追憶


 何も見えない、膜を一枚通すようなこもった音しか伝わってこない、そんな真っ暗な空間から転がり出た奈緒は、家族の復讐を誓った。


 父と母と姉。大切な家族の命を奪った張本人。そのたった一人へ復讐するために、自分の命を使おうと。


「…………」


 誓ったはいいが身体が動かない。三日間飲まず食わずで直立不動を続けていたのだ。十二歳の未成熟な身体は限界まで衰弱していた。


 うわ~これからどうしよう。復讐どころか死ぬほうが早いんじゃないかな。などと考えていると、草を踏む音が近づいてきた。


 ここは山の中だ。しかも記憶が正しければ私有地である。たまたま通行人などいるはずがない。


 あの平賀の人間が戻ってきたか、それとも野生動物が倒れた奈緒を食い殺しに来たか。


 そう心だけ身構えたが、降ってきた声はそのどちらでもなかった。


「おや、ボクの結界から人だ。うん、人が出てきた」


「……?」


 聞き覚えのない成熟した男の声が頭上に響く。その声はやけにくぐもって聞こえた。この青空は幻覚で、自分はまだ暗闇の円の中にいるのかと勘違いしてしまうほどだ。


「ああ、そういえば浩二こうじさんには娘が二人いたか。なんで忘れてたかな。ああ、わかった。うん、わかったぞ。君はずっとこの結界の中にいたんだな。その間はの住人だ。こっちで認識されづらくなる。そうかそうか、そうやって生き残ったんだね、君は」


 言って男が奈緒を覗き込んでくる。奈緒は男がどんな人間なのかその顔を観察しようとして、思わず絶句した。


 男には顔がなかった。いや正確には顔が全部隠れている。お面の類ではない。それは灰色のフードだ。服に付いているチャックがフードの先端まで続いていて、男はそのチャックを最後まで閉めている。


 頭部は布に包まれて卵型になっている。銀色のチャックが、真ん中を縦にまっすぐ区切っていた。


 危ない人だ。怪しい人だ。少なくとも変質者だ。

 もしもこのとき奈緒が満足に動けたならば、きっと全力疾走で逃げていたことだろう。


 けれど今の奈緒は指先くらいしか動かすことができない。いったい何をされるのかと戦々恐々せんせんきょうきょうとしていると、予想に反して男が笑う気配がする。


「よし、ボクは君を助ける。うん、助けてあげよう。君が望む生活をあげよう。食い扶持ぶちをあげよう。未来をあげよう。浩二こうじさん――君のお父さんにはそれくらいの恩があるんだボク。さあ、いったい何を望む?」


 それは今の奈緒にとって願ってもない申し出だった。男が親しげに口にした父親の名前に警戒も緩む。


 ひりつく喉から言葉をひねり出した。


「ふく、しゅうを。ひらがの……じき、とうしゅに……」


 男は腹を抱えて笑い出した。


「あはっ、あははははっふへっははははははっ! なるほど。ははっ。うん、なるほどね。一番の茨の道を行くか。いいよ、手を貸してあげよう。さあ手を取りな。まずは必要な食事と休養、それから湯に入るといい!」


 男が手を差し伸べてくる。奈緒は軋む身体にむち打って、その手を取った。






 奈緒の家族が死ぬ遠因となった十戒衆。奈緒を助けた男はその下部組織で幹部をしながら、十戒衆への下剋上を狙っているらしい。


 男は奈緒に人を殺す術と仕事を与えた。復讐の道具はやるから好きにやれ、ということらしかった。


 平賀は巨大で、なかなか尻尾のつかめない組織だ。簡単には近づけない。復讐は数十年単位になると思われた。


 奈緒はそれを受け入れた。命を狙うのだ。時間がかかるのは当たり前だと思った。


 小学校卒業を機に、奈緒は九州のとある町で一人暮らしをすることになった。仕事で殺した人間の恋人に報復されそうになったためだ。そこならヘタな人間は入ってこない。安心して仕事ができるし、情報屋が居るから平賀について調べることもできるだろうとのことだった。


 男の意見を聞き入れ、奈緒は一人暮らしの準備を始める。


 奈緒の運命を方向付ける出来事が起こったのは、彼女がふと買い出しに出た帰りのことだった。


 その日、奈緒の目の前で事故が起きた。


 拷問をテーマにしたらしい物騒な歌を口ずさむ少女を見かけ、見覚えがある気がしてなんとなく目で追っていた。そのせいで奈緒はその瞬間を見てしまった。


 よそ見運転をしていた車が歩道に乗り上げ、少女をいて行ったのだ。車はそのまま電柱にぶつかり大破した。吹き飛ばされた少女が奈緒の目の前に落ちてくる。


 けれど奈緒の眼を引きつけたのは少女の死体ではない。少女が開いていた財布から落ちた、一枚の保険証だった。


 ――――少女の名前を、木蓮奈緒といった。


 彼女と同姓同名で、彼女と歳が同じだった。


 木蓮奈緒は正真正銘の不幸な事故で両親を亡くした孤児だった。


 木蓮奈緒は怪しげな男に引き取られ、非合法な仕事を始める。


 木蓮奈緒にとって、その仕事は天職だったのだろう。同じく裏の仕事で生き延びていた彼女も、その存在は知っていた。


 拷問姫ごうもんき

 人の命を持て遊ぶ異常者。彼女も一方的にそう名を知る程度だった。


 たまたま彼女と似た境遇にあった少女。けれど決定的に性質の違う存在。本来ならば永遠にすれ違うこともなかったはずだ。


 しかし木蓮奈緒は死んだ。偶然にも、彼女の目の前で命を落とした。


 なんの因果も関与しない、ただの事故だった。


 だが彼女はそのを運命だと感じた。


 ガソリンでも洩れているのか、車が一部爆発する音を聞きながら、彼女は歓喜する。


(平賀に家族を殺されたには無理だ。けど、、疑われずに平賀に近づけるかもしれない――!)


 道端の石ころに心を見出すのも、目の前に転がった死体に意味を見出すのも、同じこと。


 信仰は、願った途端に本人の中で現実となる。


 こうして彼女は目前の物言わぬ死体と入れ替わり、家族三人を殺された木蓮奈緒から、両親を事故で亡くした木蓮奈緒になった。






 それから数年が経った。家族の仇敵である十戒衆がカミツキ姫に殺されたという噂が広がり始めた頃だ。


『木蓮奈緒』という経歴と共に引き継いだ拷問姫ごうもんきの仕事も順調だった。


 拷問は悪人達から事情を聞き出すのに丁度いい。そうやって彼等から胸くそ悪い話を聴くことで、命の重要さと、それが奪われる理不尽さを繰り返し思い出す。


 奈緒は自分の中の復讐心が衰えないよう、薪をくべ続けていた。


 そんな奈緒のもとに、平賀の出奔者が関係する依頼が来た。依頼人の胸糞悪い女が持ってきた偽の経歴カバーは、平賀に家族三人を殺された木蓮奈緒という少女のもの。事故の日に入れ替わり捨て去った、過去の自分だった。


 氷向ひむかい綾華りょうかは知らず知らずのうちに、その経歴をもう一度かぶれと少女に言ったのだ。


 何の因果かと思った。


 もはやここまでくれば運命ですらない。

 それは、必然と呼ばれるべきものだった。


 『木蓮奈緒』は、次期当主の情報を得るためだけに仕事を受けた。


 それが誰をだまあざむいて、裏切ることになろうとも。


 たとえ家族のかたきを殺してくれた恩人であるカミツキ姫を利用することになろうとも。


 なぜなら奈緒の復讐は、彼女が死ぬか、相手が死ぬかでしか終わらせることができないのだから。



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