不穏昼食


「おい色男。今朝けさのあれはいったいどういうことだ?」


 昼休みになった途端、顔をにやつかせながら自身の机をくっつけてきたのは針木はりき常彦つねひこという名の男子生徒だった。


 移動してきた常彦つねひこはそのまま真信まさのぶの対面に弁当を広げ始める。


 彼は真信が転入してから最初の友人であり、昨日真信に屋敷の見学を進めた張本人でもあった。


 もし彼が何らかの企みで真信を屋敷へと誘導したのなら……。


 頭に浮かぶ可能性に、真信は常彦へと目を凝らす。その一挙一動を監視しようとして、


(悪いくせだ)


 やめた。軽く頭を振って考えを打ち消す。


 深月ほどではないが、真信の実家も特殊な仕事を家業にしていた。この癖はあの家で生き抜くために習得したものだった。


 せっかくこの癖が必要だった実家から逃げてきたのだ。こんな遠く離れた所でまで気を張っていたくない。


 そもそも常彦が何を考えていようと、こんな衆人環視の中で何かする可能性は低い。そう自分を納得させ真信は、他人をすぐ疑いそうになる己をいさめた。


「どういうことって言われても、成り行きだよ」


 真信も意識を切り替え、弁当を取り出しながら答える。色男、という部分はスルーした。


 一般的にいえば真信よりも常彦つねひこの顔面のほうが色男に相応しいのだが、彼の場合それが嫌味に聞こえないから不思議である。


 有り体に言えば人がいいのだ、常彦は。背が高くキリッとした整った顔立ちだが、いつも笑みを浮かべているため実年齢より幼く見える。


「どう話が転べば女の子との登校イベントが発生するんだ? しかも相手は──そうだ、樺冴かごさんも一緒にお昼どう?」


「えっ、いや、うわー」


 相手の返答も聞かずに、常彦は深月の机を自分たちの机にくっつけてしまった。


 真信は人知れず浅いため息をつく。


 朝は校舎が見えてきた辺りで深月を下ろしたからそこを見られてはいないはずなのだが。まさか二人で教室に入っただけで騒がれるとは思っていなかった。


 常彦のあまりの素早さに深月は呆れ顔ながらも、抵抗するのが面倒なのかしぶしぶ椅子をずらして輪に加わる。どこか不機嫌そうなのは気のせいだろうか。


「樺冴さんと話すの初めてだよな。オレのこと分かる?」


 深月は目を合わせずに澄まして答える。


針木はりき常彦つねひこ君でしょ。あと家名で呼ばれるの嫌いだから、深月でいいよ。真信もね」


「うん、わかったよ深月」


「やっぱ、仲良さげだなお前ら。つり橋効果か? って、深月さんそれまさか昼飯じゃないよな?」


「…………」


「つり橋? どういうこと?」


 サプリメントの束を取り出した深月の前に、常彦が割り箸と弁当の蓋を置いた。その上に自分の弁当から適当なおかずをいくつか乗せる。


 真信もならっておかずを深月に献上しながら常彦に質問する。深月は微かに眉をひそめながらも、いただきますと呟いて置かれたおかずをゆっくり咀嚼そしゃくし始めた。


「いやほら、この町じゃ昔から有名なんだよ。深月さんが住んでる屋敷には化け物がでるってさ。誰もいないのに物音がしたり、入ってった人間がそれきり出てこなかったり」


 語られた内容にどきりとして真信は喉を詰まらせそうになった。慌てて水を飲みながら深月をうかがうと、少女は我関せずといった表情で黙々と箸を動かしている。


「もしかして昨日僕を屋敷に行かせたのって……」


「おう! 何も知らない奴のほうが先入観なくていいだろ」


 だから昨日『後は明日教えてやるから』と言っていたのかと、真信は納得した。


「オカルト好きなの?」


 てっきりそうだと考えて訊いたが、常彦は首を横に振る。


「噂話は好きだが、オカルトの類いは全く。あんなの証明できてない自然現象ってだけだろ。だからこそ証明したくもなるんだが」


「だったら自分で行けばいいのに」


「婆ちゃんに止められてんだよ。あんなとこ行くなって。意味わかんねぇ」


 常彦は唇を尖らせた。真信にはなんとなく常彦の祖母が何を思って孫を諌めるのか理解できてしまった。


 物音がどうのは知らないが、入っていった人間が二度と出てこないことがあるのは事実だからだ。


 町人がどこまで樺冴家の事情に気づいているかは測れない。それでも不自然に思う部分があってもおかしくないだろう。


「あ~、やっぱ自分で確かめるべきだよな。深月さんの屋敷、見に行っていいかな?」


 昨日の今日で嫌な流れだった。真信は話を遮ろうかとも思ったが、深月が顔色一つ変えないので動向を見守ることにした。


 冷ややかな視線を下に向けたまま、深月が答える。


「面白いものなんて何もないよ」

「外から見るだけでいいからさ」


 常彦が手を合わせ頭を下げて食い下がる。案外押しに弱いのか、深月は手元の唐揚げを見つめて思案してから小さくうなずいた。


「……断っても勝手に来そうだし、まー、いいけど」


「よっしゃ。んじゃ放課後な」


 すでに弁当を食べ終えていた常彦は机を戻して席を立つ。いつも通り部活に顔を出しに行くのだろう。


 嵐のような騒々しさが去り、後には深月と真信が残される。


「真信ーお茶買ってきて」


 唐突に深月が真信に小銭を手渡した。そっと開くと、そこには五円玉が乗っかっていた。


 真信はつい腰を上げかけたが、自分の役割を思い出して座り直す。


「甘やかすだけが世話係じゃないはずなんだ」


 真信の認識が正しければ本人のための忠言も必要なはずである。しかし深月の反応はかんばしくない。


「そーいうものなの? 世話係不便なんだね。じゃあ、奴隷に変える?」


「解放宣言待ったなしだよ」


「うーん、下僕とかは」


「それなら、まぁ」


 下僕とは使用人や下働きと同義である。確かに真信の置かれている状況からすれば、世話係より使用人と呼ぶほうが近いような気もする。


 さすがに奴隷は遠慮願いたいが。せめて雇用形態はとりたい。


「真信も好きなの買ってどーぞ」

「了解。いってくる」


 見送られて立ち上がる。教室から出るとき担任とすれ違ったが、真信は気に止めなかった。





樺冴かごさん、少しいいかな?」


 廊下から声をかけられ深月は振り返った。頭の禿げ上がった男が手招きしている。このクラスの担任教師だ。


「プリント、昨日受け取ったかな? 提出期限が今日なんだけど」


「ありますよ」


 短く答えてカバンからプリントを取り出す。呼吸を整え、担任の所まで行って手渡した。


判子はんこも……大丈夫だね。ところで、今朝は平賀君と登校してきたみたいだけど、親しくなったのかな?」


「ええ、話してみたら気が合いまして。大切な友だちです」


 深月はできるだけ穏やかな笑みを浮かべた。男はそれに満足げにうなずき、興奮を抑えるように目尻を下げる。


「それは良かッた! 彼は転校してきたばかりだから、仲良くしてあげるといいよ」


「はい、お気遣いありがとうございます」


 頭を軽く下げると、男はもうきびすを返していた。


 背中が角で完全に消えるのを見届ける。それから深月は浮かべていた愛想笑いを消し、すぐ机にとって返した。そして無言で突っ伏す。


「……後は待つだけ、かなー」


 口の中だけでそう呟く。しばらくすると真信が帰ってきた。


「ただいま。お茶これしかなかったけど、平気?」


 二本のペットボトルを抱えた真信がお釣りを差し出す。深月はなんとなく胸が痛くなった。


「ごめんね真信」

「? 別にこれくらいいいけど」


 突然の謝罪に真信は不思議そうな顔になる。

 その様子がなんだか面白くて、深月は自然と笑みをこぼした。


 

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