カミツキ姫の御仕事

まじりモコ

第一幕 カミツキ姫の御仕事

プロローグ


 ――――遠く逃げ出してきたはずの、見慣れた光景が広がっている。


 夕暮れにも少し早い時間帯。武家風の大きな屋敷を訪れた平賀ひらが真信まさのぶは、予想しなかった景色を全身で受け止めた。


 澄んだ空気を汚す生臭さ。

 眼に突き刺さる鮮やかな紅色。


 慣れ親しんだ地獄を、少年は思考の止まったまま息を呑んで無意識に分析する。


 人々の目から屋敷を隠す高い生垣と木の柵に囲まれた広めの庭。余計な物がなく、唯一物干し竿ざおだけが生活臭を感じさせるそこには、いくつか血の池ができていた。


 目測だが、これほどの量だと幾人もの人間が必要だろう。しかし肝心の死体は一つのみ。それも、頭部がなく身体だけが人形のように倒れ伏している。


 そうして血だまりには、人間が他にもここに居たという証拠がいくつも残されていた。


(けど、あそこまで細かい欠片だと現実味がないな。動物に食い荒らされた跡みたいだ……)


 ああなってしまうと元が人間の一部とは考えつかない。広がる血だまりに浮かんでいるからこそ、それが“肉”なのだとわかる。


 この惨状を作り出したと思われる人間はまだ真信まさのぶに気づいていないようだ。


 今のうちに逃げるべきだ。


 緊張のなか音を忍ばせて右足を引く。そうして逃げの体勢を取る前に、真信はつい、唯一見慣れないに目を向けた。


 風景にぽっかり浮かんだ影のような黒いかたまり。影は煤の集合体みたいな姿をしていた。人間大より少し大きく、端から崩れていくのになぜか体積が減る様子はない。真信が少し離れた所から見ているせいだろうか。その影の形はどこか、犬の頭のように見えた。


 あれがなんなのか真信には見当もつかない。けれど自分の常識では到底理解できない存在なのだと分かる。好奇心がうずくが、それは命あってのものだと自分に言い聞かせた。だが眼が引き寄せられるのはどうにも抑えることができない。


 真信の視線の先。影を従えているのは一人の少女だ。濡れ縁にぺたりと座り込んだ、着物を着崩した女の子。


 真信は直感で理解した。


 彼女こそが、この惨劇を引き起こしたであろうこの屋敷の主なのだと。


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