どこにでもある球体


「あ~……只野ただのさん? 申し訳ないんですけど、真信先輩、いまこの町にいないんですよね。すみません……」


「そっかぁ。ううん、遠くからでも顔見れるかなって思って来てみただけだもん。いないなら仕方ないや。奈緒さんが謝ることじゃないよ。ね?」


 言って、少女は奈緒の両手を握る。その顔にはニコニコとあどけない笑みが浮かんでいた。

 奈緒は只野ただのと名乗る少女を不思議に思って見つめる。


(なんというか、ここまで悪意を感じない人種ってのは珍しい。まるで悪口覚える前の幼稚園児みたい)


 奈緒は人間観察が得意だった。表情の機微から相手の内側を探ることで情報を得る。例えば心にもないお世辞を言うような人間は、視線や手の動きに気をつけて見ていれば見抜くことができた。


 その点、只野ただのは思考が表情と直結している。奈緒が伝えたのは彼女にとって不利益となる情報のはずなのに、少女は残念に思いながらもここに来たことを悔いていない。元から会えないのを前提としていたか、それともこうして真信を訪ねることそのものに楽しみを見出していたかのように。


(何者なんだ、この子)


 どちらにせよ、真信との関係は浅いものには思えない。


「何かご用事だったなら、電話で伝えときましょうか?」


「ううん、ほんと顔見に来ただけだから。用事ってほどでもないんだ。もう帰らなきゃだし。ねぇ、駅ってどっち?」


「あ、案内しますよ」


「わあ! ありがとう奈緒さん!」


 パッと表情の明るくなった只野と連れ立って歩く。初対面だというのに只野は奈緒を信頼しきっている様子だった。そんな楽し気な少女につられて、奈緒の口もつい軽くなる。


「……只野さんって、真信先輩とはどういうご関係なんですか?」


「私と真信?」


「はい。なんだか親しげな気がし────あっ」


 訊いて気づく。

 まさか、前の学校の恋人だったりはしないだろか。


 遠くから約束もせずわざわざ会いに来るなんて。ただの友人にしては行動が過剰だ。


 同性の眼から見ても只野はかわいい。仕草もどこか幼げで、浮かぶ表情は純粋無垢そのもの。いかにも男受けしそうな少女だ。クラスの男は放って置かないだろう。


 真信なら一般人のふりをするために学校でカモフラージュの恋人を作るくらいはしそうにも思える。もし只野がそういう相手だったら……。


 そんな考えがほんの一秒のうちに脳裏を駆けた。


(いやいや、ショックを受けるには早すぎる。ここは当人の証言を聞かないと……)


 自分をそう落ち着かせながら只野の反応を待つ。只野はなぜか、照れたように人差し指を唇に当てて微笑んだ。


「私たちの関係は…………秘密だよ」


(絶対深い関係じゃないですか!?)


 あの男、帰ってきたら真偽にかかわわらず一発殴る。奈緒はそう心に決めた。

 心中で素振りをしていると、また奈緒の中に一つの可能性が浮かんでくる。


「って、ああ、そうか。待ってください。只野さんもしかして、平賀の関係者だったりします?」


 本来なら最初に思い浮かべるべき選択肢だったと唇を噛む。自分の中で平賀に関する問題が解決したとはいえ、頭から存在が抜け落ちるには早すぎる。


 それは少女の雰囲気があまりに裏社会と隔絶していたせいもあったのだろう。


 『平賀』は真信の苗字でもある。関係ないならないで裏の事情を察せられるものでもないだろう。


 そして平賀の人間は、屋敷にいる者達のように真信に好意的とは限らない。制服の裾に仕込んだ冷ややかな感触に指を這わせながら答えを待つ。


 しかし只野の返答は予期せぬものだった。


「平賀とはもう関係ないよ。えり──只野は昔ね、平賀から除籍されちゃったんだ」


「除籍って……え?」


「人間の眼球おめめって綺麗でしょう? だから珍しい色のを集めてたの。そしたらすっごく怒られちゃった。あんなにいっぱいいるんだもん、ちょっとくらいいいのにねぇ? 確かにたまにのは反省してるけど、子どもだったから加減が難しいの仕方ないと思わない?」


 同意を求めるように只野が奈緒へ視線を向ける。だが奈緒はその顔を見つめ返すことができなかった。


 理解は遅れてやってくる。“壊す”、“動かない”とまるでおもちゃのことを語るようだが、只野が言っているのは間違いなく人間のことだ。さっきと何も変わらない純白の笑みでおぞましいことを語る少女に、奈緒は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 今まで微笑ましい一般人だと思っていた少女が、今は得体の知れない化け物に見える。


「たっ、只野さん……? 目って、どうやって集めてるんですか?」


 少女がこちら側の人間だとまだ信じられなくて、思わず訊いてしまう。


「ん? こうやって──」


 只野の白く細い手が奈緒の顔に伸びる。殺気も悪意もその指先には乗っていない。目についた本を棚から引き抜こうと手を伸ばしたかのような自然な動作。


 かぎ爪のように曲げた人差し指と中指が左のまぶたに触れた瞬間、只野は思い出したというように指を引っ込めた。


「あ! そうだった。勝手にって約束したんだった。約束は大事だもんね。ちゃんと守らなきゃ」


 後ろ手を組んで只野はニコリと笑う。奈緒はいつの間にか止めていた呼吸を再開し、伝う冷や汗を拭った。


(うっ、動けなかった…………。ヤバっ、なにこの子。どうしてそんな無邪気に人の眼をえぐろうとできるの!?)


 言葉の出ない奈緒に気分を害した様子もなく、只野はあくまでにこやかだ。


「奈緒さんの眼の色はあんまり珍しくないし、欲しくはないかな。約束やぶるほどじゃないや」


「あはっ……それは光栄で……」


「只野はもっと珍しい色が好きなんだ。平賀にね、とても綺麗な目をした子がいたの。真っ赤で、すごく輝いてて、取ろうとして邪魔されちゃった。やっぱり欲しいなあ。だから真信と一緒にいるって聞いてさっきあの屋敷を覗きに行ったんだけど、いなかったんだ。残念だよねぇ。お土産にしようと思ってたのに」


「赤い眼……もしかして、マッドさん……?」


 メガネを外したマッドの顔が思い出される。最初に倉であの瞳を見たとき、マッドは怯えていた。


『マッドの目ぇ見た人、みんなこレ取って飾ろうとスるます』


 そう震えながら腕の隙間から自分を見上げる金髪の少女の姿を覚えている。彼女をそうやって害そうとした人間はたくさんいたのだろう。


 只野は嬉しそうに頷く。


「あ! 確かそんなふうに呼ばれてたかも! そうだよマッドだマッド。懐かしいなあ。ね、よろしく伝えてね!」


(間違いない。この人、マッドさんの眼を取ろうとした人たちのうちの一人だ──!)


 人体の一部をコレクションする異常者はたまにいる。だが彼らは自身の異常性を知りながらそれを隠す。こうもあけっぴろに、趣味の一つくらいの感覚で話す彼女とは違う。


 この少女は自分の行為が悪なのだとすら気づいていない。

 蟻を潰す子どものように、命の価値を理解できていないのだ。ここで奈緒が只野の行為を糾弾しても、恐らく彼女の心には何も届かないだろう。なぜなら悪いことをしているなんて微塵も思っていないから。


 このままじゃ駄目だ。

 けれどどうすればこの少女を止められる。

 無自覚に堕ちていくこの子の人生を救えるのだ。


 辿りついた殺風景な無人駅で、奈緒は逡巡をやめて無理矢理口角を上げた。


「眼球すぐえぐっちゃうとか、それ、もったいなくないですか~?」


「どういうこと?」


 きょとんとした顔で只野が首を傾げる。その純粋さを奈緒は否定せず、あくまで彼女の嗜好しこうに寄り添う理解者を演じながら語りかける。


「だって、眼玉って取っちゃったらただの球体じゃないですか。どんどん濁っていっちゃいますし」


「うん、だからしばらくしたら捨てるの」


「あはっ、もったいな~い。瞳って、やっぱり生きてる人間の眼として存在するから輝くんですよ。外しちゃったら、そりゃただの模様がついたピンポン玉です」


「むむむ?」


「眼っていうのは、当人の感情に合わせていろんな表情を見せるもの。同じ眼球でもその変容は千差万別。只野さんはあたしの眼をよくある色って言いますけど、この世に同じ眼玉なんか、本当は一つもないんですよ」


 少女に顔を寄せ、その瞳を覗き込む。そこに浮かんでいたのは疑問と好奇心。奈緒は彼女に微笑みかけて、こう提案した。


「一度、取らずにじっくり観察してみてください。そうしたらたとえ凡庸な瞳でも、いろんな輝きを見せてくれることに気付くはずですよ」


「それで、面白いものが見れるの?」


「はい! きっと、今まで知らなかった楽しみかたも見つかりますよ~」


 声のトーンを秘めやかに、意味ありげに微笑んで相手の興味を誘うように語る。


 きっと、奈緒にできるのはこの程度だ。これで彼女の行動が何か変わればいいのだが。


 内心では冷や汗を掻きながら友好的な態度を保ち続ける。するとホームに入った電車を見て、只野が駆けだした。


「ふーん、あっちょうど電車出るみたい。じゃあね奈緒さん、見送りしてくれてありがと。またね!」


「あはっ、でわでわ~。………………二度と会いたくないですけど」


 扉が閉まり、電車が動きだしてから奈緒は本音を吐き捨てる。ホームから駅構内に戻って、奈緒は壁に寄りかかった。周囲に人の姿はない。安心して項垂うなだれられる。


「なんなんですかアレ。え~っと? 元平賀関係者でヤバイ奴、それしか分からん。どうして町の監視網に引っかからなかったんですかね。なんか屋敷の見えるとこまで来てたっぽいのに。あーマッドさん連れ出してて本当に良かった。偶然のファインプレーじゃんあたし。もうなんかご褒美もらわないと割に合わないでしょこれ」


 屈み込んで頭を抱える。とりあえず真信に報告しておくか。そう考えスマホを取り出し、只野が終始スマホをいじくっていたことを思い出した。


 もしスマホで町のシステムに介入して、自分が感知されないようしていたのだとしたら?


 だがあんな端末一つで町に何十台と設置されたカメラとその監視システムをあざむけるだろうか。そんなもの到底人間業ではない。


「さすがに、ね……?」


 浮かんだ想像を自分で棄却ききゃくする。とにかく詳細は監視カメラの管理者に問い合わせるしかない。今日は大人しく帰ってくれたが、もし只野が暴れていたら奈緒一人では対処できなかっただろう。


 こうなった以上、監視体制を強化する必要がある。各所へ今件の周知をし、他に侵入者がいなかったか確かめる。念のためマッドの現在位置を確認し保護のために人を遣る必要もあるだろう。他にもすべきことはたくさんある。


 そしてそれを指示するのはすべて、代理で責任者となっている自分だ。


 せっかくの夏休みだというのに、突然増えた仕事に奈緒は忙殺されていくのだった。






 映像処理システムに介入するという過度な操作で急激に充電の減ってしまったスマホを仕舞う。いくつかの駅を過ぎ、少女は電車を降りた。


 昼過ぎの、帰宅ラッシュにもまだ早い時間だ。電車の乗客は少なく、その駅で降りたのも少女一人だった。


 そんな少女を出迎える人影がある。腕を組んで壁に寄りかかっていたのは、ピンクアッシュの髪を団子のように結わえた、目の据わった少女だった。


 二人の少女の視線がぶつかる。


「あ、約束守った偉い只野ただのを迎えに来てくれたの?」


「只野って誰よ!?」


「えへへっ、間違った。永吏子えりこはただの永吏子えりこだけどほんとは只野じゃないもんね!」


「意味が分からないわ。それより、え・り・こぉ……?」


 氷向ひむかい綾華りょうかはこめかみに青筋を浮かべていた。それはもう、湧き出る殺意を必死に抑えるかのように。


「こんど勝手に消えたらぶん殴るって言ったわよねぇ? 覚悟は出来てるのかしら? てかどこに行ってたのよ私も連れていきなさいよ探したじゃない」


 そんな出迎えに、永吏子えりこは両手を合わせて頭を下げる。


「ごめんなさーい! お兄ちゃんに付いてた同種長男の監視が消えてたからチャンスだと思って! でもお兄ちゃんもいなかったよ残念」


「あんた、あいつに会いに行ってたわけ? 何しに? まさか同衾どうきんを迫りにとかじゃないでしょうね」


「違うもん。永吏子えりこはそんな女じゃないもんっ。会いたかったのは本当だけど、そうじゃなくて、この眼で覗きに行ってたの」


「何を?」


 濁った瞳で自分を見つめる綾華りょうかに笑いかけ、永吏子えりこはその腕に抱きついた。振払おうとする綾華りょうかに甘えるように囁く。


「ジュジュツ界の最高戦力、カミツキ姫の秘密をちょっと、ね?」



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