茶番劇


 テスト期間が終わると、迫る夏休みに生徒たちの心は浮足立ち始める。

 高校生活の折り返しへと着々と近づいている二年生三組の教室も例外ではなかった。


 まだ結果も出ていないのに、重縛から解放されたように明るい表情を見せるクラスメイトたち。いつの間にか通り過ぎていた梅雨ばいう前線が代わりに夏の陽気を招いたかのような、そんな空気に溢れていた。


 騒ぐ二年生に混じって、コンビニのお弁当を口に運ぶ一年生の少女がなぜか一人いる。今日も深月とお昼を一緒にするため真信たちの教室を訪ねてきた奈緒だ。


 もはや三組の生徒も、教室に勝手に入って来るこの後輩に慣れたもので、通りすがった女子生徒が奈緒にお菓子を分け与えたりしている。


 それに加え奈緒に触発されたのか、女子達は最近、深月にも声をかけるようになった。


 お菓子を貰った深月は、それがなんであれ人当たり良く微笑む。それを見た他の女生徒がまたお菓子を持ってくる。深月がまた微笑む。釣られた他の女子もやって来る。

 それをここ数日繰り返し、簡単な雑談くらいは交わすようになった。


 簡単に言ってしまえば、珍獣の餌付けである。


 深月はとにかく美人なので、もともと目を引きやすい。そこに気安さが加われば近づきたくなる人間が増えるのは自明の理だ。


 教育によって植え付けられた忌避きひ感が物珍しさに敗北した瞬間である。


 真信はその様子を微笑ましく眺めながらも、心に浮かぶに対する疑念を晴らせずにいた。


「奈緒、今日うちに来ない?」


 食事を終わらせた後輩に、思い切ってそう告げた。するとなぜか周囲の雑音が途切れ、教室が静かになる。


 奈緒は不審な顔をしながらも頷いてくれた。


「いいですけど、急にどうしたんですか?」


「話したいことがある。ここじゃ駄目なんだ」


 真信が真面目な顔でそう断言すると、クラスメイト達からざわめきが上がった。


「ついに樺冴さんをめぐる三角関係に終止符が……」


「えっ、真信君をめぐってないの?」


「奈緒ちゃんついに――!」


「いや、樺冴かごさんに勝てるわけ……って樺冴さん寝てるぞ」


「それはいつもだろ」


「真信お前、深月さんというものがありながらっ!」


常彦つねひこくんうるさい。ちょっと黙ってて」


 周囲は勝手な憶測で盛り上がっている。無自覚に衆目を集めているとも気づかず返事を待つ真信に、奈緒はちょっとイタズラ心を混ぜて恥じらいながら応えた。


「……はい。あたしも実は、真信先輩に聞いて欲しいことがあるんです……」


 その日、二年三組の教室から歓声と悲鳴が上がってうるさかったと、職員室に苦情が入った。






 また日曜日がやって来た。

 太陽の日差し眩しい昼下がり。強すぎる日光がいささか肌に痛い。空に浮かぶ雲も綿状のものに混じって積乱雲が増えている。


 真信と奈緒は、運動公園の草原を二人で歩いていた。休日の昼間だというのに他に人の姿はない。そのせいか彼らは年若い男女のデートのように見えるのに、どこか寂しげな空気が漂っていた。


 真信はこっそりと、斜め前を歩く奈緒の横顔を盗み見る。

 そこに先週のような楽しげな表情はなく、活発そうな少女の顔は物憂げに曇っていた。


「深月先輩は今日、お留守番ですか?」


 気を利かせた奈緒が話題を振ってきた。真信は襟元を掻いて、数秒してから答える。


「いや、どうだろう。千沙ちさと遊びに行くって言ってたから、今ごろ準備を終わらせてるんじゃないかな」


「そですか」


 会話が途切れる。建設的な話のないまま、運動公園も中程まで来てしまった。


「奈緒、僕をわざわざ隣町にまで呼び出して、話したいことってなに?」


 意を決して少女の細い肩を掴む。奈緒はその手を振り払うように振り向き、皮肉に歪んだ笑みを少年に突きつけた。


「先輩も分かってるんでしょう? 茶番はおしまいってことですよ」


「奈緒、キミはいったい……」


 問いの言葉に、奈緒は数メートル真信と離れてしまう。それは近いようで決して手の届かない心の距離と同じに見えた。


「四年前、平賀に家族を殺された木蓮家の生き残りって言えば、理解できますか? あたしは家族の復讐のためにあなたたちに接触したんですよ、先輩」


 真信が息を呑む。それに奈緒はフッと笑って、目つきを改めた。もうそこに笑みはない。ありありとした憎悪の浮かぶ、冷たい瞳が真信を睥睨へいげいしていた。


「真信先輩のおかげで、平賀のことも分かりました。もともと疑われたらおしまいって決めてたんです。ですので、はい。先輩は用済みってことで。さようなら」


 奈緒がスカートをひるがえし、シャツの袖口に潜ませていた投擲とうてき用のナイフを投げる。


 とっさで避けることができない真信は、腕で顔を覆った。


 真信の腕に直撃しようとしていたナイフ達はしかし、少年に当たる直前で弾かれる。


 突然割って入ってきた女性がナイフを叩き落としたのだ。


「大丈夫ですか!?」


 息を荒げて真信を振り仰ぐのは、成人するかしないかの幼げな容姿の女性だった。長い茶髪をポニーテールにまとめている。


 見覚えのない女性だった。


「あっ、あなたは?」


「……木蓮奈緒と同じ組織に属する者です。裏切者の彼女をずっと見張っていました」


「どういうことですかっ」


 どうやら敵ではないらしい。真信は奈緒に拳銃を突きつけ牽制けんせいする女性の影に隠れながら訊く。女性も真信を庇うように手を広げた。


「私たちの組織はカミツキ姫との同盟を望んでいます。ですがあなた達のことを調査中、貴方が平賀の関係者と知った木蓮奈緒が一人で先行してしまったのです。復讐のためでしょう。ずっと監視をしていましたが、……ついに本性を現したようですね」


「つまり、奈緒は僕らを騙していて、貴女はカミツキ姫と友好関係を結ぶために僕を助けてくれるということですか」


「理解が早くて助かります」


 遠くから駆けてきた五人の恰幅かっぷくのいい男達が奈緒を取り囲む。奈緒は構えていたナイフを下ろし、突破口を探すように素早く周囲を見渡している。しかし細腕の奈緒では男達の包囲は簡単に崩せそうにない。


 急場はしのげたということか。


「彼らは?」


「私の仲間です。お下がりください。裏切り者の処分はこちらの仕事。言いたいこともあるでしょうが、ここはご自身の安全を優先させてください」


 真信は女性に言われた通り後退を始めた。女性も真信を守るようについて来る。


 包囲の中でまだキョロキョロしていた奈緒が、何かを発見して声を上げた。


「あっ、先輩! 居ました九時の方向!」


「でかした奈緒。――静音!」


 真信が叫んだ。すると誰も居なかったはずの場所に突如、銃を構えた長身の女性――静音が音も無く現れる。


 ポニテ女性と男たちは目を丸くしているが、真信と奈緒は事前に打ち合わせていたので知っている。あれは周囲から術者を見えなくする陰陽道の術、隠形おんぎょうだ。


 覚えたての術を危なげなく解いた静音は、迷うことなく奈緒が指さした木陰に銃弾を撃ち込んだ。すると隠れていた少女が転がり出て来る。


 静音がもう何発か発砲すると、少女はそれを器用に避けながら距離を取った。


 少女はピンクアッシュの髪を高い位置でお団子にまとめ、スカジャンを着ている。両手に拳銃を持ちながらも混乱している様子だ。


「なっ、なにがどうなってっ」


 説明を求めるように少女が奈緒に視線を向ける。しかし、さっきまでいたはずの所に奈緒は居ない。


 奈緒は隙をついて男達の包囲網から脱し、真信と合流していた。ポニーテールの女は奈緒に喉を切り裂かれ絶命している。


 静音もそこへ集まり、真信を奈緒と挟んで動揺している男達に向けて構えた。


 奈緒が少女を指差して真信に耳打ちする。


「真信先輩、アレです。あれが例の復讐女です」


 二人に守られながら真信は地べたに這いつくばる少女に向かって微笑む。


「初めまして氷向ひむかい綾華りょうかさん。あなたのことは、奈緒から伺いました」


 その笑顔と、真信の横で舌を出している奈緒を見て、綾華はようやく事態を覚ったらしい。瞬時に顔を怒りで真っ赤に染め、鬼の形相で歯の奥を食いしばる。


「あの報告は全て虚偽か奈緒ぉぉおおおおお!!」


「は~い、容易たやすく引っかかってくれて助かりました~。あ、公園の外うろついてるお仲間さんの方にもウチの恐~い人達向かってますんで、助けを待とうとか思っても無意味ですよ」


 奈緒の溢れんばかりの笑顔に、綾華は眉間のしわをさらに深める。


「騙したのか! 裏切り者め!!」


「あはっ、だってあたし、裏切者の役だったじゃないですか。役柄通りだったでしょ? ていうかこんな芝居に騙されるほうがバカなんですけど~?」


 奈緒が思い切り見下した口調で挑発すると、綾華りょうかは頭の血管が何本かキレた猛犬のような顔をして奈緒に向かって突進してくる。触発された男たちもそれぞれ動き出した。


「うっわ、タゲ取りヌルゲーかよ。お二人さん、の相手はあたしがするんで、そっちは雑兵お願いしていいですか?」


「わかった。でも大丈夫?」


「はい、勝てるかは微妙ですが……。あたし、アイツのこと大嫌いなんで。せいぜいぶち殺してやりますよぉ!」


 啖呵たんかを切って奈緒は駆けだした。よほど綾華りょうかのことが気に食わないらしい。その顔には、真信でもちょっと引くくらいの邪悪さを漂わせていた。


「奈緒が敵にならなくて良かった……」


「同感です、真信様。さあ、こちらもやりましょう」


「あぁ、後輩に無様な姿は見せられないしな」


 静音と背中合わせになって苦笑を零し、真信は迫りくる男達の迎撃を開始した。


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