呪術の理


 夜更かししたせいか頭が重い。

 朝の十時に目覚めた深月は、このだるさがむしろ寝すぎたせいだとは疑わなかった。


 身支度を終えた深月は真信と二人、彼が昨日見つけたという石塔を見に出掛けた。


 静音は千沙ちさを連れて、昨日親しくなった老人のもとへまた手伝いに出たらしい。そのため深月は久しぶりに真信と二人きりだった。


「鬼ねー。そっか、それなら納得。その人の言ってることはたぶん間違ってないよ」


「そうか……。いや、深月を疑うわけじゃないんだけど、あの男はどうにも胡散臭くて」


 民家から離れ山のほうへ向かう小道に入りながら、真信が顔をしかめる。この少年が他人への悪感情をここまで素直に出すのは珍しい。その伊佐いさ尚成たかなりという男はよほど怪物じみた見た目をしているのだろうか。


「ねえ深月、そもそも呪術ってなんなの? 伊佐いさは呪術に普遍性がないとか言ってたけど。今までなんとなくで考えてたよ」


 少年は悪意のない顔で基礎的な部分に疑問を示す。深月はそこを明確にしていなかったことに改めて気がついた。


「そうだねー、どこから話せばいいか……。うん、呪術の基本は類感と感染かなー」


「類感と……感染?」


 深月は人差し指で円を描きながら少年に説明を始める。


「類感っていうのは、似ているものは同じ物と判断すること。人形を人間と重ねるのはこの考え方だねー。一方の感染は……例えば双子を生んだ母親が川上が洗濯してるときに川下で洗濯すると、その人も双子を生むとか、そういうっていう現象のこと。呪術はその二つが基盤になってる。

 身近なのでいうと、子どものへその緒を大事にするのは類感だねー。分身を大切にすることで本人を守ることに繋がるとする。…………っていうのが学問としての呪術の在り方」


 そう言葉を切ると、真信は不思議そうに首を傾げた。その純粋な目はまるで幼子のようだ。

 深月は少年の態度に少し笑って、今度は気を引き締めて続けた。


呪術者わたしたちが実際に使う呪術もその法則に沿ってはいるんだけど、やっぱり実践になるとちょっと違うの。

 呪術って、そこにいる人たちが物事をそう認識してる、把握してるってところを逆手に取って、それを現実にしちゃうものなんだよ。現実が先にある科学とは順序が逆なのかな」


「逆……」


「正しいか正しくないかじゃないの。だってどんなに胡散臭いものでも、信じている人間から見える世界だと真実でしかない。今はみんな車とか持っててどこにでも行けるけど、昔はそうじゃないでしょう? だから本当は、本人たちにとっては目に見えている範囲だけが世界の全てだったんだー。その世界で信じられている事こそ、その世界の真実で、現実。場所が違えば住む人が違う。住む人が違えば現実もまた別物になる。まあそういう差ができるだけ出ないように技術を体系づけたものこそ呪術って呼ばれるんだけどねー」


 カラスの鳴き声で吉凶を占う風習がある。それは全国に見られるが、地域によっては同じ一鳴きでも結果が真逆になることがあった。その場合どちらが正しいかではなく、ただその地域で信じられている結果こそが真実だ。誰が何処どこで行っても同じ結果にならねばならない科学とは在り方が違う。


 呪術が歴史の表舞台に立たなかったのは、ひとえに普遍性を獲得できなかったからだ。時折現れる天才の術も、そのまま後世に引き継ぐことはできない。継いで、発展させることができないのだ。使える者と使えない者がいて、いつでも同じ効力となるわけでもない。不安定だからこそ現実の意識の隙間に存在し、不安定だからこそ現実そのものにはなれない。


 呪術は一種の夢のようなものだった。見ている間は現実でも、目を覚ませば幻想に過ぎない。


「その伊佐いさっていう人の危惧きぐは分かるよ。もし呪術が現実に変えた非現実を科学が観測して、それこそこの世の現実だって証明しちゃったら──。呪術はもう影じゃなくなる。呪術の才のない子どもでも引き金一つで扱える、ただの兵器になりかねない」


 真信は深月の言葉を聞いて、始めて背筋が冷たくなった。


 例えば病を引き起こす呪術が地元にあるとする。呪術によるものだから原因はウイルスでもなければ細菌でもない、科学からすれば未知のものだ。けれどもしもその病を科学が現実だと観測し病名など付けてしまえば、呪いの病は存在を普遍化されてしまう。すると呪術にらず全世界に広まり人々を苦しめることになりかねない。なぜならその病は夢ではなく、もはや当たり前に存在する現実になるからだ。

 その病は科学的に新しいものだから、もちろん特効薬など存在しない。そしてもはや呪術でないために、呪術で解くことも叶わない。


 原因不明、治療法も不明、呪術から生まれた新たな病。

 もしもそれを、悪意を持って生み出し広めようとする者がいたならば、この世は簡単に──


「だからこそ」


 深月の声にはっと顔を上げる。そこにあったのは、諦観の笑みを冷たく浮かべる少女の姿だった。


「呪術と科学は混じったら駄目なんだよ。何が起こるのか分からないから」


 真信は重く頷いた。


 思ったよりも長く話していたらしい。もう真信が昨日見つけた石塔に着いていた。石は神社に置かれている石灯篭とうろうにも似ていたが、火を入れるスペースがない。石塔は深月が両手を広げても囲めないくらいずんぐりとしていた。


「深月これ、どういう意味か分かる?」


 気持ちを切り替えた真信が柱の部分に刻まれた字を指差す。深月は屈んでそれを眺めた。


『維□永禄十龍集丁卯夏六月如意珠 施主小□□彦等』


 欠けている部分もあるが、そう刻まれているのが見て取れる。緊張したように自分を見下ろす真信に、深月は軽く頷いてみせた。


「これなら簡単だよー。最初の維~の所はたぶん『維時これとき』、後ろの年号と合わせて、『永禄十年のとき』くらいの意味だね。『龍集』は単に、年号の後につけるお決まりの文句みたいなもの、かな? あんまり気にしなくていいよー」


「あ、その流れでいくと、その後の丁卯って、もしかして干支えと? その年の六月で季節が夏……だったり?」


 自信なさげに言う真信に、深月は笑いかける。


「そうそう、合ってるよー。『如意珠』は願い事の成就を念じる言葉。その後はこれを作った人達の名前だね。消えちゃってるけど。だからこれは、永禄十年の六月にこの人達が作りましたって書いてあることになる。えっと……千五六七年、かな。今から約四百五十年くらい前」


「そんなに古いものなんだ……。何のために作られたんだろう」


「うーん供養くよう塔? でも如意珠ってあるから……写経塔かな。それにしては宗教色が…………あっ」


 中に写経でも納まってはいないかと深月が柱を叩くと、静電気のようなものが走った。今まで何も感じなかった塔から呪詛の香りが漂ってくる。


「み、深月? どうしたの?」


「真信、ちょっと離れて。何か仕掛けてあったみたい」


「仕掛けって──」


「呪詛に反応して起動する守護術式かな。わんこ、お願い」


 二人して道幅ぎりぎりまで距離を取る。狗神を顕現させて脇にひかえさせると、塔から微弱な黒いもやが立ち上った。靄はゆらめき寄り集まって、やがて細長い龍のような姿を取った。


 正式な式神ではないようだった。時代物の道具に籠る呪詛に指向性を与え式神にした簡易的なもののようだ。系統は道家の法術、鬼物を使役する天心正法の劣化版といったところか。


 それを見て深月はほっと息をつく。封じられていた妖怪の類ではない。塔の年代とは違い、随分と新しい術式だった。つまり狗神ならいくらでも蹂躙じゅうりんできる程度の強さだ。


 まとう呪詛が弱すぎて真信の目には見えていないだろう。少年は状況を掴めず目を白黒させていた。


 襲い掛かって来たもやを狗神が喰らう。思った通り式神は一瞬で霧散した。だが口の隙間から抜け出した一体が狗神を恐れるかのように逃げていく。

 どうやら使役者はあまり優秀ではないらしい。


「む、一匹逃がした。追いかけるから、真信はここにいて」


「えっ? 深月!?」


 真信が呼び止める間もなく、深月は狗神に乗って飛び去ってしまう。隠形の術を使ったのかすぐに姿が見えなくなった。


「…………何がなんだか説明して……」


 取り残された真信は一人棒立ちになり、深月の消えた方向を呆然と見つめることしかできなかった。





 同時刻、真信のいる地点からそれほど離れていない獣道を進む子供たちの姿があった。金色の髪を三つ編みにした双子の少年少女だ。滑りやすい坂道を仲良く手を繋いで登っている。


「姉さま、今日は見つかるかな?」


「どうじゃろ。でももう兄さんも十八じゃ。私たちも中学生になる。そろそろ決着つけにゃあ」


「うん。これはきっと、僕らにしかできんことじゃから」


 二人はそう互いを鼓舞するように言い合う。坂を上り切った道の中腹で、弟のちがやが後ろを振り返った。


「あれ、ゴムがない……」


 後頭部に手をやる。ちがやの髪をまとめていたゴムがなくなっていた。菖蒲しょうぶも弟の、三つ編みがほどけてウェーブらしき型の残った髪を触る。


「ホントじゃ。坂のぼる前はあったはずじゃけど。どっかで切れたんかな」


「たぶん、途中の木に引っかけたんじゃ。姉さまは待ってて」


「あっ、兄さまっ。…………行っちゃった」


 道を駆け下りて行ったちがやの姿はすぐ木々に隠れて見えなくなってしまう。

 菖蒲しょうぶは伸ばした手を引っ込め、辺りを見渡した。


 当たり前に自分よりもずっと背の高い木々と、木の葉に遮られ狭くなった空。うつ伏せてしまえば、生えている雑草にすら身体を隠されてしまう。こうも広大で手放しの自然に一人きりだと、いつも強がっている少女でもさすがに心細い。


 黙りこくって弟を待つ。いったいどこまで戻っているのか。まさかこのまま帰ってこないんじゃないかと薄い恐怖が心臓へ這い寄ってくる。


 ちがやを追うか否か、迷って足を出したり引っ込めたりしていると、遠くからガサガサと草を掻き分ける音が近づいてきた。


 音はどんどん大きくなる。それは音の出処でどころが距離を縮めて来ていることを意味していた。


(風じゃないっ、まさかいのししけ!?)


 山の中だと猪も鹿もわりと簡単に出会う。いつもは遠くに見えてすぐ引き返すのだが、今回はそういかなかった。


(どっ、どこじゃ!?)


 音はするのに姿が見えない。これじゃあ隠れることすらままならない。

 冷や汗が全身を伝う。小さな手をぎゅっと握り締めて身を固くすると、背後で何かの気配がした。


(なんかいる!)


 見えなくても感じる。濃厚な殺気に睨まれている。菖蒲は思わず頭を腕に抱えて膝をついた。


 強く目をつぶって息を止める。すると頭上で水風船が弾けるような音が聴こえた気がした。音はそれきりで、何も起きない。


 不思議に思って腕の隙間から狭い視界を見渡すと、目の前に白く細い足が柔らかに降りてきた。


「危なかったねー。危機一髪だったよー。怪我はない?」


 優しく軽やかな声に顔を上げる。そこには、光を透かすブラウンの髪をなびかせた、夢みたいに美しい少女が、ちょうど天から舞い降りた天女のように微笑んでいるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る