これが大人のやりかた


 逃げた式神を喰らい狗神から降り立つと、そこには唖然と深月を見上げる金髪の女の子がいた。


「立てるー?」


 言って手を伸ばす。彼女は素直にその手を取った。


 まだ夢うつつというようにぼんやりと深月を見上げる女の子を立たせる。確か名を菖蒲しょうぶといったか。金色の髪にフリルの多い服装が相まって、まるで外国の人形のようだ。やはり兄のひいらぎとは似ても似つかない。


「なにが起きたんじゃ……」


 我に返って呟く菖蒲しょうぶに、深月は首を傾げる。


「あれー? 見えてなかったの?」


「なっ、なにをじゃ」


「真っ黒い化物、襲ってきてたでしょ? 危ない所だったんだけどねー」


 そう告げても菖蒲は困惑するばかりだ。そういえば少女の瞳に深月への怯えがない。初日は遠目に見ただけで逃げ出していたのに。今の彼女はまるで、今まで見えていたものを見失ったかのように大人しい。


 もしやと思い、屈んで菖蒲の顔に手を伸ばす。逃げる前髪をかき上げると少女の瞳がよく見えた。


 左目だけが、水晶を落とし込んだように透き通った青色をしている。


「あぁ、そっか。二人がそろっての浄眼じょうがんなんだね」


 真信は言っていた。双子は片方ずつ、青い目をしていたと。片目になろうが、両目を潰されようが、浄眼は死ぬまで浄眼だ。両目が揃わねば効力を失う目というのは存在しない。だが彼らの場合、双子の特殊性が働いているのだろう。


 この双子の根底はそれほど強く結びついているらしい。


 ふと坂の向こうから声がして深月は顔を向ける。そこにはこちらへ駆けて来る男の子の姿があった。


「──おおい、姉さまー! ってぎゃっ、犬のバケモン!!」


「えっ? ──ぎゃっ! いたんか犬ぅう!!」


 狗神の姿が見えるようになったのだろう、双子が腰を抜かしたように尻餅をつく。


「あー、この距離でもう見えるんだ」


 姉と弟の間にはまだ十メートルほどの距離がある。二人は互いにあたふたと駆け寄り、手を繋いだ。深月──というより狗神を警戒するように眉尻を上げる。


 その小さな肩はかわいそうなほど震えている。未知の怪物に怯えているらしい。


「うーん……」


 深月は双子に話を聞こうと思っていたのだが、これでは声をかけるだけで逃げられてしまいそうだ。


(子供の扱いって分からないんだよねー……。どうしよ。わんこをどうにかすればいいかな?)


 とりあえず怖がらせてしまっている原因を取り除こう。そう考えて狗神を顕現させた。どうせ見えているなら隠すだけ意味がない。


「あんまりやらないけど、これなら」


 宙に浮かぶ人間大の塊に手を触れ、目を閉じて意識を集中させる。内に秘めた呪詛をさらに凝縮し形を整えていくのをイメージした。


 深月が目を開ける。手を離すと狗神はぶるりとその身を震わせ、姿を変え始めた。


 首から胴が伸び、四肢が生え、地を踏みしめる。大きさは大型犬ほどにまで縮んでいた。最後にお尻からカーブを描く尻尾がついて、深月は息をつく。


 狗神の形態を変えるのは久々だが、我ながら上手くいった。真っ黒く、相変わらずすすがこぼれるように崩れていくが、遠目からならただの犬に見えなくもない。万物を引き裂く牙の鋭さは相変わらずだが。


「これなら怖くない?」


 いつの間にかだいぶ後退していた双子に問う。すると二人は恐る恐る近づいてきた。


「犬じゃ……」

「小さくなっとる」

「……ちぃそうなっても顔こわいままじゃ」


「ごめんねー。顔がアイデンティティみたいなとこあるから、うちのわんこ」


 伏せのポーズで尻尾を振る狗神に二人は警戒を解いたらしい。手の届く範囲に寄ってきてじっと狗神を観察している。深月はその様子を見守りながら一人頷いた。


(子供は動物が好きって真信も言ってたし。……あ、真信のとこ戻らないと。でもせっかく仲良くなれそうだしなー)


 いま別れるとまた話すタイミングを逃してしまいそうだ。今まで子どもと接してこなかったために、深月自身、子どもへの苦手意識がある。これを機に苦手を払拭したかった。


 狗神をつついていた菖蒲しょうぶに、ちがやが思い出したように告げる。


「あっ、姉さまゴムあった」

「どこにあったんじゃ?」

「やっぱり木に引っかかっとったんじゃ。編んで姉さま」

「ようし、ゴム貸せ兄さま」


 ゴムを受けとった菖蒲が、茅の髪を手ですき始める。また三つ編みにするらしい。手つきが慣れている。どうやら二人は、互いの髪をこうして編み合っているらしかった。


 微笑ましい様子に、深月は頭に浮かんだことをそのまま呟く。


「三つ編みにしてると型が残るねー。ほどけてるとお兄さんと同じパーマみたい」


「じゃろ! 僕らもとがストレートじゃから──もがふっ」


 茅が目を輝かせて深月を振り向く。予想外の反応に驚いていると、菖蒲が弟の口を手で思い切り塞いだ。


 菖蒲は見るからに慌てている。


「なっ、なんでもないぞ!」

「むぐっ、そっ、そうじゃ! 別におそろいがいいとかないよ!」


「そうなの?」


「そうじゃ!」

「ヒイラギは関係ない!」


「そっかー」


 関係ないのかーと深月は納得した。

 よく考えたら、小里おざと兄姉弟きょうだいは互いを嫌い合っているはずだ。わざわざ嫌いな相手とそろいの髪型にしようとは思わないだろう。複雑な家庭である。


「そうだ、ねー二人とも」


「なんじゃ」

「おやつの時間なんか?」


「おやつは後で買ってあげるねー」


「「やったー!!」」


 子どもはお菓子も好き。情報通りである。


「ヒイラギはおやつくれんから」

「ケチくさいんじゃヒイラギは」


「そうなんだー。ねえ、二人にとって家族ってなに?」


 それは真信にしたものと同じ質問だった。

 この双子はこれだけ兄の悪口を言っていても、同じ家で暮らし同じものを食べて生きている。嫌になって家を飛び出したりはしていない。深月にはそれが不思議だった。


 子供なのだからそれが当然なのだが、物心ついた時から家族のいない深月にはその普通が分からない。


 深月の突然の質問に、双子は押し黙った。顔を見合わせ、なにやら表情が暗い。


「……家族なんか。ただのじゃ」


 先に口を開いたのは菖蒲しょうぶだった。


「……おり?」


 深月が繰り返すと、二人は頷く。


「同じ親から生まれたってだけで、全部決められとう」

「生まれてこなければ面倒ごと背負わずに済んだんじゃ」

「家族ってだけで逃げられない。だからきっとこう思われてる」

「「早く死んでしまえば楽になるのに」」

「だからオリなんじゃ」

「あの家から逃げられない」

「身内って重りがついとるから」

「それが家族じゃ」


「…………」


 薄暗い表情で言葉を継いでいく二人に、深月は何も応えられなかった。


 家を、血筋を、余計な重りに感じてしまうのは自分も同じだったから。


 小里の家族が何を抱えているのか深月は知らない。だが知らないという事実は、部外者が彼らの事情を軽々しく扱っていい理由にはならないだろう。


 今の深月にはこれ以上彼らに踏み込むことはできなかった。深月は自分がして欲しくないことを他人に強制できるほど、まだ他人たにんとの付き合いを積んでいないのだ。


「そっか。変なこと聞いてごめんねー」


「…………おやつのためじゃ」

「はっ、そうじゃ。いくらまで買っていい!?」


「深月さんのお財布は大きいよー」


「「!! ミツキお姉ちゃん!!」」


「! ……みつき……お姉ちゃん……。なんだか温かい響きだね……」


 小学生からのお姉ちゃん呼びに深月は衝撃を受けたようである。

 双子は顔を寄せ合い悪い笑みを浮かべた。


「姉さま、この人もしやチョロいんじゃ」

「これは良いカモになりそう」

「おやつ食いほうだい?」

「おだてておくのが良さげ」


「なに小声で話してるのー?」


「「なんでもなぁい」」


「ふーん? まあいいや。お菓子買う前に真信の所に戻らなきゃ。でもここどこだろ。二人は大き目の石の供養塔みたいのあるの、どこか分かる?」


「石? 塔? あのおっきいのか。あんなんくさるほどある」

「山のあちこちにある」

「どの石?」

「どこの石?」


「昨日、二人が真信と会ったっていう所だと思う」


「あれならちょっと遠いんじゃ」

「あっちのほう」


 ちがやが指さすのは丘の向こう側だ。思ったよりも遠くまで来てしまっていたらしい。


「……歩いて行くの面倒だなー。そうだ、二人とも」


「なんじゃ?」

「おやつ追加?」


「いくらでも。それより──ちょっと空のお散歩を楽しまない?」


 深月は首を傾げる二人に向かって軽やかに笑い、狗神の変形を解いた。


 それを双子の足元に出現させ、そのまま宙へ浮かぶ。突然現れた足場が上昇した二人は最初こそ驚いていたが、さすがは子供の順応力ですぐ表情が歓喜に代わった。


「たかーいっ!」

「すごーい!」

「飛べるんけっ!?」

「いや飛んどる!」

「マジか!?」


「飛ぶよー。真信のとこに行こー」


 自身も狗神の額に座って狗神を浮かせた。やはり長距離移動はこれが速い。


 興奮したように眼下を見下ろす双子を見ながら、深月は先の問答を思い出していた。


 双子は自分の家族をおりと呼ぶ。深月は樺冴の屋敷をそういう場所にはしたくない。


 奈緒から宿題を言い渡されてから、深月は家族というものについてよく考えるようになっていた。真信も他のみんなも、どこか家族のように思っているから。


 けれど深月にはまだ、真信に感じる想いと、他の者へ向ける気持ちの別がよくついていない。奈緒の言う通り何かが違う気がする。だが、その差異も、原因も、何も理解できていなかった。


 だから他者の考えを聞くことで自分の中にない答えを埋めようとした。


(この子たちは家族が嫌いなのかなー)


 双子は言った。


 ──同じ親から生まれたってだけで、全部決められとう。

 ──生まれてこなければ、面倒ごと背負わずに済んだんじゃ。

 ──家族ってだけで逃げられん。だからきっとこう思われてる。


(あれ……? ? 思ってるじゃなくって? じゃあ、そう思われてるからこそ、自分たちもそう思ってるのかなー……?)


 そう考えて、はたと気づく。


(……そうだ。真信のことも、逆だったんだ)


 もしかすると自分にとっては真信が深月をどう思っているかのほうが、自分が真信をどう思っているかよりも大事なんじゃないだろうか。


 深月の感情は深月のものだ。どうせ変えられない、変わらない。一人で生きているだけでは、自分は変えられない。そして一人で生きていた深月の中に『家族』という枠組みはそもそもなかった。


 その認識が生まれたのは、屋敷に他の人間が住むようになってからだ。


 だからこの感情の発生源は深月の内側というより、環境の変化のせいだろう。感情の多くは鏡合わせだ。嫌悪を向けられれば胸が痛み、好意に触れれば温かくなる。むろん例外はあるが、人間という生き物は存外、単純だ。


 もし感情の出所が内にないのなら、その答えは外にある。


(真信は私のこと、どう思ってるんだろ?)


 首をひねるが、それで分かるはずもなく。

 こうして深月は生まれて初めて、他人の眼というものを意識することを覚えたのだった。


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