過去と今の分水嶺
──らしくない事をしてしまった。
自分でそう独白するくらいには、先程の問答は自分らしくないことだと、深月は分かっていた。
それでも言わなければと思った。
『喋るのが面倒くさい。私は私のことで手一杯なんだから、相手の事情に踏み入って傷つくことなんて考えたくもない』
そうやって今まで通り放置してしまっては何も変わらないことも、深月はすでに理解している。
それを教えてくれたのは真信だ。もう深月は、彼と喧嘩をした時のような悲しみを味わいたくなかった。
誰にだって知られたくないことはある。秘密にしなくてはならない事情もあるだろう。
真信が、自分の過去のことになると曖昧に笑って話を逸らしてしまうように。捕まえた人間からどうやって情報を引き出しているのか、その姿を深月に見せまいとしているように。
踏み入られたくないのなら、深月は決して自らその傷に踏み込まない。
けれど、本当は誰かに聞いて欲しいと思っていたら?
誰にも言ってはならないと胸の中に仕舞い込んで。知られたら、皆の自分を見る目が冷たいものに変わってしまうのではないかと怯えて。どこかに吐き出して心を軽くしたいのに、できない。
溜め込んだ感情たちは名前を失って溶け合って、黒い塊に
泣き叫びたいのにやっぱり助けを求められない。ずっと自分を孤独に守ってきた己を捨てるのが、怖くてたまらない。
そんな風に抱え込んでいるのだとすれば。
深月はずっと人間関係を避けてきた。誰かが傷つくのが嫌で、他人が傷つくことで自分の心が揺れるのが
距離を取った。
ずっとそうやって生きてきたから、他人の体温があんなにも心地良いものだと知らずにいた。寄りかかっても振り払わずにいてくれる人がいることを知らなかった。
真信の言う通り、深月には人付き合いの経験がほとんどない。
けれどその代わり、深月はずっと見てきた。他者の営みを羨望まじりに観察してきた。だから分かる。一人では抱えきれない物を無理して背負っている人間の顔は、すぐに分かる。
一人で背負い込む理由も、悩みの原因も分からないが、何かに苦しんでいるのはわかるのだ。
たとえ力になれずとも。うまい言葉が見つからなくても。
手を差しのべて、頼ってくれるのを待つことはできる。吐き出し口になることはできる。
(まずは、そこからだよねー)
もう我慢するのは止めるのだ。その必要はないのだと真信が言ってくれた。だから心のままに、手を伸ばす。
まだ何をすれば人の力になれるのかも
真信がいつか、自分を頼ってくれる日が来るように。まずは、この初めてできた後輩から関わっていこうと、深月はそう決意した。
どれほどの間、少女はその暗闇の中に立ち尽くしていただろう。
自分の姿さえ見えない完全な闇に包まれた気味の悪い空間。ここを決して出てはいけないという父の言葉を、少女は守り続けていた。
裸足が地面の土を踏みしめる感触だけが、外界との繋がりを教えてくれる。
"見えない世界"は、自分が本当に存在しているのかすら分からなくなってくる恐ろしい場所だ。自分という人間を定義付けするものが、自分以外にいない。ただそれだけで人は宙に吊られたように足場を失う。
それは例えば、自分にしか見えていないモノや聞こえないモノを、幻覚だなんだと現実から切り離してしまう感覚に近い。
光がないから時間の経過もわからないまま、少女は家族を待ち続ける。
少女は知らない。この暗闇が異界と呼ばれる、普通なら数時間そこにいただけで正気を失う場所に接していることを。専用に手を加えられてこそいるが、人の長く居てはいけない空間には変わらない。
真っ黒いものがだんだんと少女の精神を
そんな少女の意識をこの世に繋ぎとめていたのは、ずいぶん前に外から聞こえてきた会話だった。
「あった、あった」
くぐもった人の声がしたのは、最後に家族の声を聞いてから数分が過ぎてからか。
複数の足音が近づいて来て、少女の前方付近で立ち止まる。
「大人二名と子供一名の合計三体。間違いありませんね」
「私達で運ぶ。現場の回復は任せた」
「了解しました」
去っていく足音と、その場でゴソゴソと何かを始める音。残っているのは二人の男性らしい。会話が聞こえてくる。
「見たか、死体の弾痕。三人中二人は脳天に一発で済ませてあった。もう一人もほぼ即死だろう」
「ああ、正確な射撃だ。生真面目さが殺した跡にも出ている。平賀では当たり前の技術だが、私は銃の扱いが苦手でね。素直に感服するよ」
「今回もこっちに死人が出なかった。的確な指揮だ。その上、前線での行動に支障のない力量を併せ持っていらっしゃる。やはりあの方は、平賀の次期当主に相応しきお方だ」
「────ん?」
「どうした」
「いや、いま人の気配が……」
「誰もいないぞ。この辺りに標的以外の人間がいないのは事前に確認していただろう」
「……それもそうか。これはどうする?」
「どうするも何も、そんなものがあったら不自然だろう。処分するぞ」
「にしても、なんで靴だけ置いてあるんだか。報告しておくか?」
「いらんだろう。大方どこかで履き替えるつもりで持ち出したんじゃないか?」
そんなことを喋りながら男たちは何かの作業を終えて去っていった。
聞いた会話を何度も脳内で繰り返しながら、少女はぼんやりと思考を止めていた。
すでに頭の何処かで現実を理解しているのに、少女は自分をこの世から隠す狭い円の中から出られない。
ここにさえ居れば現実を受け入れなくて済むから。現実が見えなければ、まだ希望を持っていられるから。
しかし人間はいつまでも飲まず食わずで身動ぎもせずに立っていられるものではない。
現実の時間で三日が過ぎる頃。少女は倒れた。
仰向けに倒れ、勢いのまま背中を
久しぶりの太陽が眩しくて、目を細めて手で顔を覆う。
家族の迎えは、結局来なかった。
「ひらがの……次期、当主」
気づくと、少女はそう呟いていた。
少女は不幸にも、愛する家族がこの世にいないことを心が受け入れる前に、
己の復讐すべき相手を
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