手馴れた任務
「手伝ってもらって助かるぁ」
上体を後ろにそらし、背伸びをしながら老夫が言う。七十近い枯れた首には汚れたタオルが巻かれていた。
それに静音は抱えた薪を束ねて顔を上げる。
「いえ、いろいろお話させてもらってますし。身体を動かすのは好きですから」
ここは民家の裏手にある畑だった。大型の動物が出たらしく、食い荒らされた野菜の
「猪が出たもんで、散らかっちまっててな。片付けも楽じゃねえんじゃ」
「被害が大きいようですね」
「なぁに、昨日猟銃会に連絡したけ、すぐジビエじゃ。もうちょい長くいるなら分けてやれるんじゃが。祭までしかこっちにおらんのだろう?」
「ええ、翌朝には立つ予定です。大学の夏季講習が始まりますから」
「っはー。すげぇな。今の大学生ってのはみんなあんな元気なんか?」
老夫が振り向いた先には、調子の悪い小型の耕運機をいじる
この老夫婦は昨日、静音が声をかけて仲良くなった人たちだ。旦那のほうに少し外部の血が混じっているらしく、緒呉の人間にしては警戒心が弱い。緒呉に関する話になるとやはり逃げられるが、簡単なことなら聞き出すことができていた。
緒呉の住民の気質や、住民のこと。どうやらこの地区の人間はほとんどが親戚ということになるらしい。人口が減少するなかで家も多くが絶え、現存する住民は大抵五つほどの血筋でまとめられるとのことだ。
人の繋がりが分かればその動きも辿れる。地味だが重要な情報だった。
だが静音が今日ここを訪れたのは、別の情報を手に入れるためだ。
静音が耕運機の修理をする千沙へ視線を投げかける。目線だけで頷いた千沙がひと際大きく唸った。
「んんっ、もうちょいで直りそう」
「すごいねぇ。なんじゃ機械いじりが好きなんか?」
「たまたまですよー。こういう手を動かす作業って自然と覚えちゃって。ほら、私って大人しいからっさ!」
「元気じゃねぇ」
硬いネジを思い切り締めながら笑う千沙に老婆も引き気味である。調子に乗り過ぎたのか、千沙の手の中で回転させていたスパナが指に弾かれ飛んでいった。スパナは小屋の中に停められた耕運機の下へと滑っていってしまう。広い敷地を耕すための大型のものだ。とても一人では退かすことはできない。
「うっわーしまっちった。下に入っちゃったや。手届かないなコレ。おじいちゃんこれ動かせる?」
「んあ? ああ、任せい」
呼ばれた老夫が曲がった腰を伸ばして耕運機へと進む。乗り込んで運転するかと思いきや、巨大なそれの下部を両手で掴み、片側を持ち上げてみせた。
「うっわ! おじいちゃんすごい! どこにそんな筋肉隠し持ってたのさ!」
「はよ……取れ。さすがに重いんじゃ……」
「ありがとー!!」
耕運機を下ろし肩を回す老夫に、静音がすかさず話しかける。
「まさか持ち上げるとは、素晴らしい
「んあ? ああ、やってないぞ。そじゃな。こんだけ元気でいられるのも、
「薬ですか……?」
静音は興味深げに繰り返して見せる。老夫は頷いて、家の軒先から紙袋を取って来た。中から取り出したのは
「小里ん先生が緒呉のもんに配ってくれとる薬じゃ。なんじゃ、風土病ってものが
「それはすごいですね」
微笑んで老夫の言葉を肯定する。
真信が聞いたという薬は間違いなくこれだろう。興味があるので飲んでみたいというと、老夫は飲み忘れた時に余分にもらったものがあるからと
静音は人当たり良く彼と話をしながら、千沙の様子を盗み見る。手際よく修理を終えた千沙は笑顔で立ち上がった。
「よおしっ、できたよおばあちゃん」
「ああ、ありがとうねぇ。ほんと助かった。んじゃ道具は仕舞ってしまおうか──いたっ」
老婆がドライバーや釘の詰まった小さな箱に伸ばした手を引っ込める。どうやら何かで手を切ったらしい。手首を赤い血が滴っている。
「おばあちゃん大変! はいっ、ハンカチ! これで押さえて」
「んんっ、すまんじゃ。歳とると手元も見えんで」
「これは私が片付けとくから! おばあちゃんは手当してきてね」
老婆を家のほうに押しやり、道具箱を抱える。千沙は自分の体の影に隠して素早く仕込んでいた
やり取りを遠目に見ていた静音は、そろそろ退散だろうと老夫との会話を終わらせ始める。老人の話は得てして長い。終わらせようと思ってから話を打ち切るまで十五分はかかる。自然にここを立ち去るには、それなりに会話の流れをコントロールする必要があった。
老婆が家から戻って来る。千沙は代わりに新しいものをと勧める老婆に笑って固辞し、血の染みたハンカチをそのまま受け取った。
静音と千沙はそうして話を切り上げ、手伝いをやめて老夫婦のもとを後にした。
これで問題の薬と、緒呉出身者のDNAを入手したことになる。
もしも緒呉の特殊性が住民の血筋にあるのなら、調べれば分かることだ。まだ真信たちと情報を共有していない静音はそう考えていた。
早急にこの二つをマッドへ送ろう。
問題は、緒呉から直接荷物を郵送することができないことか。ポストすら一個しか存在しない地区だ。郵便局など存在しないだろう。
わざわざ町に出てコンビニでも探すしかあるまい。またあの曲がりくねった道をバスに揺られなければならないかと思うと憂鬱になるが。
密かにため息をつきながら、静音は小里家のほうを振り返る。
二日目にしてようやく一歩前進だ。手早く問題が解決できれば、それこそ最終日の祭りは純粋に楽しめるかもしれない。そうすれば少しは真信を休ませることができるだろう、と。
同時刻、カミツキ姫が住まう町に降り立つ、一人の少女がいた。
電車を降り、町はずれのさびれた駅のホームへ両足を付けた彼女はその場で辺りをキョロキョロと見渡す。なぜか少女は片手に持ったスマホを見もしないまま操作し続けていた。様子からして地図を出しているわけでもなさそうである。
彼女がそこにいるだけで周囲が明るくなるような、そんな少女だった。
細身で手足が長く、日の光を吸収する黒髪は頭の形に短く切りそろえられている。瞳はどこまでも澄みわたり輝き、表情はにこやかだ。天上天下を
無垢なる乙女。
そう称するのが相応しい少女だ。
少女はホームから出て、自転車が乱雑に置かれた広場を見渡す。まるでその向こうにあるはずの何かを探すように。
「ふふふっ、お
困るどころか楽しげに笑い、少女は探索に出かけることにした。
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