異形の住まう里


 真信と合流した深月達は緒呉でほぼ唯一と言っていい商店へとやって来た。

 住人に話を聞くためと、双子にお菓子を買い与えるためだ。


 あの石塔は調べたが特に変わった様子はなかった。大昔に結界の一部として使われていた形跡はあったのだが、それも石塔が作られた当時のことだ。今日こんにちではもはや名残も感じられない。


 あれは正真正銘、ただの石だった。


 ならばなぜ式神に守られていたのか、そう疑問は残る。しかしこれ以上手がかりがなくてはどうしようもない。


 道行く途中にも同じようなものが山中に屹立しているのが見えたが、状態は同じだった。微力な式神が込められ、しかし他にこれといった術式は見当たらない。少なくとも深月の技量で嗅ぎつけられるものはなかった。

 こうなるとただの侵入者センサーに過ぎないのか、それか、よほど精巧に眠っている術式かだ。前者ならば相手の出方を見ることで事態を進めることができるが、後者ならば深月では解呪もできない。もともと深月はそれほど呪術に秀でているわけではないのだ。


 双子が言うには、この石塔は緒呉を囲う山々の至るところに存在しているという。その全てに式神が込められている可能性があった。石塔は依代よりしろの役割を担っている。重要なのは石そのものではないのかもしれない。ただの入れ物で、見極めるべきは中身の用途。


(また入れ物、かー……)


 この地区に来てからそればかりだと、深月は心中で首を傾げる。神社も信仰も石塔も、すべてただの入れ物。だが深月は中身についていくつか推測を立てていた。


 奥に民家が併設されている木製平屋を見上げ、真信が低く呟く。


「ここが?」


 懐疑的な物言いだった。都会育ちの真信にはこれがお店とは思えないらしい。


「そうじゃ!」

「コオロギばあがやってる店じゃ!」

「隣は娘夫婦の家!」

「お向かいは緒呉乙に住んでる品田しなだじいちゃんのめいの子どものお嫁さんがやってる床屋!」


 これからお菓子を買ってもらえるせいか辺りを指差していく双子のテンションは高い。

 さらに深月にだけでなく真信のほうにも媚びを売りに行った。彼を両脇から挟み上目使いに袖を引く。


「マサノブもお菓子買ってくれるのか?」


「あまりたくさんは駄目だよ」


「そんなっ」

「ぬぅ……。マサノブお兄ちゃんって呼んだほうがええか?」


 深月の時と同じようにおだててみようとしたのだろう。菖蒲しょうぶのほうがそう呼ぶと、真信は途端に顔をしかめ眉間にしわを寄せた。


「あ……やめてっ。すごいやめて」


 苦しげに目を閉じる。それに双子は不満顔だ。


「なんでじゃ? うれしくない?」

「みんな喜ぶんじゃが。特に年寄り」

「もしやカワイイに反応しないとくしゅせいへき持ち?」


「いや、……えっと、そうだね。妹を思い出して気分が暗くなる……みたいな?」


「「妹がいるんか?」」


「…………うん、いた。ずいぶん前に死んじゃったけどね」


 暗くならないようにだろうか、言葉をこぼすように言いながら真信は薄く笑う。


「ごめんねマサノブ……」

「むしんけいじゃった」

「落ち込まないで」

「代わりに私たちをかわいがっておかし買ってくれてもいいんじゃ……」


したたかだねキミたち……」


 おどけたことを言っているわりに双子は真信にぴったりくっついて離れない。彼らなりに真信を慮っているらしい。むしろ予想以上に二人の表情に影が差していることが、深月にとっては意外だった。


 思えば小里おざと家も母を亡くしている。身内の死には思う所があるのかもしれなかった。


 それはそうと、妹の存在など初めて聞いた。深月は彼にそっと近寄って耳打ちする。


「真信、だいじょーぶ?」


 何と言えばいいか分からずそれだけ言うと、真信は苦笑してみせた。


「もう十年以上前のことだからね。よく考えたら隠すことでもないし。平賀の人間なら知っててもおかしくない。だからこそ情報の共有は大事かなって」


 本当に気にしていないような口ぶりだ。

 真信としては深月へ言い出すタイミングを掴めていなかったら、むしろ良いきっかけになったのだが、深月にはそこまで伝わらない。結果、真信が無理して明るく振る舞っているようにも見えるのだった。


 これでは真信かれ深月じぶんをどう思っているのかなんて訊ける空気ではないだろう。残念に感じながらもどこか安堵している自分に、深月は首を傾げる。


 真信が店の引き戸に手をかける。


「さて、入ろうか。今の子たちってどんなお菓子食べるの?」


「「うんちょこ!」」


「うん……?」


 店先でうだうだし続けても何も変わらない。中に入ると、八畳ほどのスペースに所狭しと棚が並んでいた。お菓子だけじゃない。冷凍食品に野菜、洗剤やくしといった日用品もある。贅沢を望まなければここだけで日々の買い物が済んでしまうほどだ。里唯一の店というのは本当らしい。


 双子がレジスター横の呼び鈴を鳴らすと、奥の居住スペースから五十代後半くらいの女性が出てきた。どうやらこの女性ひとがみなの言う興梠こおろぎばあらしい。


「コオロギばあ久しぶり!」

「元気じゃったかコオロギばあ!」


「なんじゃ、二人ともやけにデカくなったね。髪の色まで変わって」


「違う! 下じゃ下!」

「そっちはよそもんじゃ!」


 先に真信と深月を見つけた興梠こおろぎに双子がもの申す。目を下方にやった女性がああと頷いた。


「こりゃあ……。なんじゃ。なんも変わってないぶん、伸びしろがあるんじゃなかか?」


「うぅ姉さま……」

「泣くな兄さま。私らの成長期はまだ先なんじゃ……」


「はははっ、ガキで遊ぶのも大人の甲斐性じゃな。で、そこのお二人は何の用じゃ?」


 女性の視線が深月達へ向く。そこには緒呉の人間特有の鋭さが少ない。二人は頷いて要件を告げたのだった。





「ほう、足で情報を得るフィールドワーク研修合宿、ね」


 店内を見て回る双子と深月を尻目に、真信は出された椅子に腰かけた。カウンターを挟んで対面に座る興梠こおろぎ夫人へ説明を続ける。


「はい。うちのゼミで毎年夏に行っているものです。地域独自の伝承や言い伝えを住民に聞いて回る、そういう昔ながらの手法を継承していこうという趣向です。研究にまとめるようなものではありません。あくまでフィールドワークの経験を積むための合宿ですから。どうでしょう、緒呉の民話などご存じありませんか? もしくは最近おかしなことが起こってはいないかとか」


 丁寧に一つずつ説明し、相手の警戒心を解いていく。真信の問いに夫人は意味ありげに笑い、湯呑ゆのみにお茶をそそいだ。小皿に移しているのは漬物のようだ。どうやら客人用らしい。


「そうじゃね。最近なら……そういや墓荒しが出ててるなあ」


「墓荒しですか?」


「緒呉は最近まで土葬だっだけ。金目のものでも埋まってないかと探しとんじゃないかね。ここ十年ほど小里家の所領にある古い墓地がやられておるんじゃ。後は……。まぁ、緒呉は僻地へきちじゃけ、面白い話なんぞないと思うんじゃけどなあ」


「──ありますよー、たぶん」


 日用品の棚を見ていた深月が唐突に口を挟んだ。振り返り、夫人を見つめる。


庚申こうしんさんの正体に欠けた指の遺伝、間違いなく緒呉は、鬼に関する何かに里ぐるみで関わっていた。そうでしょう? これだけ物がそろってるお店にこんな小さな手鏡しか置いてないのも、同じ理由かなー?」


 手に持っていたのは、棚に置かれていたコンパクトだ。大きさは深月の小さな手の平に収まるほど。鏡らしき商品は他に見当たらない。


 深月の語りに、夫人は感心したように微笑んだ。


「詳しい若者わかもんもいるんじゃね。そこまで察しがついてるなら、隠すのもなあ。そろそろ緒呉も内向的なだけじゃあいられんじゃろし……。いいじゃろ、まずお嬢ちゃんの推測を聞こうかね」


「えっ、あの、どういうことですか? 掛け軸は分かるけど、他のがどうして鬼に繋がると?」


「何じゃこっちは頼りない」


 話が勝手に進んでいくので真信が思わず間に入る。夫人の視線はどこか冷たい。深月は真信に向けて説明を始めた。


「人間の五本の指って、二つの美徳と三つの悪徳を象徴してるんだよー。それに対して鬼は三本指。知恵と慈悲、この二つの美徳が欠けた、悪徳だけを担う存在。それが鬼なの」


「悪徳だけの存在?」


 真信が、そういえば掛け軸の鬼も指が三本しかなかったなと思い出す。深月はそれに頷いた。


貪欲どんよく愚痴ぐち、それと瞋恚しんい──怒りだねー。緒呉の人の指が短いのは鬼の血を引いてるからじゃないかって、私は考えてる」


「じゃあ鏡は?」


「鏡っていうのは、古来より真実を映すものなんだよー。例えば仙術について書かれた『抱朴子ほうぼくし』の登渉篇には、入山する道士は経九寸以上の鏡を持っていくってある。邪魅のたぐいを見極めるためにねー。何に化けていようと鏡に映る姿はその者の真形。鬼が正体を隠すなら、鏡は避けると思うよー。そういう鏡を避ける風習が残ってるんじゃないかな」


 深月がコンパクトを開く。そこに映る真信も夫人も、変わらず人間の姿をしている。間違っても怪物ではない。


 だが深月の説明が正しければ小里の家に鏡がなかったのにも頷ける。緒呉の家庭はどこもそうなのだろうか。


 深月がコンパクトを棚に戻すと、夫人は今度こそ感心して笑った。


「っはぁ、すごいなあ。大学ってのはそんなとこまで勉強するんけ。でもまぁ、半分当たりってとこじゃな。いいじゃろ、緒呉の言い伝えを話してやろう」


 夫人が深月に椅子を勧める。彼女がそれに従うと、夫人は語り始めた。


「緒呉には大昔、確かに鬼がいた。その鬼はどこからかやって来て、緒呉に独裁を敷いたんじゃ。残忍ざんにんかつ怪力の鬼に人がかなう道理もない。こうして緒呉は鬼をかくまう里となった。緒呉の山中にたくさんある石の塔は、鬼の姿を隠す術のために作られたと聞いとる。

 鬼はすぐに緒呉の絶対権力者となった。家に鏡を置かなくなったのも鬼の指示じゃ。そうして緒呉に住む人間たちと次々と婚姻を結んでいった。血縁関係になることで、人が鬼を裏切られんようにするために。そして鬼はもう一つ、住人を縛る術をかけた。住人の指をそれぞれ二本、喰うてしまったんじゃ。知恵と慈悲の美徳を奪い、自分の配下に敷くために」


 夫人が自分の手を掲げる。中指と薬指は、通常よりも関節一つ分ほど短かった。


「私たちの指が短いのは、その時の名残じゃと言われとる。

 この里で鬼の血を直接継いどるのは一家族だけじゃ。お嬢ちゃん、どこか分かるけ?」


 夫人は顔のしわをつり上げ試すようにニヤニヤと笑う。深月は目線を下げて頭の中の考えをまとめた。


 住人の指が二本短いのは、大昔に喰われたから。ならば喰った側の指はどうだ? 同じではあるまい。なぜならこの鬼は人間を管理し支配している。それは知恵をもつことを意味していた。


 人をたばかる知恵を持つ鬼は指が四本あるという。人間に化け、切り落とされた腕を取り返した羅生門の鬼のように。


 その条件に当てはまるのは──。


 深月の視線が自然と、お菓子を吟味ぎんみしている双子へと向く。その指は薬指だけが少し短い。


「鬼の血を継ぐのは小里おざと家……」


 大きな確信と、どこか噛み合わないような小さな違和感と共に呟く。

 夫人は満足げに目を細めた。


「察しが良いんじゃなあ。じゃから祭の主役は毎年、小里の当主がやることになっとる」


「祭って、七日にある?」


「そう、鬼追い祭じゃ。一匹の鬼を神社まで住人が追い回す。そうして鬼に厄災を担ってもらって、神社に封じ込める祭じゃ。双子あのこらの母親が死んでからは、ずっと長男のひいらぎが鬼の役をやっとるよ」






 お菓子を買ってもらった双子がパンパンになった袋を下げて楽しげに駆けていく。

 深月は前方を進む真信よりも、反対方向に走っていく双子につい目が引き寄せられた。


 双子は背丈の低い男子と立ち話をしている。半袖半ズボンの、いかにも中学生然とした少年だ。髪の一部が白いのは若白髪というやつだろうか。この里にも双子の他に若い人間がいるのかと、深月はぼんやりとそれだけ思考し、真信のほうへ視線を戻した。短い距離を駆け足に彼の隣へ並ぶ。


「アカデミスタの標的は小里に流れる鬼の血なんだろうか」


 思案するように真信が呟く。深月はそれを受けて軽く唸った。


「うーん。どーだろ。子孫っていっても、四百五十年も経ってれば血は相当薄いはずだし。でも、一番怪しいのは確かだねー」


「アカデミスタのやろうとしてること、何か見当はつく?」


「分からない。これだけ薄まった血だもん。呪術だけでどうこうするのはまず無理だと思う。とりあえず、小里のことを見張るしかないねー」


 呪術だけでは古びた血を利用するなどまず無理だ。封じられ埋められていた鬼の首ですら、呪物として呪術の道具にするくらいしか用途はない。鬼の力そのものを活用することは不可能だ。鬼はすでに滅びた存在で、この国の人間たちの認識もそうなのだから。


 だから、大したことは起きないはずだ。

 けれど緒呉に来てからずっと感じている強大で出所の知れぬ気配が、深月に嫌な予感ばかり募らせていた。


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