お買い物


「ちょっと情報整理に協力してくれないかな。昨日のお詫びもかねて、晩ご飯をご馳走するから」


 真信のその言葉で、奈緒の今日の予定は決まってしまった。


 後輩の来訪を喜ぶ深月の笑顔にまさか嫌ですと言えるはずもなく。奈緒は放課後の商店街を真信達と歩いている。


 前を歩く二人をずっと観察しているが、奈緒の語ったを、少女が真信に話す素振りはない。むしろ深月はそんなこと毛ほども気にしていないようだ。


 もう忘れてしまったのではないかとすら疑うほど、彼女の顔色は変わらない。


(変なの。真信先輩のこと大切なら、あたしのことをどうにか伝えようとしてもおかしくないのに)


 奈緒は言った。自分の復讐相手は真信に近くて遠い人間だと。確かに真信自身を標的とは言っていない。だが近しくあるとは語った。ならば彼が巻き込まれ利用されないとも限らないというのに。


(深月先輩って、真信先輩と違って顔に出すタイプなのに、ぜんっぜん考えが読めないし。まさかまさか、あたしのこと信頼してる……なんてことは、さすがにないですよね?)


 昨日会ったばかりの人間を信頼するなど、どれだけ強メンタルならできるのだ。心臓に毛どころか、心臓ないのでは? と疑ってしまう。


(う~ん。との兼ね合いもあるし、要観察ってとこですかねぇ)


 思い出したくないものを思い出して、奈緒は自分の中に苛立ちが募るのを感じた。だがあまり黙ったままだと印象が悪くなりかねない。


 奈緒は考えを打ち切り、前方でなごやかに夕食の話をしている二人に混ざることにした。並ぶ二人の間にひょっこりと顔だけ割り込む。


「ねえねえ深月先輩。深月先輩は好きな食べ物なんですか?」


 会話の流れは聞き流していたが、食べ物の話ならこれが無難だろうと、好物の話題を振ってみる。深月は当たり前みたいな顔をして即答した。


「真信の作ったやつ全部おいしいよー」


「わぁノロケかよ。それじゃ~、嫌いな食べ物とかはないんですか?」


「うーん。……苦手なのなら、ラーメン。あれ、冷めるの待ってたらのびちゃうから」


「や、ラーメンは熱々で食べる物ですよ」


「猫舌なんだよねー……」


「えっ? 深月先輩が、猫舌?」


 深月の口から思いがけない単語を聴いて、奈緒は思わずのけ反った。それを過剰反応と受け取ったのか真信が不思議そうに奈緒を覗きこむ。


「奈緒はなんでそんなに驚いてるの?」


「だっ、だって。深月先輩、狗神の姫って呼ばれてるのに、猫舌って──ふっ狗なのに、猫舌」


「なるほど。猫舌のカミツキ姫……確かにそれは…………くふっ」


「おおー本当だ。でも仕方ないねー」


 笑いを抑えて腹筋をひきつらせる二人と、納得したように深々と頷く深月。


 彼女達の様子はどこにでもいる高校生のそれで、ゆえに三人を特別注視する人間はいない。


 決して少なくない命をその手で奪ってきた少年少女も、ただ雑談して歩いているだけでは、一般人となんら見分けがつかなかった。


 ひとしきり肩を震わせていた真信が、気をとり直すように斜め後ろの奈緒を振り返る。


「ところで奈緒は何が食べたい? お客さんの意見が聞きたいな」


「そうですねぇ和食とか?」


「じゃあとりあえず米だね」


「範囲広すぎませんか」


「牛肉が少し残ってたから、それ消費してしまう感じで……」


「えーお魚の煮付けがいいなー」


 冷蔵庫の中身を思い出していた真信だったが、横合いから飛んできた深月の呟きに瞬時に親指を突き上げる。


「よぅし、今日は魚の煮付けだよ奈緒!」


「ゲロ甘即決! ちょっとちょっと、あたしの時と反応違いません!?」


「こういうときは具体的な料理名を出した人の勝ちなんだよ奈緒。ところで深月、なんで魚?」


「目があってしまったんだよー」


 と、ちょうど通りかかった魚屋を指差す。その先には新鮮そうなカレイが並んで目を見開いていた。角度的にすごく目が合う。


「これは仕方ない」

「これは仕方ないですね」


 真信と奈緒も同時に納得する。

 夕食は魚に決定だ。


 ある程度の買い物を済ませ三人は屋敷に向かう。


 商店街の中程にある八百屋やおやの前で、奈緒は見覚えのある人影を見つけた。真信達も気づいたようで、そちらに足を向ける。


「静音、こんな所でどうしたの?」


「あっ真信さ────ん……」


 声をかけられて女性が振り返った。


 八百屋の主人と何やら話し込んでいたのは他でもない静音だった。いつも鋭く周囲を警戒しているような目元が、今は驚いたように見開かれている。


「おお、坊主。ちょうどいい所に」


 なぜか八百屋の男も、真信に気づいて片手を上げる。男は日に焼けた顔に満面の笑みを浮かべていた。


「なにかあったんですか?」


 八百屋の店主と静音。予想外の組み合わせに真信が事情を訪ねると、男はそれがなぁ、と語り始めた。


「今週分の野菜を屋敷に届けたんだけどよ、計算したら預かってた前金よりだいぶ安くついててなぁ。それじゃ悪いんで超過分の金を置いて行ったんだが……」


 口ごもった男の説明に、静音が継ぎ足す。


「説明もなく玄関先に現金の入った封筒が置かれていたので、こうして事情を確かめにきたのです」


「まぁそんなわけで、そしたら坊主がちょうど通りかかってくれたってわけよ。契約者は坊主だからな」


 男は帳簿らしきものを出して真信に細かな説明を始めた。女性陣は蚊帳の外である。


 男二人は顔を寄せ合って高速で電卓を叩いていたが、やがて真信が結論を出した。


「やっぱり、お渡しした金額に間違いはありませんよ。貴方の仰る超過分は配達料ですから」


 真信は封筒を返そうとする。しかし八百屋の男は頑として首を縦に振らない。


「いやぁ、それでなくても金にならなかった分を買い取って貰ってるんだ。そりゃあ今までより量は増えたが、どうせ屋敷まで届けに行くのに変わりねぇ。手間が掛かっていない以上、配達料なんぞ受け取れねぇっての」


「いえ、働きには正当な報酬が必要です」


「こちとら人情で商売やってんだ。子供らしくサービスくらい受けとっとけや」


「商人と客は対等であるべきですよ。それでなくてもお宅の値付けは──」


 配達料の是非についての話だったものがいつの間にか、ビジネスモデルの合理化についての対話へと変わっていく。


 目の前で何が起きているのか理解できない奈緒は、軍人のように直立して事態を静観している静音に近づいた。


「あのぉ、この人たち何の話をしてるんですか?」


「……傷が付くなどして売り物にできなくなった野菜を安値で配達していただけるよう、こちらの店主と契約を結んだのです。大量買いする前提で、普通の野菜も値下げされているとか。野菜の配達は週一回で支払いは月額の前払い。今月からの試し運用ですので、お二人は今後の価格適正でもめているようです。……話がズレてきているようにも見受けられますが」


 静音が姿勢を崩さず淡々と答えた。


 男の広げた帳簿をちらりと盗み見ると、毎週届けられる野菜とその値段が記されていた。確かにまともに買うよりも大幅に値引きされている。


 野菜の半分ほどは廃棄される予定の物だったようだ。これだけ値引きをしても、その余分な収入があるために収益が発生する。真信側も食材を安値で大量に買い付けられて、しかも買い出しに行く手間も省ける。両者が特をする契約だ。


 それにしては何処どこかで見たようなやりとりだと奈緒は首を傾ける。なんだったかなと逆にも傾け、ようやく思い出した。


 それはつい昨日のこと。多すぎる前金を静音に返した時と似ているのだった。


 奈緒に破格の前金を渡したかと思えば、食費を工夫して節約する。真信のやっている事はどこかちぐはぐに見える。


「真信先輩って、金銭感覚どうなってるんですか」


 奈緒は呆れて肩をすくめる。すると深月と静音は互いに顔を見合わせて苦笑した。


「真信様は、その…………」


「うーん。神経質なくせに大雑把おおざっぱ?」


「……ですので」


 表情にはどことなく優しさが混ざっていて、奈緒にはそれが意外だった。


 なぜ平賀真信はこんなにも周りから大切に想われているのか。


 奈緒が観察してきた彼は、平凡の仮面の下にを隠した不気味な人間だというのに。


(あたしの認識が間違ってんですかねぇ?)


 奈緒は人間観察が得意だ。動きの一つ、目線の揺れ一つで相手の思考を推測できる。


 なのに、真信のことがいまいち把握できないのは、彼が己を偽っているからだろう。人を騙すためではなく、自分を騙している。だから外側から内が観測できない。奈緒にはそう見える。


 深月たちには奈緒に見えていない、真信の隠したが見えているのだ。視点のズレはそこに起因しているように感じられる。


(利用するにしろ味方するにしろ、得体の知れない人はちょ~っとなぁ)


 そんな考えを巡らせながら、奈緒は眉をひそめて片頬を吊り上げ、皮肉の笑みを浮かべた。彼らにとって一番信用できない人物は自分奈緒だろうにという自覚があるせいである。


「ああもう、坊主の勝ちだ。配達料は受けとる。その代わり、契約の破棄は許さねぇからな」


「それはこちらからお願いしたいくらいです。じゃあ宜しくお願いしますね。あ、にんにくあります?」


「勿論あるとも! まいどぉ!」


 どうやら話はまとまったようである。奈緒は皮肉を引っ込め、表情を普段の媚びるような笑みに切り替えた。


「あはっ、お話終わったみたいですね~」


 明るくそう声をかけると、奈緒に寄りかかって寝そうになっていた深月が目を開き、静音が頷いて少年の代わりに袋を受けとる。真信が待たせてごめんと微笑んだ。


せないなぁ)


 奈緒は三者三様の反応を観察しながら笑みの裏で首を傾げる。


 奈緒は自分が怪しいことを自覚している。だからそれを踏まえて行動するつもりだった。なのに──


(なんで、誰もあたしを


 予期せぬ何かが起きている。そんな予感がした。






 予想より多くなってしまった買い物の荷物を、真信と静音、それと奈緒の三人で分けて持つ。


 最初は静音と真信の二人で持とうとしたのだが、奈緒が「お世話になりますし、これくらいさせてくださいよ~」と一袋奪っていった。


 彼女はいま真信たちの後方を深月と並んで歩いている。


 商店街を抜けると途端に人気がなくなる。そのため真信には、後ろの会話も聞こえてきていた。


「あの野菜ねー、前は狗神への供物くもつみたいな物だったんだよ。それを真信が、対等な取引に変えちゃった」


「タダだったものにお金払うようになったってことですか。それだけ?」


 深月は奈緒の質問を受けて、以前屋敷に野菜が届けられていた理由を説明していた。深月が簡単に語った顛末てんまつに奈緒が相づちを打つ。


 会話はまだ続くようだ。


「うん、それだけ。……それだけのことで、こんなに簡単に変われるんだねー……」


 それだけ。真信がしたのはそれだけだ。受け継がれていた因習を何処にでもある経済活動に変えただけ。


 ただそれだけで、深月は信じられないというような顔をする。変わらないと思っていたモノが百八十度姿を変える。まるで手品でも見ているような。


 彼女の常識がどれほど真信達とかけ離れていたのか、その表情に思い知らされる。


「不思議だよね。私は何も変わってないのに、どんどん、私の周りが普通になっていくんだ」


 それは良いことだったはずだと、真信は思いたい。変化とは時に残酷だ。変わる前の自分はいったいなんだったのか、そんな思いを想起させて、やるせない憤りを生むことがある。


 それでもこれは良いことだったはずだと。真信が思いたいだけなのか、それとも──


「よかったですね」


 深月へ投げ掛けられた奈緒の何気ない言葉に、真信は心臓が止まりそうになった。


 深月を取り巻く環境を変えることが本当に彼女のためになるのか、判然としないまま、彼女に問いかけることもしなかったから。


 真信がずっと踏み込めなかったことを、奈緒が無邪気に口にする。


 返事はすぐにあった。


「うん」


 柔らかな肯定の音が、真信の耳朶じだを打つ。


 真信は己の内に安堵が湧き上がるのと同時に────腹の底に沈んだ真っ黒な塊がうごめくのを感じた。


「真信先輩、顔色悪いですよ?」


 横合いから奈緒に顔を覗き込まれ、自分が立ち止まっていたことに気づく。真信はすぐに笑みを作って三人を振り返った。


「ごめん、ちょっと用事を思い出した。みんなは先に行ってて」


 突然の言葉に三人は目を丸くしている。真信の態度に違和感を覚えたのか、静音だけが真信に一歩つめ寄った。


「真信様、私もご一緒にっ」


「静音もね、深月たちをよろしく」


 笑みで拒絶を押し付ける。静音はなおも何か言いたげだったが、真信の有無を言わさぬ制止に大人しく引き下がった。


「じゃあ後でね」


 追われるように背を向けてその場を立ち去る真信は、悲しげに目を伏せる深月に気づくことはなかった。






 真信は振り返らずに歩を進め、幾度目かの角を曲がって狭い路地に入る。胸元を押さえて息を切らせた少年は挙動不審に周囲を見渡し、ほっと息をついた。


(この辺りなら、人通りも設置したカメラもない──うっ)


 安心した途端、波が襲ってくる。


 我慢の限界だった。


 真信は地に這いつくばって側溝そっこうを掴み、喉元まで上ってきた熱く苦い胃液を全て吐き出した。



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