供物


(……嫌なものを見た)


 嫌なものを、見たのだ。

 怒声に込められた意味を理解していなくても、胸の重くなるものを見てしまったという直感と確信が、真信にはあった。


 先を行く少女が一向に振り返ろうとしない様子に、真信は言葉にしがたい悲しみのようなものを覚える。


 しばらく距離をとって歩く。いますぐ駆け寄りたい気持ちを抑え、彼女の行くままに任せた。


 人のにぎわう夕方の商店街を抜けてしまうと、いっきに異界と見紛う静けさに打たれる。


 そろそろ声をかけるべきだ。しかし何を伝えればいいのか。真信は引っ越して来たばかりで、呪術のこともこの町のことも、なにも知らない。


 事情を知らない人間がどこまで踏み入っていいのか掴めなかった。


(でも、なにか言わないと)


 意を決して歩調を速める。深月に追いつこうとしたとき、その深月が視界から消えた。


「ほわっ!?」


 すかさず風になびいたブラウンの髪を目で追う。すると、足元にかがみ込んだ深月の姿があった。


 スカートを巻き込んで前屈みに縮こまっている。


 何事かとその背に手を当て、真信は恐る恐る声をかけた。


「み、深月さん……?」

「……………………………………つかれた」

「ぅえ?」


 たっぷり時間をかけて返ってきたのは、かすれた弱々しいそんな呟きだった。


「大丈夫?」


「全っ然。……はや歩きは……私にはまだ……早かった。明日……筋肉痛決定だよー」


「ホントに体力ないね、キミ」


 口をへの字に曲げ息を整える深月に真信は笑いかける。そうして立ち上がり、少女に手を差し出した。


「やっぱり、おぶろうか?」


「んー……ありがたいけど、慣れすぎるのもねー。それは仕事の後の楽しみにしようかな。手だけこのまま貸してて」


 右腕に少女の身体がくっつく。軽く比重をかけられながら、真信は小さな歩幅に合わせて歩いた。





「やっとついたよー。ただいまー」


 玄関を開けるなり深月は廊下に倒れた。勢いに任せて中ほどまで滑り込む。

 自分の靴と散らばった靴とを揃えて並べ、真信はちょっと首を傾げた。


 なぜ自分は自然とついて来たのだろう。そんな指示は源蔵げんぞうから受けてない。成り行きで上がってしまったが、家の中にまで入る必要性はなかったはずだ。真信の家は少し離れている。ここに立ち寄る意味はないのに。


(こんな貧弱な女の子を残していくのも気が引けたし、このくらいは、────あれ?)


 そう自分を納得させようとして、今朝は見かけなかったはずのものに目を止めた。


 無駄に広々とした玄関の隅に野菜が積まれている。


 春キャベツをはじめとした葉っぱ系の野菜達。竹を編んで作られた平らな竹ざるには、ワラビやフキといった主要な山菜が盛ってある。ジャガイモには土が付着したままだ。


 形は崩れているもののどれも新鮮で、とれたてそのものである。それぞれがひとかたまりずつ乱暴に置かれている。これは到底、一人では消費しきれない量だ。


 真信の記憶が正しければ、朝はこんなもの置かれていなかったはずだが。


「あー、それは農家か八百屋やおやの人が置いてったやつだよ」


 いぶかしく観察していると、こともなげに深月が答えた。


「宅配注文?」


「まさか、料理もできないのに、こんな量一人じゃ食べきれないよー。そーじゃなくて、お供え物みたいな感じ?」


 深月はひょいと人差し指を背後に向ける。そこにはいつの間にか、あの狗神の姿があった。


「狗神憑きの人間に羨ましがられたり恨まれたりしたら、狗神がものを駄目にしてしまうっていう伝承があってねー。それが食べ物だったら腐る。人間だったら病気にかかるって具合」


 寝転がったまま深月の指が円を描く。それに合わせて狗神の輪郭がゆらりと揺れた。


「だから、良い野菜を収穫したり入荷したりすると、先にお裾分すそわけにくるんだよ。ねたましく思われないように」


 なぜか面白そうに深月は語る。なるほど町の人間の行動に理屈があるのはわかった。しかし、それでは……。


「確か六十年くらい前、何代か前の当主が狗神を御しきれずに近隣の畑を全滅させちゃったことがあるらしくてねー。それ以来、風習として定着したみたい」


 少女はどこか楽しげな様子だ。深月は第一印象と違ってよく喋る。かと思えば、人前であまり口を開かない。事情を知る真信が相手だと気が楽なのかもしれなかった。


 真信は積まれた野菜を手にとって確認する。そうして考える。これは善意の結果ではない。歪んだ信仰の表れなのだ。


 靴下を脱いで裸足になった深月は、そのまま狗神と共に奥へ消えた。脱衣所に向かったのだろう。その顔に浮かんでいたのは、達観した微笑みだ。


 深月の生きてきた世界ではが当たり前なのだ。違和感を抱くことすら許されぬほどに。


 心臓より上の、喉より下の辺りに、ごろりとした不愉快さが詰まるのを真信は感じた。


 思わず首元を押さえる。一度認識した不快感はなかなか消えてくれない。


 町人の行動は理解できる。深月の言うとおり、実際に被害にあったのなら尚更だ。しかしそれでも受け入れられない拒絶が真信の中に消えずに残った。


 真信の中で、さっきの老婆の態度と目の前の野菜が一つに繋がる。


 これは一方的な手切れ金、もしくは地獄へのはなむけと同じ類いの物だ。貰っても嬉しくない。


 小柄な少女一人では食べきれない量の野菜。しかも、状態を見るに商品として出せないものを押し付けている。


 やり方が気にくわない。


 深月が人を殺すのはそれが仕事だからだ。様子を見るに、理由もなく無差別に町の人間を殺すような愚は犯していないだろう。


 しかし仕事でも、まして自衛ですらないはずだ。六十年は長い。記憶が磨耗まもうするには十分なほど。


 この供物くもつは、ただそういう伝統だからと続けられているに過ぎない。彼らは自覚なく悪意を押し付けている。


 真信は唇を噛んで、胸のうちを支配する苛立ちをこらえた。


 和服を着崩れさせて戻ってきた深月へ顔も上げずに訊く。


「台所借りていい?」


 少女は不思議そうな顔をしながらも、了承してくれた。それを受けて真信は少女を見つめ返す。


「おいしいもの作るよ」


 ジャガイモの土を親指の腹で拭いながら、ニヤリと笑ってみせた。


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