ホウモツ


 樺冴かご邸からの帰路の途中で、真信まさのぶは得た情報を脳内で反芻はんすうしていた。


 狗神の裏世界での立ち位置や、呪術の基礎知識。聞き流しているように見えながら、真信は一字一句漏らさず記憶していた。

 その内容を全て理解できているかとなると話は別だが。


 イヌガミハゲドウトノイミョウモアリヤシキガミトマツルチホウモ……。

 頭の中で音だけが回っている。


 長い電報を読まされているようだ。知らない単語や概念が多すぎてどんな字を当てればいいか予想もつかない。


(源蔵さんにもっと質問とか出来ればよかったんだけど。……あまり突っ込みすぎても抜け出せなくなるしなぁ)


 必要なのは生存を選択するために最低限取得するべき情報だ。専門家になりたいわけではないのだから、無駄に知識を増やせばいいということでもない。


 ちなみに源蔵は一足先に、『その調子でよろしく頼むよ』と真信に耳打ちして帰っていった。


 その調子、ということは、今後真信は深月の食事も用意すべきなのだろう。当初想定していたよりも仕事が多い。


 けれど不満はない。人の世話というのも慣れないなりに楽しいものだった。


 それに、と真信は考える。


(深月のあの体力のなさ。いままでどうやって生活してたか不思議なくらいだ)


 学校への二十分もない道程で彼女はあそこまで疲弊ひへいしていた。さりげなく脈まで確認したから演技でもない。寝転がってばかりいるのも納得である。


(それにしては家が綺麗すぎるけど……。ハウスクリーニングでも頼んでるのかな)


 外部の業者を招くなど裏稼業の家にあるまじきことだが、真信にはそれくらいしか思いつかない。


「──もちろん、こんなヘタな尾行も裏稼業にはあるまじきことだけどね。出てきなよ」


 言いながら後ろを振り向き、真信は誰もいない往来を見つめる。


 真信にはわかっていた。この街に来てからずっと、自分を監視する目があったことを。それは今日の朝も、夕方にもあった。そして今も。


 じっと一点を見つめていると、角の暗がりから一人の身長の高い人物が現れた。


 スーツを着た仕事終わり然とした二十代半ばくらいの短髪の女性だ。


 しかしその目つきは普通のOLとはお世辞にも言えない。鋭く、相手の心の隙間まで観察しようとする、人殺しの目だ。


 彼女は真っ直ぐに真信へと近づく。

 そうして二人の距離がほんの数メートルにまで縮まった所で、女性はおもむろに彼の前にひざまずいた。


 黙したままの女性へ、真信は意識を切り替えて話しかける。


静音しずね、どうして此処ここにいる。これは誰の指示だ。親父か? 次兄つぎにいか?」


 真信は女性の行動に一切の疑問を抱かず当たり前のように詰問する。その声はいつもの彼よりも数段ドスの効いた、荒々しい口調だった。


 静音しずねと呼ばれた女性は低く落ち着いた声で答える。


余人よにんの指示ではありません、若。これは私の意思です。突然姿を消された貴方を、我々はお捜ししていたのです」


 静音は顔を上げない。真信はポケットに指を差し込みながら、さらに続けた。


「昨日までは兄上の所の下っ端が監視をしていたはずだ。あれはどうした」


「私の一存で帰しました。私は真信様の付き人ですから、階級は私が上です」


 簡潔な説明に真信は軽く頷く。


 真信の父親は表沙汰にできない仕事を請け負う組織の当主だ。『平賀』といえば裏社会では誰もが一度は耳にするほど有名な存在だった。


 しかしその実、平賀の実態を知る者はほとんどいない。


 暗殺、戦争代理から諜報など。どんな依頼も金次第で完璧にこなす。当主が一人、手下達はそれぞれ戦闘力だけでなく各分野のスペシャリストがそろっている。……他所に漏れ出る噂はその程度だ。


 依頼についても同様で、十年間行方不明だった人間を三日で探し当てたとか、米国一のセキュリティを誇るホテルで日々諜報戦を繰り広げているとか。果ては民間人百名を一晩のうちに殺してその痕跡すら残さなかった、など。どこまでが本当でどこからがホラなのかわからない。


 だが、組織の中心部にいた真信はさらに深い闇まで知っている。


 高い機密性。

 百パーセントとまでいわれる依頼の達成率。

 使い捨てのように酷使されていく、門下と呼ばれる五百人を越える手下達。いや、門下だけではない。たとえ当主の息子であろうと失敗は死に直結する。


 それに誰も違和感を覚えない。そんな異常なほど統一された組織を維持する圧倒的なカリスマ性を持つのが、真信の父親だった。


 冷たい激情と猛火のごとき冷静さで他者を圧倒し支配する。それこそ怪物のような男。


 真信自身も幼い頃から父の下で多くの依頼をこなしてきた。静音はそれを補佐する付き人という立場にある。


 当主の実子の付き人にはそれ相応の権力が与えられた。静音はその上司命令で兄の手勢を全て帰らせたのだ。強引な手段ではあるが長兄は穏便派だ。無闇に反発はするまい。


 そこまで思考を巡らし真信はため息をつく。同時に、彼の表情は普段の柔らかいものに戻っていた。


「それで、そこまでして他勢力を追い出した静音達の目的はなに?」


 降ってきた軽い声音に、静音が顔をあげる。そこには苦しみに満ちた悲痛な表情が張り付いていた。


「どうかお戻りください、真信様。我らが平賀ひらが一門。次期当主に相応しいのは、貴方様の他におりませんっ」


 叫びたいのを必死に堪えたような、圧し殺した言葉だった。


 しかし真信はそれを柳に風と受け流し、首を横に振る。に付き合ってやる筋合いはないのだと。


「金次第でどんな汚い仕事も請け負う。僕はそんな平賀に嫌気が差して逃げ出したような人間だ。当主の器じゃないよ。それに、それは方便でしょ?」


「それは、なぜ……」


 にこやかに告げる真信に静音は困惑を示す。その表情を見て真信は、うまいものだと感心した。


「目的は樺冴かご家に隠されている物だよね。誰の依頼か知らないけど、僕から情報を得ようとしても無駄だ。僕はしがない下僕なんだから」


 樺冴の名前で静音の顔色が微かに変わった。それだけ視認し、真信はきびすを返す。


「真信様! お待ち下さい、真信様っ!」


 背後でなにやら自分を引き止めようとする声がする。


 その叫びを全て意識から閉め出し、真信は無表情のまま、ただ指先でポケットの中の冷たい鉄の感触を弄んだ。






 ────樺冴家の狗神は、通常の犬神とは役割からして違うのだ。


 源蔵はそう真信に説明した。


「樺冴の狗神は、敵対者を殺すだけではなくてね。とある宝を守っている」


 止めようとする深月を手のひらで制止し、源蔵は続けた。


「君も、誰かに利用される前に知っておいたほうがいい。だから話しておくよ。この樺冴の屋敷には、三種の神器の精巧な複製が隠されているのだ」


 三種の神器と聞いて、真信は初め冗談だと考えた。なぜならそれは、教科書にだって載っている有名なものだったからだ。


 三種の神器とは、天孫降臨の際にたまわったとされる宝だ。


八咫鏡やたのかがみ

八尺瓊勾玉やさかにのまがたま

草那藝剣くさなぎのつるぎ


 この三つからなり、現在では皇位のしるしとして伝えられている。


 保存先の神主どころか所有者である皇室ですらそのご神体を見ることは許されず、神器の姿を実際に見たものはいない。


 同種の逸話に連なる宝物ほうもつなら存在するが、神器の複製そのものが作られていたという話は聴かない。


 それが、東京からも京都からも遠く離れたこの九州の田舎町にあると言われて、誰が信じるというのか。


「いやいや、本当にあるのだよ。どういう経緯でここにあるのかは、さすがに機密事項だが。

 だからこそ日本国にあだなそうとする者は、危険と知りつつもこの樺冴家を無視できない」


 先に言ったとおり三種の神器を見たことのある人間はいない。文献やら専門家の推測を繋ぎ合わせたイメージ画像ならあるが。


「複製品も歴史が古く、正直に言えばどちらが本物かという議論になれば永遠に決着がつかん。

 もし樺冴の持つ贋作を国敵が手に入れ、それを持って親王を名乗っても、誰にもそれを否定できないのだ」


 ほぼ同時期に造られた一対の神器。片や真作として名を広め、片や贋作として存在を秘匿された。


 当時のことを知る者などいない。古文書の真偽は現代の人間にはなかなか判別できぬ。当事者の主張だけが事の正否を告げていた。


「旧皇室典範、第十条には『天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚せんそシ祖宗ノ神器ヲ承ク』とある。つまり、三種の神器の継承をもって皇位の継承とする、ということだ」


 帝を継ぐために必要な神器。皇位を証明する物。もし、現存するものこそ偽物で、本物を持つ人間が現れたら……。


(一時的にせよ歴史が、いや日本の根本がくつがえるかな。その混乱に乗じれば、まぁできる)


 最も混乱をきたすのは日本の上層部だ。そこが揺らげば足元を崩すのは簡単なのだ。


 そして未だ皇室の神聖を信じている老人世代にも、動揺が走るのは想像に固くない。


「先に言った通り、樺冴家の守る複製は歴史も古く、真作の可能性すらある貴物だ。呪具として見ただけでも相当貴重でね。恐らく現代ではもはや不可能とされる高位の神霊、それも国造り級の神を降ろす依りしろにすらなりえる。下手な人間の手に渡ればこの世の終わりさ。

 まぁ、そんなわけで皇位云々を抜きにしても、呪術者ならば喉から手の二本、三本は出るほど手に入れたい逸品だ。狙う人間は多い」


 そんなものをどうやって今まで守ってきたのか。真信がそう尋ねると、源蔵はにこやかに答える。


「複製の隠された部屋には樺冴家当主しかたどり着けないようになっているのさ。つまり、樺冴の狗神を継ぎ使役する者にしかね。それ以外の人間には、見つけることも触れることもできない。

 ゆえに敵は深月とこの屋敷を狙いつつも、それを破壊することはできない」


 源蔵は一つ咳払いし、真信の表情を確認してそれを告げた。


「奴らが狙うのは深月の精神こころだ。操り、または崩壊させ、深月自身に神器を取り出させようとするのだよ。君も、利用されないように気をつけなさい」



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