解けゆくモノ編
淡い協定
「イナーシャの人間が何の用だ」
腰を落としてポケットのナイフに指を伸ばす。それに少年は笑って両手を上げて見せた。
「いやだから、ばあちゃん死んだから帰省してるだけだって。俺は
「信じられるとでも?」
「俺は嘘が嫌いなんだ。……なんて言っても信じてもらえないよな。見なよこの指、これで少なくとも俺が
「指……?」
少年は両の手の平を前に突き出し得意げだ。だがそれが何だというのだろう。眉をひそめる真信に
「あれっ、もしかして気づいてない? 遺伝なのかな、
言って中指と薬指をぐにぐに動かす。確かにその二本は平均よりも短かかった。太さはともかく長さは小指ほどにしかない。
「そういえば……確かに」
思い返すと、包丁を持つ
真信が記憶を掘り返していると、少年が肩をすくめてまた魔剤をあおる。
「ぷへっマズいぃぃ。んんっそもそも勘違いしてほしくないんだけど、イナーシャにいる人間がみんな
「それは、いつかは絶対に敵対するってことだろ」
「でも少なくとも今じゃない。一つはっきりさせておこうか。俺達イナーシャが最近になって積極的に動き出したのは、呪術が科学と手を組みだしたからだよ。呪術が科学のように発展せず時代の影に隠れ続けていたのは、呪術が普遍性を持たなかったから。呪術は科学と違って、どこに居ても誰が使っても同じ効果が出るってわけじゃない。だからこそ発展しない。科学隆盛期の今なら放っておいてもそのうち消える定めだったはずだ。それなのに科学と手を組んで、もしも、その普遍性を手に入れてしまったら……。考えるだけで
幼い顔立ちに似合わない、嫌悪を込めた言いかただった。真信には言葉の意味がよく噛み砕けなかったが、どうやら言っていることは本心らしい。
「つまり、僕らに手を出すつもりはないってこと?」
「イナーシャは元々、呪術や宗教のせいで人生を狂わされた者達の互助組織なんだ。俺達はただ自分と周囲の生活を守りたいだけさ。あんたももし、呪術に人生を狂わされる誰かを救いたいと思ったなら、俺達と共に来るべきだ」
右手がこちらに伸ばされる。距離はたったの二メートル。
『呪術に人生を狂わされた』少女の顔が頭に浮かぶ。彼女を救えるなら、真信はどんな手でも使うだろう。
だが深月の顔が浮かんだからこそ、伸ばされた誘いの手を真信は掴まなかった。
「断る。僕は深月のもとを離れる気なんてない」
力を込めて断言する。少年は唇を尖らせあっさりと引いた。
「ふーん。しょうがない。ま、考えておいてよ。こっちはいつでも歓迎だからさ。あ~
「えっ、生きてるの?」
「生きてる。片腕無いけどめっちゃ元気に今日も呪術者狩ってる。ああ、ここには来ないよ? 彼女、今は慣れない子守で忙しいし。今度会ったら
「なんで僕が。関係ないだろ」
「はははっ、そうかもな。それじゃあせっかくだし今の話をしようか。単刀直入に言う、
「どういう意味?」
「なんかさ、起きてるだろ、この里。それも呪術がらみの何か。今はプライベートだし、俺はもう里を出た人間ではあるけど、やっぱり生まれ育った地元が呪術に
歯を見せて笑う
逡巡したあげく、真信は小さな声で訊いた。
「…………さっき言ってた、鬼ってなんだ」
その問いに
弧を描いた缶が蓋に開いた丸い穴に吸い込まれていった。
「この里が古くから祀ってたもの。そして恐れているものだ。まあ、俺達の世代じゃあ、その“鬼”が何を指すものかまでは知らないけどもね」
「鬼って、あのツノが生えてて虎の毛皮でできたパンツ履いてるやつじゃないの?」
「おにぃのパンツ良いパンツって? ははっ、そういう考え方もある。けどそもそも鬼ってさ、古代中国だと幽霊みたいなものの総称なわけよ。病気とか瘴気を鬼って呼んでたこともある。『おに』という言葉自体、『
鬼、外国人、連想して思い浮かぶのは、あの金色の髪を持った双子だった。あの容姿が父親譲りでないのなら、小里家固有のものということになる。隔世遺伝で
真信はそこまで考え、首を横に振った。
それよりも聞き捨てならないことがあったのだ。真信は少年に問いかける。
「ここの祭りは、鬼と関係があるのか。外からじゃどう探してもここの祭りの詳細は分からなかった。キミは何を知っている」
「その辺は自分で調べてよ。サービスタイムは終了。貴方が俺を信用してくれるなら仕方なぁく教えてあげてもいいけど?」
「ヒントはあげた。俺も自分で調べとくよ。地元を──両親を守るためにね」
それだけ言い残して去っていく。真信はその背に向けて一つだけ答えた。
「……『アカデミスタ』。緒呉で何かやらかそうとしてるのは、そう呼ばれてる組織だ」
貰った情報の対価のつもりだった。手を組む気にはなれないが、貰いっぱなしも気が引ける。
真信の声に振り返った
「絶対に勘違いしてるだろうから言っておくけど、俺、もう三十過ぎてるよ」
「は?」
「俺は嘘が嫌いだから、本当さ」
「はぁっ?」
真信の呆けた顔がよほど面白かったのだろう。尚成は腹の底から大声で笑う。そして腹を抱えたまま今度こそ振り返らずに去って行った。
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