侵入


 黒塗りの高級車が駐車を終え、中から枯れ木のような老人が現れる。その両側にはボディーガードらしき若者が陣取っていた。


 禿げ上がった頭部に入り口の光を反射させながら、老人は建造物の内へと消えていく。


 林の中にそびえ立つのは、真新しいオシャレな美術館といった風采の建物だった。広めの駐車場にはすでに九台の高級車が停まっている。


 周囲に見張りはない。それだけ確認して真信は双眼鏡を目から離した。


 建物から数百メートル離れた丘の上に腹ばいになり、身を隠すようにしていた人影たちが立ち上がる。その中の一人、平賀真信は同じように隣に伏せていた静音に確認をとった。


「あそこに深月がいるんだな」


「はい。今から百七十七分前に我々の手であの中へお連れしました」


 時計を見ながら静音が答える。丁度その時、耳につけていた小型無線に通信が入った。


『こちら待機班。こちら待機班。内部の電子機器は全てハック完了』


「ありがと。はやかったね」


『ま、元々俺らが作った監視システムですしね。楽勝楽勝。んじゃバックアップはお任せくだせぇ』


「うん。よろしく」


「――――真信様、こちらに」


 振り返ると、静音が林の奥へと手招きしている。他に連れてきた三名はそのさらに奥へと先行していた。


「この先に隠し通路があるのか」


「ええ。あのビルもこちらも、両方平賀が依頼を受けて設計し建てた物です。依頼主すら知らない抜け道の一つや二つ。当然確保していますよ」


 集団は気配を殺し、音も立てずに木々の間を進んでいく。するとどこに行っていたのか、おでこを全開にした瓶底眼鏡少女が草むらから飛び出してきた。


「……なにやってるのマッド」


「真信サマ、毒きのこミッケ! したったー!」


「わあ、なんて鮮やかな斑点模様」


「喰わんデす?」


「喰わんです。そんなもの捨てて、さっさと行くよマッド」


「了解なのらじャー!」


 マッドは元気の良い返事と敬礼と共に、喰うと機体が減らされそうな模様の毒キノコを自分のポケットにつっこっむ。捨てる気はないようだ。


 そうして真信を含めた六名は、先ほど確認した建物へと侵入するため歩を進めた。





 ――今回ばかりは死ぬかと思った。


 架空の会社ばかりが表示されている四階建てのビルには、荒い呼吸音と痛みに耐える呻き声ばかり響いている。


 ――むしろ何度か死んだと思った。


 肩で息をしながら真信は内心でごちる。いかに平賀で訓練を積んでいたとはいえ、真信本来の役割はタイミングを計って指示を出すような指揮官だ。本格的な戦闘を考慮していない。


 避けきれずに切り裂かれてしまった学生服の袖で額を伝う汗を拭う。彼の周りには、打撲を押さえまだ動けずにいる門下たちが転がっていた。


 今回ばかりは本気で死ぬかと思った。いくら殺意の乗っていない攻撃とはいえ、それを避けながら自分に向って来る相手を無力化しなければいけなかったからだ。


 特に静音が真信の動きやすいようにこっそり立ち回ってくれていなかったら、たぶんあっという間に気を失っていただろう。


「……それでお前ら……これからどうするんだ」


 呼吸を整えながら真信が訊くと、仰向けで倒れていた静音が起き上がり、懐から何かを取り出す。


「もちろん、決まっています」


 彼女が手にしている物に真信は見覚えがあった。任務の際、平賀から配布される通信機器だ。静音はそれを床に置き、おもむろに踏み砕いた。


 他の者達も同様に、持っていた機材を壊し始める。真信が訝し気に見ていると、その視線に気づいた門下たちが口々に言葉を継いでいく。


「――――曰く、身内での衝突は力で解決すべし」

「――――勝敗に事の善悪無し」

「――――敗者は勝者へ服従するのみ」


「…………私達敗者の命運は真信様勝者のものです」


 最後の静音の言葉で、真信も彼女たちの行動に納得がいった。


 たとえ頭に雷が落ちようと、意識に革命が起きようと、己を育て形作った思想から容易く逃れることは難しい。だが手っ取り早い方法はある。


 平賀の呪縛から逃れられないというのなら、その教えを逆手に取って、呪縛をあざむいてしまえばいい。


 そこから始めて少しずつ認識を改めていけばよいのだ。


 静音たち門下には、平賀を裏切るための『理論』が必要だった。


 そもそも静音は言っていたではないか。

『最初から決めていたのですよ。若を連れ戻せなかったらこうしようと』

 つまり、彼女たちはもともと、真信を説得できなければ自分たちが折れるつもりだったのだ。


 そんな真意にも気づかず偉そうなことばかり口走ってしまった気がして、真信は目を伏せた。


「今更こんなことを言うのは卑怯かもしれないけど。……僕にお前たちの気持ちを全部背負えるほどの度量はないよ」


 頼りない言葉に機器を壊していた者達が振り返った。全員が顔を見合わせて、示し合わせたかのように苦笑を浮かべる。


「必要ありません。真信様をお慕いする我々の気持ちは、元より私達の身の内より出でたもの。貴方にばかり負わせるものではありません」


 眉を下げ口元に微笑みを浮かべた静音に、他の者も頷いて同意する。そんな彼らの態度に真信は少なからず驚いた。平賀のために死のうとする門下という人種がそんなことを言うとは、思わなかったからだ。


(いや、でも……そうか)


 そもそも自分を慕うような連中が、普通なはずがなかった。


「僕はお前たちの事を見誤っていたんだな」


「いえ。まだ真信様を当主に据えることを諦めているわけではありませんから」


「その通りっす」


「隙あらば付け込みます」


 さっきまで死んだ目をしていた奴らがニヤニヤしながらそう言うものだから、真信も思わず微笑を浮かべた。


「駄目だコイツら」


 やはりあの家を出てよかった。真信がそんな感傷に浸っていると、駆け寄って来る少女がある。いち早く戦線から脱落し『勝負』を観戦していたマッドである。


「真信サマお怪我はいカガか? 今ならお手製傷薬デすぐ治リん毛ほリん。あ、姉御モどぞー。その耳痛そウ」


 差し出されたのは一見ごく普通の塗り薬だ。マッドの手製ならば効果は疑いようがないのだが……。気になる部分がある。


「治りんはいいんだけど、毛ほりんってなにかな?」


 真信が尋ねると、マッドはなんだそんなことかと首を傾げて答えた。


「育毛効果デぼーぼーオプション――」


「遠慮するよ」

「遠慮します」


 静音がさっと耳を隠す。真信も切れた薄皮に滲む血を学生服で覆った。しょんぼりと肩を落とす少女マッドの姿は哀れだったが、二人にも守るべき尊厳がある。その薬を使うわけにはいかなかった。


 一息ついて身体中のあざや切り傷の痛みを強く感じるようになったころ、どこからか三毛猫が現れ真信へとすり寄った。


「猫宮さん。さっきはありがとう」


 礼を述べると大きな瞳が真信を見上げてくる。その目は何かを訴えてるように輝いていた。


(そういえばこのは、どうしてここにいるんだ?)


 真信の中にそんな疑問が湧きあがる。


 意識を失う前、この猫は真信に何かを伝えようとしているようだった。てっきり静音の来訪に対するものかとも思ったが、ならばここまでついてくる必要はないだろう。真信の知る限り、この猫は深月を気にかけるように見守っていることが多いのに。


 渦巻く思考の端を冷たいものが駆け抜ける。真信は猫から目を離して、背を向けていたフロアを振り返った。


 そこには一様にひざまずいた門下達の姿があった。


「真信様の誠意は見せていただきました。次は私達の番です。我々がこの町において与えられていた任務について、お話します」


 目つきを改めた静音の宣告を、真信は黙して聴くことにつとめた。


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