お地蔵さま


 今朝も昨日と同じような朝だった。

 違ったのは深月が自分で歩いて登校したことだ。昨日あれだけ栄養を摂ったからか、胃もたれだと言いつつも少女の顔色は良くなっている。



 倒れかけの深月を引きるようにして真信が教室に入ると、先に来ていた常彦つねひこが友人たちの輪の中から真信たちに目を向けた。


 一瞬顔を逸らそうとしたが、なにやら葛藤したあと真信の隣、すなわち彼本人の机へと向かってきた。


「昨日は悪かった」


 唐突に深く頭を下げられ、真信は言葉に詰まる。深月は机に頬杖をつき横目でその様子を観察しているようだ。


「でも、婆ちゃんを悪く思わないでくれ。あの人古い時代の人だから、頭硬いだけなんだ。俺からも言っとくからさ」


 切実に常彦は謝罪の意を示す。いや、これは謝罪よりも釈明に近い。それほど常彦は祖母を大事に思っているのだろう。その想いが強く伝わってくる。


「わかったから、とりあえず頭上げて?」


 真信はクラスメイトの視線が集まってきているのに焦りを覚えて常彦の肩を叩く。


 この件はこれで終わり。その意図を含ませたものだったのだが、予想外に今度は斜め前に座る深月が常彦へ話しかけた。


「ねぇ、お婆ちゃんから何を聞いたの?」


 椅子の背で組んだ腕に顎を乗せ、深月は常彦に訊いた。どこか蠱惑こわく的な笑みだ。人の考えを見透かしたような意地の悪い微笑みだった。


 一見可愛らしく見えてしまうのは深月の容姿が平均より優れているからだ。本来は人の怒りに触れかねない態度である。


 深月がわざとそういう表情をしていることに気づいた真信は、緊張に喉を鳴らして常彦の出方をうかがった。


 常彦は深月の表情から何かを読み取ったようだが、すぐに口惜しそうに顔をしかめ奥歯を食い縛る。


「それ、は────。……いや、なんも聞いてねえ」


 そう言うわりには深月へ近寄ろうとはしない。たとえ信じてなくとも、教えられた情報は無意識に本人の行動を制約するようだった。


 昨日の老婆の態度から何を吹き込まれたかは安易に想像がつく。


 全国に根付く犬神憑きの伝承には残酷なものが多いと、真信は昨日知った。呪い殺される、物が腐る、家が潰れる……等々。大抵、大切は物ほど犠牲になる。


 そういった伝承と樺冴家の狗神との間にどれだけ類似性があるのかはわからない。

 だが伝わる伝説など、どこへ行ってもだいたい同じだ。常彦が聞かされたのもその類いだろう。


 それを言わないのは深月に気を使っているのか。あるいは祖母を庇っているかだ。


 どちらにせよこの場で怒鳴り散らさないだけ常彦は理性的な人間だった。


 あくまで低姿勢を貫く常彦に真信は安心した。


「深月もそんなに気にしてないみたいだからさ。それにほら、迷信深い人ってけっこう多いし。特にこの町ってやたらとお地蔵さまたくさんあるしね。あれはなんでだろ」


 話をらそうと思い付いたことを口にした。以前から感じていたことである。この町には至る所に地蔵が置かれているのだ。その数はどこか異常にも思えるほど。


「あ、あぁ、確かにそうだな。七月にはデカイ地蔵祭りもあるし、そのせいかもな」


 真信の疑問に常彦が賛同した。しかし地蔵祭りと言われてもピンとこない。真信の地元にそんな祭りはなかったからだ。


(もう一押し……)


 それに……と、真信は続けて疑問を投げかける。


「それに僕の見たことあるお地蔵さんって、みんな赤い襟巻えりまきみたいのつけてたんだよ。でも、ここのは首になにも巻いてないでしょ? なにか意味があるのかなって」


 これには常彦も押し黙ってしまった。いくら地元にありふれた物であろうと、由来を知っているかと言われれば困ってしまうのが人間である。


 話を逸らせたのは良かったが、一度出た謎を放っておくのも居心地が悪い。腕を組み唸ってみるが知らない答えは出るはずもない。


 迷宮入りかと思えた問いに答えたのは、意外にも深月だった。


「それねー、襟巻きじゃなくてヨダレかけだよ。真信が見たことあるのは、たぶん子安こやす地蔵じゃないかなー」


「「なにそれ」」


 聞きなれない単語に男二人がそろって深月へ詰め寄る。深月は狭い椅子の上を少し後退りしながら、説明してくれた。


「安産とか子供の安全を祈願する地蔵を、子安地蔵っていうんだよー。赤いヨダレかけつけてるのはだいたいそう。お地蔵さまにはいくつか種類があって、他には延命地蔵とか将軍地蔵とか」


 延命地蔵はそのまま長寿祈願の地蔵。

 次に、武家に信仰され、祈れば必ず勝負に勝つといわれる地蔵を特に将軍地蔵というらしい。


 知識を人に伝えるのは楽しいのか、深月は丁寧にそう教えてくれた。三人はいつの間にか顔を寄せ合っている。さっきまでの緊張をはらんだ空気はどこにもなかった。


 聴くと、苦役からの救済として菩薩信仰から誕生したのが日本独自のお地蔵さまだが、人の願いに合わせていろいろと姿を変えるようである。


「じゃあ、この町のお地蔵さまは何地蔵?」


 素朴な疑念に行き当たり、どちらからともなくその問いを口にする。深月は一瞬だけ口をつむり、打って変わってつまらなさそうに視線を落とした。


「──あれは身代わり地蔵。

 人間の苦しみや傷を肩代わりしてくれる、都合のいいお地蔵さまだよ」







 地球温暖化のせいだ。ここ数年異常気象が続いている、と老婆は確信していた。


 まだ五月だというのに、室内には太陽にされた暑苦しい空気が充満している。


 古いエアコンがその身を揺らしながら懸命に冷気を吐き出しているが、なんの役にも立っていない。汚いフィルターを通した分、空気まで薄汚れていく気さえする。


 広い額に大粒の汗が吹き出し、団子鼻を避けて伝い落ちる。口内にしょっぱい味が広がって針木はりきムギは湯飲みに入った麦茶へ手を伸ばした。


 健康に良いと勧められた水素水で沸かした茶だ。喉を滑り落ちていく水分が身体中に巡り、ムギに活力を与える。


「それで、ムギさん。急に集会ば開いてどげんしたとです?」


 今はもう年寄りの集まりぐらいにしか使われない公民館の一室に、六人の男女が集まっていた。


 いずれも高齢で、一番若い男も五十九歳といい歳だった。


 長机に顔を付き合わせるのはみな同じ組合に所属する者達だ。


『地蔵祭り運営組合』


 百年近く続く、町の地蔵を主役とした夏祭りの運営委員のようなものであった。


 真信や深月のクラスメイトである針木はりき常彦つねひこ。その祖母である針木ムギは組合長でもあった。


「皆さんをお呼びしたんは、他でもありません。地蔵祭りについて提案があるけんです」


 周囲につられて方言まじりに針木ムギは告げる。孫の前では努めて標準語を使うが、ここには地元民しかいないから気が抜けていた。


 全員が顔を見合わせ、続きを待っているのを見てとって、告げた。


「例年は同じことを繰り返しとったけん、若者の参加も少のうなりました。そこで一つ、やってみようと思うことがあります」


「新しいことやるってこと? いきなりそぎゃんこつ言われてもなぁ」

「まぁ、まだ二月ふたつきあるにはあるばってん」

「何をやるん?」


 老人達は口々に自分の意見を匂わせる。ほとんどは面倒だと否定的な姿勢だ。それでも、興味を抱いている者もいる。


 これならなんとかなりそうだと、針木ムギは内心ほくそ笑んだ。


「簡単なことです。もうちょっと、この祭りの始まりだとか、お地蔵さんの意義だとかば若者に伝えたいと思って。その広報をとね」


 憑き物筋の華族が町に入植してきてから、町人達は身代わり地蔵を作り始めた。異物から受ける呪いから自分達を守ってくれるように。傷を代わりに負ってくれるようにと。


 その由来を知れば、孫も理解するはずなのだ。あの一族の危険性を。そしてそれが若者の間に広まり周知されれば、忌々しい樺冴の娘を町から追い出すことができるかもしれない。


「ああ、確かに皆知らんのが増えたなぁ」

「まぁそんくらいなら手間も増えんか」


 同意の声が上がる。後は実際にどう内容を詰めるか考えるだけだ。


 針木ムギの中にあるのは大切な孫を守りたいという一心に過ぎない。老婆の中に悪意は無く、むしろ正義感すら抱いている。


 町から化物を追い出す。そんな妄想に、老婆は人知れず笑みを作った。



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