淘汰されゆく者達


「樺冴深月様、こちらです」


 メイドに促されるまま深月はその部屋へ踏み入れる。

 そこはなるほど晩餐会ばんさんかいに相応しい、薄暗く気の滅入る部屋だった。


 天井のシャンデリアに灯りが最低限、それとテーブルの上には料理と並んで蝋燭ろうそくが灯っている。西洋風の絵画と火のない暖炉だんろ。飾られた骨董品には埃一つ積もっていない。


 細長いテーブルの一番奥、主賓しゅひんの位置に、その人間はいた。


 その人間が着用しているのはチャックがフードまで続いている服で、そのチャックを最後まで閉めているので頭部がフードに覆われている。奇妙な出で立ちとしか言い表せない服装の、おそらくは男。


 深月が呆気に取られていると、フードの男は立ち上がって、深月に一礼した。


「初めまして、カミツキ姫。お噂はかねがね。うん。奈緒からよく聞いてる。ボクは千々石ちぢわ八潮やしお。呼び方はなんでも構わない。千々石ちぢわっちでも八潮やしおきゅんでも、なんならフード野郎でも──」


「お初にお目にかかります千々石ちぢわさん。お招きにあずかりました、樺冴かご深月みつきと申します」


 男の言葉を遮って深月は深く頭を下げる。男は大袈裟なほど肩をすくめた。


「あれぇっ? 奈緒から聞いていたのと、だいぶ印象が違うな。うん、全然違う。もっとだらけてる子だと思ってたんだけど」


「友人曰く、私は人見知りですので。客の前で顔を隠すような男の前では猫の一つもかぶります」


「へぇ、狗神の姫も猫をかぶるのか。あははっ。源蔵げんぞう氏の言う通り面白い子だ」


「……私の後見人とも面識があるご様子で」


「それはもちろん。うん、もちろんだ。ボクが十戒衆の後釜に座れたのも、彼の支援のおかげだから」


「ではに仲介させて私の同居人たちへちょっかいをかけていたのも、あなたですね」


「あはっ、バレていたか。カミツキ姫たちが動くと、良くも悪くも注目されるからね。うちの組織の最配備が済むまで目を向けられたくなかっただけさ。悪気は、うん。悪意はないとも。

 さあ、座って。うん、座るといいよ。ちなみにこれぜーんぶ食品サンプルだから食べちゃ駄目だよ」


 深月はなぜそんな無駄なことを、と思ったが、ツッコむのが面倒だったので口を閉じて席につく。


「ボクは十戒衆が私物化していた組織を改革によって新たな組織へと作り替えた。その名も『石敢當いしがんどう』。この日本の秩序を、うん、平和を守ることを目的としている」


 ようやく分かった組織名に、深月は心の中で首を傾げた。


 石敢當いしがんどうとは普通、分かれ道や道の突き当たりに置かれる石のことをいう。地域によって形は異なるが、ほとんどの場合は大きめの石に石敢當いしがんどうと刻み込んだ物だ。

 道を真っ直ぐやって来た魔物が突き当たりに跳ね返って民家などに入らないよう、魔を払う目的で置かれた。


 上部に鬼の顔や太極八卦を刻んでいる場合も多くあり、その発祥は中国とされているのだが……。


(なんで、この人たちそんなものを名乗ってるんだろ)


 日本では沖縄や九州南部、もしくは中国地方の一部で見られるだけで、全国的に名が知れているわけではない。


 十戒衆の下にあった組織なら、規模が大きいうえに中国──陰陽系の筋は関わりがなかったはずだが。


 深月が脳内に詰め込んでいる知識を引っ張り出している間にも、どうやら話は続いていたらしい。千々石が区切りをつけるように柏手かしわでを鳴らした。


「そこで提案だ。ボクらと同盟を結ばないかな?」


 顔は見えないが千々石は笑っている雰囲気である。深月は話を聞いていなかったことを悟らせまいと、そのもごもご動く頭部を見つめた。


 いまいち真面目に成りきれないのは、あの頭のせいだ。そう睨み付ける視線をどう受け取ったのか、千々石は腕を組んだ。打って変わって空気が真剣さを帯びる。


「呪術と科学は相容れない。うん、交われるわけがないんだ。呪術が確然としない人間や現象の意識の隙間に存在するものならば、科学はそこに光を当て、理論によって仕組みを解明してしまうから。科学の発展により呪術は弱体化している。おそらく君の狗神こそ、呪術界最後の兵器となる――――はずだった」


 そう打ち切られた言葉が深月に与えたおぞましい予感が、直後的中する。


 千々石のフードがふうっと膨らんですぐ萎む。中でため息をついたらしかった。


「科学者というものはやはりいけ好かないな。開けてはならぬと伝わるものをこそ、こぞって開けたがるんだから」


「それって……」


「そう。奴等は十戒衆のような私利私欲にまみれた老害ですら敬い守ってきた数多あまたの封印、禁忌に触れようとしている。その証拠に、先日出雲いずもの多部神社にぞくが入った」


 その名に深月は思い当たる物があった。


「多部の首塚……っ」


「そう。退治された鬼の首を封じている場所だ。現地の仲間に問い合わせたがやはり。うん、やっぱり首は盗まれてしまったそうだ。

 ……彼等は、ボク等が守ってきた神秘にまでメスを入れて解剖し、自分たちの手駒にしようとしているらしい。しかしあれらは君の狗神同様、人々の信仰心と関わりなく広がる呪詛だ。うん、自立した呪物だから。弱まることも消えることもない。封じるしかない、開けてはならないものだ」


「……そこまで言いながら、千々石ちぢわさんは科学を拒絶しているように見えませんけど?」


 深月の疑問は至極順当なものだ。


 真信達を閉じ込めた檻も、ここに並ぶ食品サンプルも、どちらも自然の物でない。人間の感情にも由らない、科学側の技術だ。


 どうして科学者を嫌いながら、その技術を側に置いているのか。古風な呪術者では考えられないことだった。


 深月の問いに、千々石は灰色の布に包まれた頭をくにっと曲げる。


「ボクは科学を否定しないよ。千代ちよ八千代やちよにと永遠を願われた岩が廃れ、ただの石くれとなるように、呪術もまた、ただの古典へと至る時が来ている。明治以降少しずつ衰えてきた呪術社会はもうすぐ完全な滅びを迎えるだろう。

 けれどそれは仕方のない、うん、仕方ない選択だ。日本が世界を相手取るには、確かな信仰が必要だった。揺るぎない物。神の血筋はその役目を終え、国は科学の秩序を受け入れた。この世の平和を守るには、それしかなかった」


 滔々とうとうと語る千々石ちぢわの言葉に、深月は己の中の疑問に一つの解を得た。彼等の名乗る石敢當いしがんどうとは魔を排斥する呪言の一種。しかし石敢當いしがんどうはその存在事態が信仰の産物だ。


 科学を是とし、呪術を魔とするならば、それを名乗る自分達もいつか排斥されるべき存在だと言っていることになる。


 分かりにくい皮肉で遊ぶ男だと、深月は千々石ちぢわに対する印象を改めた。彼は大局のために自分達を切り捨てる覚悟を持ち、それを下の者にまで納得させる技量がある。


 深月のその予想の通り、千々石は大きく手を広げ、天を仰ぐように動いた。


「もはや我々は、おだやかに闇へと還るべきなんだ。ボクは人を愛し、この国を愛している。ボクは国のために、うん、喜んで最後のいしずえとなろう。そのために、禁忌を掘り返す不埒者ふらちものと、それに手を貸す裏切り者をどうにかしなくては。禁忌の掘り返しを放っておけば、裏だけでなく表の人間にまで危害を及ぼしかねないから」


 立ち上がった千々石は身体を折って深月に頭を下げ、その手を差しのべてくる。今まで気づかなかったが、手には白い手袋がはめられていた。


「カミツキ姫。宝物ほうもつの守護者、樺冴の末よ。どうかこの国のために、我々と同盟を」


 上流階級を思わせる優雅なお辞儀。さらにその頭部が、念を押すようにコテッと傾く。


「言いたくはないけど、奈緒と共に残った彼等、その命がいま誰の手の上にあるのか。そこも考えて答えてくれると嬉しいな」


 声だけにこやかな男の慇懃いんぎんな態度に、深月はため息を洩らした。


「人質なんて無意味だよ。だってみんな強いもん」


 少女の不敵な笑みに、千々石は顎の辺りを撫でる。


「奈緒の目的が、平賀真信への復讐だとしても?」


「それは奈緒ちゃんと真信の問題。私は真信を助けてあげたいって思うけど、彼の罪を背負ってあげることはできない。だって私の罪も、誰にも背負わせるつもりないから」


 深月は冷ややかに突き放す。すると男は、頭を小刻みに震えさせておかしそうに笑った。


「あはっ、ははははっ。むごい。うん、むごいな。君は強欲に全ての幸せを願ってるくせに、自分が救われるなんてこれっぽっちも思ってないタイプだな?」


「……私はいつだって、自分のために戦ってきたの。国のことなんか知らない。守るものが増えたくらいで、私の自分勝手さが治ると思ったら大間違いだよ」


「では、同盟は……」


「それはいーよ。おじさんが関与してるなら、どうせ外堀埋まってるんでしょう。……それに奈緒ちゃんがあなたのこと信用してたから、私も信じる。疑うのって疲れるからねー」


 深月は肩をすくめて、落ちてきた髪をかき上げた。


「貴方の目指す滅び、趣味が合うから付き合ってあげるよ」


 少女の浮かべる挑発的な笑みに、千々石はフード越しに頭を掻いた。


「いや、これは奈緒に頭が上がらない。うん、上げられないなぁ。さすが浩二こうじさんの娘だ。良いえにしを持ってくる」


 嬉しそうな声と共に、千々石は身体を左右にゆらゆら大きく揺らす。その動きに深月は最初から感じていた既視感の正体に気づいた。


 あれはミノムシだ。間違いない。


 深月が立ち上がろうとすると、足元が揺れた。建物の基礎を伝ってくるような振動。深月は思わず椅子の背もたれにしがみつく。


「地響き?」


 見ると、男は地面にしゃがみ込み食品サンプルを頭に被っていた。ヘルメットのつもりだろうか。


 脇に控えていたメイドが近づいてきて、千々石の腕を引っ張って立たせる。


「来たか。うん、もう片方の招待客も来たようだ」


「どういうことですか」


「いやね、奈緒の復讐を支援するのはいいけど、それじゃ不公平だし。うん。不公平かなって思って。あの少年にもさっさと決着付けて欲しかったから、ちょっとお手紙出してみた」


「まさか――――」


 深月の視線を無視して、千々石は頭の後ろで腕を組んだ。


「ここ借り物なんだけどなぁ。うん、借り物だから、あんまり壊さないで欲しいけど。無理っぽい? やだなぁ、これはもうボクだけズルして逃げるしかないよね」





 深月達が入ってきたのとは逆、使用人の使う出入り口が爆発した。噴煙巻き起こるその場に多数の人影が現れる。


「いかにも悪党が巣にしてそうなボロ屋敷ね」


 後ろに百を越える手勢を従えた少女が、爆風で生まれた瓦礫を踏みつけた。


「罠だろうがなんだろうが、来てあげたわよ奈緒ぉおお。どうせ平賀のあいつも来てるんでしょう? この正義の使者、氷向ひむかい綾華りょうか様がまとめてちりにしてあげるわ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る