彼女もやはり人間で


 公園に入った真信はそのままベンチを目指した。公園はコの字型をしており真ん中は木々が乱立している。ベンチはその木々を背に、敷地の真ん中に設置されていた。


 真信が入った入り口から反対の面にあるあの中型遊具では、未就学児と思しき女の子が遊んでいる。平日の昼前だからか他に子供の姿はない。


(六歳くらいかな。山の方にはよくいたよなぁ、懐かしい……)


 真信やその父である平賀家当主一家は、一般人を演じるためにごく普通の住宅地にそれほど大きくもない家を建てて住んでいる。


 それとは別に山奥に広い土地を所有しており、そこでは平賀の手下達が生活していた。彼らは門下もんかと呼ばれ、諜報や暗殺、戦闘など各部門に別れて訓練と仕事に明け暮れていた。


 そこには様々な年齢の者がいたが、あれくらいの子供も常に数人程いた。


 子供のほとんどは事件や事故に巻き込まれ親を亡くし、一人になった者達だ。裏の仕事をしているとそんな子供をよく見かける。


 平賀の者はその中から素質のありそうな子供を拾ってきては教育をほどこし、新たな門下として育てていたのだ。


「あっ、どこへっ!」


 真信が思い出にひたっていると、呼び止めるような声が上がった。その方を見ると女の子が遊具を飛び降り真信のいる方向へ駆けてくる所だった。


 橙色のスカートが揺れる。女の子は公園の逆側目指して走っているようだ。そのまま真信の前を通りすぎようとして、足がもつれた。


「あっ」


 真信が止める間もなく女児が顔面から地面に突っ込む。砂ぼこりが上がるなか、幼女は数秒停止して、むくりと起き上がった。


 痛みに目を潤ませていたが、そこはぐっと堪えて膝をつく。真信はそんな幼女に近づき声をかけた。


「すごいな、泣かないなんて。強いんだね」


 顔の高さを合わせて微笑むと、女の子は照れたようにあどけなく笑ってみせる。


 盛大に転んだわりにはどこも怪我をしておらず、額の皮が少しけた程度だった。

 これなら水道で洗うくらいの処置でいいだろうと真信が考えていると、ヒールの音が近づいてきた。


「もう、だから走ってはいけないと言ったのです」


 女の子に注意をしながら駆け寄ってきたのは、先ほど声をあげた長身の女性だ。スーツを着込み、短い黒髪を後ろで無理矢理に縛っている。ただのOLにしてはやけに目付きが鋭い。


「あぁ、すみません。この子が何かご迷惑をおか────まっまさっ、真信さま!?」


 女性は真信の顔を見て硬直した。


 彼女こそ真信が探していた人物、平賀門下の一人であり、過去には真信の付き人であった静音しずねその人だった。


 驚愕きょうがくしたまま返ってこない静音と、そんな彼女を見上げる女の子とを交互に確認して立ち上がった真信は、自分と同じくらいの高さにある静音の目を見つめて尋ねた。


「なるほど。お相手は?」


「私に伴侶はんりょなどいません!」


 意識を取り戻した静音しずねが否定を叫ぶ。真信はそれに深く頷き、視線に生暖かさを交えて誰もいない方を向く。


「知ってるよ。でもほら、今の時代複雑な事情はみんな抱えているから……」


「どうしてそうなるのですかっ。って、私達つい数ヵ月前まで毎日顔を合わせていたではないですか! なぜその結論になるのです!?」


 私は妊娠も出産も未経験です! と首を横に振り焦ったように真信の言葉を否定する静音を、女の子は不思議そうに見上げていた。


「おねえちゃん、おかおあかいよ? だいじょーぶ?」


「うっ、大丈夫です……」


 純粋無垢な瞳につらぬかれ静音は大人しくなった。静音は昔から子供に弱い。まだ家族に囲まれて幸せだった己の幼少期と重ねてしまっているのかもしれなかった。


 平賀の門下としてそれは致命的な欠点であったが、そういう人間らしさを棄てきれないところが、真信は気に入っていた。


「それで? その子どうしたの?」


「あ、はい。この子は私がよく行くコンビニのパートさんの娘さんでして。急に別の仕事で呼び出されたとのことで、たまたま通りかかった私が預かっているのです」


「なるほど、一月で仲良くなるほどかよったのか……さては自炊してないな」


「じっ、住人にうまく溶け込むのも仕事ですし。……平賀には炊事専門の者がいますので覚えなくても死にません」


「俺はそっちでも自分の飯は自分で用意していたが」


「それは若が『毒味で冷えた飯なんぞ食っていられるか! 自分で作る!』と言い出したからではないですか」


 冷たい食事に嫌気が差した真信は中学生になってから料理を始めた。そしてやっているうちに料理を極めてしまったのだ。次は洋菓子に挑戦するつもりでいたりする。


「はぁ、俺は他人に強制するつもりはない。だが覚えておいて損はないだろ」


「うっ…………」


 なんやかやと言い訳を並べていた静音だったが、最終的に気まずげに目をそらした。正論には勝てなかったのである。


 そんな静音の素直な反応を見ていた真信は、自分がいつの間にか昔の口調に戻っていることを自覚しないまま、彼女に一つ指摘した。


「任務中に気が緩み過ぎじゃないか。部下に示しがつかないだろう」


 真信の中に言葉を受けて、静音は瞬時に表情を改める。


「真信様は誤解なさっています。我々は、ここには若を慕って集まっているのです」


「へぇ、いったい何人来ているんだ?」


「真信様を支持している門下は、全体の一割ほどです。そのうち三十人が町に潜入しています」


「ふん。それは誇張こちょうだろ。町にいるのはその半分程度か。子供の前で嘘をつくなよ、教育に悪いだろうが」


「……支持者の数に偽りはありません」


「ついてくる人間が多ければ俺が平賀に戻るとでも?」


 人数の推移は常にあるが、門下は国外派遣組や各地の支部員を含めれば恒常的に五百人ほどいる。


 その内の一割ならば静音に賛同している人間は五十人ほどということになる。


 もっとも、どれほどの人数に頼まれようと、真信は平賀に帰る気などさらさら無いのだが。


「それより静音、昨日のはお前らの仕業だろう?」


 悲しそうに目を伏せる静音に反応した女の子が「いじめちゃだめー!」と真信を叩くので、真信は話題を変えた。


「答えろ、静音」


 問いかけに静音の瞳から温度が消える。ほんの一瞬浮かんだ見捨てられた子供みたいな顔は、すぐに冷徹れいてつな表情に覆われてしまい、少年には気づかれない。


「……それも含め、お話することがあります」


「いいだろう。聞かせろ」


 自分の頭上でなんの会話がなされているのかわかっていない女の子が、一人張りつめた空気を吹き飛ばすように笑顔で彼らの周囲を駆け回っていた。






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