魔をはらむ
煮付を小里家用と深月一行用とに鍋を分けたところで、さぁ眠り薬でも投入しようか。そう考えた真信がポケットに手を入れると、背後でドアノブが回る気配がした。
慌てて指をかけていた薬包紙をポケットの底に落とす。入って来たのは、大柄な体型を猫背に丸めた
「おい、手伝えることはあるか。……なんじゃ、どうした」
「いや、なんでもないよ。こっちはもう終わるから大丈夫、キミのほうこそ、お祭りの準備があるんじゃないの? たしか鬼の恰好をして
なんの変哲もない笑みで自然な会話を続ける。柊は途端に顔をしかめた。
「なんじゃ。誰から聞いた。あいつらか」
「?」
「
「ああ、あの子たちじゃないよ。興梠商店の婦人に聞いたんだ。その日は僕らもまだこっちにいるし、楽しみにしてる」
「あんなもん、ただ走り回るだけじゃ。軽い舞はあるが、毎年同じもの繰り返すだけ。練習なんぞいらん」
忌々しげに吐き捨てる。小里について調べたい真信はさらに聞こうとしたが、
「今日の晩飯なんじゃ!」
「飯の匂いじゃ!」
盛大な足音を立てて走って来たのは双子だ。金髪をなびかせて華麗なターンを決めて椅子の上に飛び乗る。
楽し気に真信に呼びかけるが、柊を見つけるとゲッと可愛らしい顔をしかめる。柊は苛立ちのまま睨みつけていた。
「おい、騒ぐな。キンキンうるさいんじゃ。犬か鶏でももう少し大人しいじゃろうよ。部屋に籠って勉強でもしよれ」
「なんじゃ! 勉強するのはそっちじゃろ」
「そうじゃ、この間まぁた僕らの教科書こそこそ見てたの知ってるんじゃぞ!」
「なっ」
「ははっ、気づかれてないと思うたか!」
「ヒイラギがお願いするならしかたなく勉強教えてやってもいいぞ!」
「いいぞ!」
双子は兄を出し抜けた悦に浸った様子で笑っている。対する柊は歯を食いしばり過ぎて顔を真っ赤にして肩を震わせていた。
「黙れ! 学がなくて悪かったな。チッ、誰がお前らなんぞに頭を下げるか! お前らに下げるくらいなら
「なっ、なんじゃ。こっちは親切で言ってやったのに。そっちこそさっさとどこへなりと出てって勉強でも就職でもやればいいじゃろ! いつまでご先祖様のすねかじってるつもりじゃ」
「そっそうじゃ。僕らの前から消えるのはそっちじゃ、このへんつくヤロウ! だれがヒイラギなんかに勉強なんて教えてやるもんか!」
と言いながらも双子たちは台所から走って出て行ってしまった。
残された柊はしばらくぶつぶつと罵詈雑言を呟いていたが、急に真信の存在を思い出したらしい。バツの悪い顔でこちらを流し見る。
「……なんじゃ。なんぞ言いたいことでもあるんか」
「いや。人様の家庭事情に踏み込みはしないよ」
「さすが大学生じゃな。大人じゃ」
「大学生は関係ないと思うけど」
実際は高校生なので本当に関係ない。
「でも、キミって確かお母さんが亡くなってからほとんど学校行ってないって聞いたけど、もしかして双子の世話をするために……?」
「十分突っ込んでるじゃろその質問。はぁ、いい、どうせ興梠ばあさんにでも聞いたんじゃろ? あのお節介ばばあ。……仕方ないじゃろ。
「そういう割には、
真信は純粋に不思議でそう尋ねた。
それでも、血の繋がらない他人を家族として受け入れられている彼が、真信には理解できない。真信は血の繋がった親兄弟ですら家族と呼びたくはないのに。
真信の問いに柊が急に黙り込む。彼はそっと椅子に手をやると、遠い目をして呟いた。
「……上の兄弟が呼んでやらないと、かわいそうじゃろ」
「お父さんが?」
「………………チッ」
肯定も否定もせず、柊は台所から出て行った。あの舌打ちはどういう意味だったのか、真信は分からないまま、またコンロへと向かう。
この家族がどれだけ歪だろうと、真信のやることは変わらないはずだから。もう一度ポケットの底を指でなぞり、幾重にも重ねられた包み紙を取り出した。
今日はずっと部屋の中にいる。外に出る気力がないのと、考え事をしていたためだ。
「小里家が鬼の
家の周りをぐるりと囲う木に目を向ける。ギザギザとした葉が群生し光を受けると強く照り返す。あの木の正体はこの家の長男の名と同じ、ヒイラギといった。古来より魔を払う樹木とされている。特にその葉の鋭さから『鬼の目突き』とも呼ばれた。
「
菖蒲の形は剣に例えられる。端午の節句でよく名を聞くように、厄払いの効果を持つ。触れた魔性の身を溶かすとされた。また、蛇の子を身籠った女が五月の菖蒲湯に入ることでその子を堕ろすことができたとの伝説もあり、これが節句伝統の起源である。
対する
「そーいう魔除けに関する植物の名前を付けてるのも、小里の血筋に流れる鬼を抑えるためだとすれば納得できる。魔除けとは魔性にとっての障壁、壁は侵入を防ぐだけじゃない、内にあるものからすれば堅牢な囲いでもある……ってね。小里の人は代々そういう名前なのかも。鏡がないのも、自分の本性を見ないためなのかなー」
「ただ問題なのは、ずっと感じてるこの気配……。小里が鬼の
まだ会ったことのない小里の人間がいるのだろうか。それともこちらの感覚が麻痺するほどに強い気配なのだろうか、と深月は首を傾げる。
窓から吹き込む風は夏の陽気に似合わず涼しかった。額に浮かぶ汗を、冷たい空気が撫でる。
「そういえば、この前罠にかかったはずなのに、音沙汰ないなぁ」
石塔から現れた式神を思い出す。あれは間違いなく呪術の香に反応して出現するトラップだった。深月はそれに引っかかったというのに、仕掛けた人間からの接触がない。監視の目すら感じなかった。
「あの罠そのものはそんなに重要じゃないってことかな。それとも……」
いまさら深月たちがどうしたって手の打ちようがないほど、この緒呉に関する事態は進んでしまっているのか。
もしそうなると、相手が本格的に動き出さないかぎり深月に出来ることはない。ならば事態解決のチャンスは恐らく祭当日だろう。この緒呉で、鬼という概念が最も馴染む一日。
その日に、アカデミスタの企みは動くに違いない。そこを即時に叩く。若干、思考が脳筋に寄っている深月にはそれくらいしか策が思いつかない。
マッドの薬が入ったバックを抱えて、透き通った空を眺める。
今はとにかく情報を集めつつ、その時を待つしかないだろう。
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