砂の城


 大切な話があるからと伝えると、女の子は元気よく頷き、一人砂場で遊び始めた。

 それが見える位置にあるベンチへ並んで腰を下ろし、真信と静音は視線だけで女の子の動きを追っている。


 スーツ姿の女性と学生服の少年が共に幼女を見守っているので、傍目からは姉弟にも見える。顔立ちは全く違うが、醸し出す空気が同一のものだったからだ。


 互いに出方を探り会う沈黙を破り口火を切ったのは、意外にも静音のほうだった。


「やはり、お気づきだったのですね」


 なにが、とは問い返さない。昨日の地下通路のことだと簡単に推測できるからだ。


「気づいたのは偶然だよ。おおかた俺がさらわれたのを見て地下通路側から敵地に潜入。そこにいた奴らを殺した時点で、監視カメラの映像で俺が無事だと知り逃走した、ってところか。

 偽装は上手くできてた。血痕の位置まで誤魔化す時間はなかったみたいだけど」


「はい。足跡を消すだけで時間を食ってしまったようで。簡単な処置しかできず……」


「いや、普通は充分だ。短時間であれだけできれば上出来だよ」


 失態に目を伏せる静音の頭を、真信は優しく撫でる。硬めの髪質で肌触りがクセになる。深月の髪は細く柔らかかったので対照的な感触だ。


 真信の筋ばった指が彼女の髪をすく。隙間からチラリと皮膚が突っ張っているのが見えた。普段は髪の毛で隠しているが、静音は右のこめかみから耳の下まで一筋の深い傷がある。かつて任務で負ったものだ。


 初めて真信が静音に会ったのは、彼女がこの傷を負った夜のことだった。なんとか傷痕を消してあげたくて特別に医者を呼んだが、一番大きかったこの傷だけは残ってしまった。


(せっかく綺麗な顔立ちをしてるのに……)


 傷痕をゆっくりとなぞる。気づくと静音は無表情ながらも耳を真っ赤にしていた。心なしか震えている。


(あー……。いくら元上司でも、年下の男に頭撫でられたら屈辱ですよね)


 セクハラで訴えられませんようにと祈りながら真信は名残惜しくも手を離した。

 咳払いを一つして、話を続ける。


「それにしても、静音が現場を統括していたにしては少しお粗末だったか」


「……私はその場に居ませんでしたので、実際には見ていません」


 地下通路に残っていた三つの死体とその血痕。壁に付着した血の向きが、彼ら同士の殺し合いにしてはおかしな所が多々あった。離れた前方からの射撃でなくては角度的に付かないはずの飛沫ひまつが残っていたのである。

 それはよく意識して見なければわからないほど微かな違和感。


 静音に鎌をかけて確認するまで真信にも確信が持てなかったほどだった。


 こんもりと盛られた砂山の頂上に木の棒が刺された。謎の造形へと変貌していく山脈を見守りながら、静音が真信の予想を肯定する。


「ことの大筋は若のご想像通りです。拐われたと思っていた真信様がカミツキ姫と共にビルに飛び込んできたことで、門下はあの場から引き上げました」


 静音はそう説明し、うやうやしく頭を下げる。

 彼女が深月をその名でカミツキ姫と呼ぶということは、静音はあの少女の裏の顔を把握しているということだ。


「さすがだな。狙う宝を守る対象のことは調べ済みってことか」


 思わず皮肉気な呟きが漏れる。だが静音はそれを即座に否定した。


「それは違います。我々はそのような任務を受けておりません」


「なら、なぜあの時知っているような素振りを見せた」


 静音が真信の監視をしていたあの日、静音は明らかに樺冴の名に反応していた。

 それが静音達門下がこの町に潜伏する最大の理由なのだと、真信は理解していたのだが。


 真信の追求に、静音はまた小さく首を振る。


「確かに私は樺冴かごという一族の名に聞き覚えがありました。昔とある一族が守る宝を手に入れて欲しいという依頼が平賀にあったのです。その一族の名が、確か樺冴でした。……ご当主様は珍しく依頼を断っておいででしたが」


 平賀が依頼を蹴るのは珍しい。基本的に金さえ積まれれば不可能なこと以外はなんでも引き受けるというのに。


 だがそのことについて真信にはすぐ予測がつく。父はその仕事を自分達にとって専門外のことだと判断したのだ。


 平賀は科学理論と近代思考を絶対とする組織だ。神秘と呪いを主とする樺冴家とは相容れない。


 だから断った。平賀は呪術に対する知識もノウハウも持たないからだ。賢明な判断だ。真信自身、あの管狐くだぎつねというものに手も足も出なかったのだから。


 真信は沈黙したまま目線で続きを促す。砂山はいつのまにか塔に変わっていた。木の棒は軸にするつもりだったようだ。


「あれから帰って、当時の調査資料を探して来ました。資料はすぐに見つかったのですが内容に理解が及ばず……。

 平賀に呪術を解する者はいません。ですのでこの一月の間、我々は呪術社会について調べていたのです」


 脇に置いたバッグから取り出されたのは大判の茶封筒に入った書類だった。封筒には赤く『部外秘』と判子されている。


 平賀の人間は、正式な書類や報告書にだけは嘘偽りを記さない。真信は安心して紙の束を受け取った。


 記載された日付は十年前のものだった。一枚目には樺冴家について簡単な下調べの情報がまとめられている。


 そして二枚目には、当主についての調査報告があった。一葉の顔写真も添付されている。幼い少女の写真だ。


 少女は目が大きく愛らしい顔立ちをしている。短いブラウンの髪を適当に撫で付けていた。嫌に見知った面影がある。


(まさか)


 焦燥感と共に写真に隠れていた名前を確認する。そこに書かれていたのは、紛れもなく深月の名だった。


(ちょっと待て。これは


 十年前といえば深月はまだ六歳のはずだ。両親を亡くしていると聞いていたが、まさかこの時すでに家業を継ぎ当主となっていたとは。

 自身も幼少期から家の仕事を見てきた真信でも、これは思いもよらないことだった。


 六歳といえばいま砂場でバベルの塔を再現している女の子くらいの年齢だ。そんなに幼い頃から深月は今と同じようなことをやらされていたというのだろうか。


 しかし一番真信を驚かせたのは深月のことではない。その次のページに記された、樺冴の家系図だった。


 暫し黙り込み、書かれた内容に矛盾はないか、書き間違いではないかと隅々にまで目を走らせる。しかしどこにもおかしな点は見つからない。


 この報告書に誤りはない。それこそ、あってはならないことのはずなのに。


「静音。この書類は、本当に嘘偽りのない正規の報告書か? 間違いはないんだな」


「……はい。全て裏付けの完了している確実な情報です」


 真信の困惑を見てとった静音は言いにくそうに口ごもりながらも、きっぱりと断言した。いくら目を疑い見返そうと確かめようと、目前に並ぶ数字は変わらない。


 とても一人で抱えきれる内容ではない。真信は紙にシワが寄るのにも構わず、強く手を握り締めた。絞り出すようにして隣の女性に意見を求める。


「静音。これをどう考える」


 先に中身を確認していたはずの静音に、そう訊いた。塔はいつの間にか崩れ、今度は崩壊後のコロッセウムが形成されつつある。手を振ってくる女の子に笑みを浮かべて振り返し、静音はようやく口を開いた。


「……真信様は怨霊おんりょうというものをご存じですか?」


「えっと、あれだろ? 今は大宰府の神様になってる……」


 質問の意図が掴めなかったが、とりあえず答える。怨霊と言われて思い出したのは日本史の資料集に載っていた偉人の話だ。


「はい、それは菅原すがわらの道真みちざねですね。たいらの将門まさかど崇徳院すとくいんと合わせ日本三大怨霊と呼ばれる御仁です」


「そんな物騒な存在だったのあれ?」


 菅原道真は現在、学問の神様と呼ばれ太宰府にまつられている。


 元は時の天皇に重用された役人だったが、政敵に疎まれ地方に左遷されてしまった悲劇の天才だ。そのまま左遷先で亡くなった後は怨霊となり、天変地異を引き起こしたとされる大悪霊である。


「日本では呪詛を撒き散らす御霊みたまを神として祀ることで魂を鎮め、その力を人間の益となるよう変換するのだとか。一般に御霊信仰ごりょうしんこうと呼ばれているものです」


 ここからが本題だというように、静音の声が一段低く抑えたものになる。コロッセウムに橋が架かった。幼女が何の完成を目指して砂を掻き寄せるのか、もはや予測もつかない。


「森羅万象この地球に生息する全ての生き物の中で、最も強い呪詛を生むのは人間なのだそうです。

 人間は複雑な精神構造を持ち、だからこそ、他者をうらみ、ねたむ。畜生に過ぎない犬がどれほど強い恨みを抱いても、それは人間の醜さには到底及ばない……と。

 ですから、動物霊から生まれる犬神には、本来人を消滅させるような力はないはずなのです」


 ここまで聴いて、真信はようやく彼女の言いたいことを理解した。


「人間の呪詛は天を操り雷を落としました。それでも、人間の肉体を消滅させることなどできない。いわんや動物霊をや。……ですが、私達の目の前には、一つの例外が存在する。

 ────いったい、あの狗神はなんなのですか?」


 行為には結果が伴う。人が死ねば必ずその証拠を遺していくように。


 よく考えてみれば、すぐに思い付かなくてはならないことだった。真信の常識でも、兵器の運用には多額の資金が必要だ。ではあの狗神を使うには、何を捧げる必要がある?


『狗神に食事は必要ないのだよ』


 源蔵は確かにそう言っていた。なるほど狗神が亡霊のようなものなら、養分を取らずとも存在できるのは納得できる。だが、それが代償を必要としないことには繋がらない。


 外からの補給はない。ではあの狗神は、深月からいったい何を削っていくのだろう。


 今朝見た少女の青い顔が少年の脳裏をよぎる。

 それに歯噛みして真信は決定的な問いを投げ掛けた。


「つまり静音は、樺冴家の人間が皆のが、狗神のせいだと言いたいんだな」


「……あくまで憶測に過ぎませんが」


 資料として記された樺冴の家系図。それはほぼ一直線を描いていた。必ず女性が家長を継ぎ、外から婿むこを取っている。

 そして当主となった女性はもちろん、入り婿の男も皆一様に、二十五歳を迎える前に死んでいた。


 深月の母親と思しき女性など十六で深月を出産し、二十二歳で死亡届けが出ている。父親は深月が三歳の時に行方不明になっていた。


 それより以前の人間も似たり寄ったりの運命を辿っている。


 危ない仕事をしているから。

 いつ命を落としても仕方がないから。

 そんな当たり前のなぐさめなどでは到底説明しきれないほどの異常。


 見れば見るほど、背筋に悪寒が走る。


 それは静音も同じだったのだろう。彼女は紙の束から極力目をらし、嫌悪を口元ににじませていた。


「あの一族には何か闇がある。それは、私達の住む場所よりももっと深い何かに思えて仕方がないのです。真信様、これ以上あの一族と関わってはいけません。どうかお戻りください」


 最後はもう、真摯な訴えだった。少年の身を案じる意思と、自分達の願いとを混同した切実な願い。


 そこにはなんら不備などないように思えてくる。理解の及ばない身の危険から逃れ、元の日常に戻るだけ。


 何も変わらない。どうせ思い出はすぐ薄れて消えるだろうから。


 ────それでも。


「それは、できない」


 言葉は欠片ずつ、こぼれ落ちるように出た。


 なぜ? と、鋭い視線が問う。


 それに満足な答えを告げられないもどかしさを抱えながら、それでも真信は静音の誘いに乗るわけにはいかなかった。


「自分がどうして逃げ出したのか、今でもはっきり理由はわからない。でも、あそこにいたら一生叶わないってことは確かなんだ」


 未だ願いは掴めない。浮かぶ感情は形にしようとすると、気泡のように揺れ動き手から逃げていく。


 最初は、普通の生活がしたいのだと思った。悪人でもない誰かが簡単に死んでいく生活に嫌気が差したのだと。


 それは今でも変わらない。しかし深月と過ごす生活もだいぶ血塗られている。なのに不思議と嫌悪感はなかった。そんなものだろうと、当たり前に受け入れてしまっているほどに。

 だから、決定打は別にある気がしてならないのだ。


 思い悩む真信へ、俯き表情を隠した静音が小さな声で呟いた。


「平賀には貴方が必要なのです」


 頼りない声だった。これが演技なのならば表彰ものだ。そう真信は苦笑する。


「……でもさ、そうやってお前らの思惑どおりに平賀を継いでも、俺が不要になったら殺すだろ?」


「それが平賀のためならば、躊躇ためらわず」


 今度は機械みたいに単調で感情の消された声だった。


 これが門下の本質だ。自分達のためではない。当主のためでもない。ただ『平賀』という存在のために思考し行動する。


 彼女が悪いわけではない。彼女達をそう洗脳教育した平賀が悪い。


「ほんとお前ら、矛盾だらけだ」


「それは……どういう?」


「わからないよ、今の静音には」


 真信は沈痛な面持ちで立ち上がった。一つ息を吸い、顔から迷いを消し去る。そうして困惑している静音を見下ろし、できるだけ強い語調で告げた。


「いいか、何度も言わせるな。その耳は何のために付いている。…………僕は決してあそこへは戻らない」


 静音の反応も見ずにきびすを返す。そのまま公園の出口を目指した。背後で真信を引き止めようとする気配がしたが、振り返らずに歩く。呼び止める声はなかった。


 スマホを取り出しながら最後に盗み見た砂場は、綺麗な更地に戻っていた。最初から何かを完成させようとはしていなかったのだろう。


 その様子はまるで、結局何も成せていない己のようだと。


 真信は自嘲してわらった。




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