矛盾するのは人の感情ばかり
よそ者を嫌う土地というのは、現代の日本にも未だ存在していた。
その土地の気風であることもあるが、部落ぐるみで何かを隠していることも多い。
一昔前ならば源平合戦を逃げ延びた
しかし近年になり小さな集落まで国に認知され人の出入りが始まると、理由は変わってくる。
一番多いのはやはり金銭だ。例えば合併すると、その土地の財産は町などに徴収され共有財産となってしまう。そのため部落の財産が多くある場合は、秘匿しようとする者が出てくるのが常だった。
そういったものを隠すために、新たな人間が移住してきても町民は町を動かす組合を旧来の人間だけに限定してしまうことがあった。明治政府による支配が進んでも、多くの地方では部落特有の規約が法律よりも優先されていた。そこからはじき出されることは地域の一員ではないということだ。
とある地方の部落規約に、こういった文言がある。
『
『本区内に居住をなすものは直ちに一応区長に申出をなし、其上役場に転入届を──』
『他人に家を貸すときは、区長・組長に相談の上貸付るものとす、借主の不始末の場合は家主よりすること──』
つまり、よそ者はすべて長が把握するということだ。区長の反対によって居住を断られる場合もあった。
それだけ何かを隠す地元の繋がりとは強固で、新顔を嫌う。
多くの部落規約が破棄され久しい現代でも、当時を知る老人の多い地域には暗黙の了解としてかつての規約を遵守する傾向にある。
現在のように交通手段の少なかった時代は、地元の人間同士で力を合わせなければ生きていけなかった。それはつまり、力を合わせることを強制されるということだ。道が整備された今ではそういった傾向も薄れ、移住を歓迎する地方のほうが多い。
だがこの
「青い
小里家の二階に戻った深月が、真信の話を聞いてそう説明し始めた。窓枠に身を預けて人差し指をくるくる回している。
「つまりあの双子は……」
「うん、間違いなく浄眼だろうねー。たぶん本当に
(……とすると、この地区に異変があれば一番に気付くのはたぶん、あの双子か。気をつけて見ていたほうがいいな)
そう思考を巡らせる。真信には見鬼などない。幽霊の類を見たこともなかった。狗神のように呪詛が強いものなら誰にでも見えるらしいが、今回の件に関わる呪術がどういったものか分からない以上、“目”は必要だろう。
「──あっ、
深月が呟き、三人は窓から外の通りを覗いた。まだ遠いが低い生垣に挟まれた一本道を背の高い女性が歩いてくるのが見える。あのぴんと伸びた背筋は間違いなく静音だ。
視線に気づいたのか、静音が顔を上げる。こちらと目が合うと軽く笑う気配がした。どうやら狭い窓枠に三人詰まっている様子がおかしいらしい。真信は静音がビニール袋を提げていることに気付いた。彼女と別れた時は手ぶらだったはずだが。
「静音も帰って来たことだし、僕は夕食の準備に向かうよ。話は後で聞かせて」
「はーい、いってらっしゃーい」
「肉でおなしゃっす!」
二人に見送られて階段を降りる。
真信も奈緒に髪の毛をいじられて普段と違う印象になってはいる。たったこれだけで雰囲気が変わるのも不思議だ。
料理の前に髪型が崩れていないか確認しようと鏡を探す。
バスタオルの詰め込まれた棚の上には
あるのは、本来鏡がはまっているはずの鏡台の跡だけ。後から取り外したように見えるが、日焼け具合を見るに最初から鏡を付けていなかったかのようだ。
(まあ、鏡くらい後でいいか)
違和感を覚えながらも、真信は台所に向かった。玄関のほうで静音が帰って来た声がしたからだ。
家の端に台所がある。普通のシステムキッチンだ。むしろ樺冴家のものより新しい。シンクは真っ白なホーロー製で、ステンレスのものと違って鏡の代わりになりそうになかった。
物音がして奥へ進む。食卓に隠れて見えなかったが、そこには冷蔵庫の前で屈み込んでいる少年がいた。
真信に気付いた
「……食材、適当に買い込んどるから、好きなもの使え」
ぶっきらぼうに言ってキャベツを手に取る。真信は彼に近づいた。
「ありがとう。柊君もこれから夕食作るの? どうせなら一緒に作ってしまわない? そのほうが速く終わるし」
「はぁ? 何言って──」
「何を作ろうか。野菜も肉も一通りそろってるね」
「いや、だから──」
「真信さん、ただいま戻りました」
不満げな柊を無視して包丁を取り出すと、今度は静音が入って来た。手にはやはりビニール袋を提げている。
「おかえりなさい、静音さん。その手に持ってるのは?」
「それが、農家のかたから手伝いの礼にと頂いたのですが……これはなんでしょう?」
静音が袋を開いて中を見せる。入っているのは普通の葉っぱだ。真信が見当をつける前に、ちらっと覗いた柊が答える。
「そりゃシソじゃ」
「ああ、大葉か。ちょうどいい。豚肉に挟んで焼くとさっぱりして食べやすいね。使わせてもらおう」
「夕飯のお役に立てたなら何よりです。では私は上に戻りますね」
「ありがとう静音さん」
袋を受けとって使う食材をテーブルに並べる。柊はもう抵抗を諦めたのか、その手伝いを始めた。
「……それは後からレンチンしても
「美味しいよ。夕食の時間、遅いの?」
「うちは全員食う時間がバラバラじゃ。だから麺とか時間が経って食いづらいもんは出しづらい」
「ああ、なるほど。そういう場合は──」
具材の下ごしらえをしながら、時間が経った場合の美味しい食べ方を伝授する。柊はそっぽを向いてしまって返事もしないが、味噌汁の準備をしているらしい手が時々止まりぶつぶつと復唱するのが聴こえるから、話は聞いているようだった。
(素直じゃないんだなぁ)
柊は料理に慣れているらしく、動きは早い。だが食材への理解は乏しいようで調理自体は雑だった。
「肉は常温に戻してから焼いた方が旨味が逃げないよね」
「…………」
真信はあえて独り言のように手順を口に出すことにした。柊は口出しせず黙って聴いている。どころか、真信の言葉でやり方を変えることもあった。話を聞いている証拠だ。ただ直接指導しようとすると煩わしそうに顔をしかめる。
(
真信は自分よりも背丈の大きい、実は年齢も上な少年にそんな印象を覚えた。
武骨、粗雑、粗暴、そんな表現を体現したような少年が大きな体を折り曲げてキャベツを千切る姿は一周回ってなんだかおもしろい。
八人分の食事だったが二人でやったので一時間もせず準備が終わった。時刻はもう少しで十七時になるころ。夕食には少しだけ早い。
洗い物が終わったら部屋に戻って休憩するかと真信が考えていると、柊が使った調理器具を仕舞いながら呟く。
「……峠道近くにある
それが昼間の質問への返答だと、すぐに分かった。
「そうか、買い物ついでに話を聞いてみようかな」
「…………」
「一つ訊きたいんだけど、いいかな」
「……なんじゃ」
「妹さんと弟さんとは、仲悪いの?」
その割には具材を子供が食べやすいサイズに切ったりと気遣いを感じたのだが。そう考えて訊くと、柊が鼻で笑う。
「ふんっ、アイツらになんか聞いたんか。あいにく全部事実だろうさ」
「『ヒイラギは私たちを嫌ってる』?」
「嫌いも嫌いじゃ。俺はずっと、あんなやつら生まれてこなければよかったのにって思ってるんじゃから」
「────っ」
真信の手からボウルが滑り落ちる。泡の付いたそれを慌てて拾った。
「……どうした」
「いや……なんでもない。変なこと聞いてごめん」
「ああ……」
蛇口をひねって泡を洗い流す。手が震えているのが自分でも分かった。なぜこれほど動揺してしまったのか、真信自身にも分からない。
ただ一つ、確かなことがあった。
『生まれてこなければよかったのに』
その否定の言葉が、かつて自分が思っていた妹への感情とぴったり重なって、まるで自分の中から立ち現れたようで怖かったのだ。
「洗い終わったから、ちょっと外を散歩してくる。後は任せるよ」
一方的に言って台所を後にした。靴を履いて玄関を出る。外の空気を吸って少し気持ちが落ち着いた。
(自分で質問して、自分で地雷を踏むとか、何やってるんだ僕は)
思わず苦笑する。
真信が妹へ向ける感情はいつも矛盾していた。
──真信を見ると笑顔で駆け寄って来る
たった一人の妹で、だから大切で、大切にしたくて、傷つけたくなんかない。
けれど妹がどうしようもなく狂っていることは分かっていたから。
──その手の平に乗った誰かの目玉の開いた瞳孔が、目に焼き付いて離れない。
どこまでも純粋無垢に他人を傷つけるあの少女が、真信は
あれと同じ血が流れているのかと思うと
口に出したことはないが、ずっと心の奥底で思っていたのだと思う。
『こんなやつ、生まれてこなければよかったのに』と。
だから妹の処刑が決まった時、すごく悲しかったのに反対はしなかった。
できなかった。
どの口で妹の生存を願えばいいのか分からなかったから。好きなら好きと言い、嫌いなら嫌いと言うべきで。けれど真信はどちらも願うことができなかった。強い二つの感情は打ち消し合って、いっそ透明ですらある。そうして真信は、妹を無心で送り出した。
それが兄妹の結末で、もう変えられない過去だ。
けれど小里兄妹弟を見ていると、あの頃の感情を目の前に暴露されているようで気分が悪くなる。あんな直接的な悪意を身内へぶつけることは真信にはできなかったからだ。どうしてあの家族があの歳まで平気で一緒に暮らしてこれたか疑問にすら思う。
(大丈夫、僕と
もう過ぎ去ったことだから、悩む必要なんてない。あのころの矛盾など気に掛ける意味がないのだから。
ただ一つ、救いようのない事実があるとすれば。
真信は妹が
真信はやっぱり、妹が可愛くて、大切にしたかったということだけだった。
「ほんと、家族ってなんなんだろな」
深月の質問が今頃になって意識に上る。
真信にはそれが分からない。だから本当は、家族を殺された奈緒があれほど復讐に執着していた気持ちも、真には理解できていなかった。
「僕には分からないよ、深月……」
呟きは生ぬるい風に吹き飛ばされ、もう余韻も残らない。
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