいぶ遠いから互いの姿が見えているわけではあるまい。双子ならではの直感だろうか。


「んなことより先に兄さん──ヒイラギを助けないと! もう鬼に喰われてたらどうすればいいんじゃ!?」


「大丈夫だよ。ひいらぎさんには真信がついてるから」


「マサノブじゃ全然安心できんぞ! あいつ料理以外にとりえあるんか!? 犬出せる!?」


「わんこは出ないけど、ちゃんと強いよー。そんなにひいらぎさんのこと心配? でも嫌ってなかったっけ?」


「もっ、もちろん嫌いじゃ! でも──。…………」


「でも?」


 少女は勢いこんだ言葉を無理矢理飲み込むように口ごもる。そんな菖蒲しょうぶの顔を覗き込み、深月は優しく続きを促した。他に聞いている者もいないからだろう、菖蒲は苦し気に顔を歪めながらも、ぽつぽつと言葉をこぼし始める。


「あいつは……、ヒイラギは私たちのためだけに、嫌いなはずのラゴウを“父さん”って呼ぶんじゃ。長男がアレを父と認めないと、下の妹弟きょうだいが可哀想じゃからて。それだけでもう、兄さんは兄さんなんじゃ。じゃろ?」


「うん、そうだね」


「それにな、あいつは私たちの世話するために、自分は学校にも行ってないんじゃ。私らのせいでヒイラギの人生は縛られてる。ヒイラギなんて大嫌いじゃけど、でも、このおっきな借りを返さないと、どうにも目覚めが悪いんじゃ……」


 寂しそうに眉を寄せ、力なく項垂れる。言っているうちに悲しくなってしまったらしい。深月はそんな少女を元気づけるために、肩を叩いてにこやかに微笑んだ。


「そっか。じゃー、困ったお兄さんを守ってあげないとね」


 そう言うと、菖蒲は頷いて顔を引き締める。


「うん。ヒイラギはな、たぶん、ラゴウのとこに行くと思う」


「お父さんの居場所、分かるの?」


「分からん。私らも山の中のあいつの職場ずっと探してるけど、見つからないんじゃ。もう何年も会ってないし、そろそろ顔も忘れる」


「お兄さんと違って、お父さんはお父さんしてくれてないんだねー」


 なんとなくそう思って言うと、菖蒲しょうぶは思いのほか強く頷いた。


「じゃから、あれは父でも家族でもない。私らの家族はヒイラギだけじゃ。ヒイラギになんかあったら、私らはラゴウを許さない」


 眉をつり上げ拳を握る。深月には彼女の言いたいことが分かる気がした。


 血がどれだけ繋がっているとか、戸籍がどうなっているとか、家族とはそういう問題ではないのだ。相手が自分を家族だと認めてくれるなら、自分もそれに応えたい。応えられなければ、対等な家族になれた気がしなくて素直になれないのだろう。


 この幼い少女の中には、深月ですらやっと最近気づき始めた愛情が、しっかりと育っている。それはあの兄が不器用ながらも、家族として双子と向き合っていたからかもしれない。


 菖蒲の願いを叶えてあげたい。そう思って深月は降りて移動するために下を見る。しかしそこでは三体もの鬼が、こちらを見上げ捕まえようと手を伸ばしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る