真っ赤な世界へ
朴訥とした、平凡な町だ。
それが
首都から遠く離れた九州の田舎町。並ぶ住宅地はその半分ほどが日本家屋で、真新しい西洋建築の家は多くない。
閑静な町並みの中ゆっくりと自転車を走らせる
町にはいろんな所にお地蔵さまが置いてあって、その全てに花やお供え物がされている。
まるで町の平和を
町で一番活気がある地元の商店街を抜けて、真信は一軒の屋敷を目指して自転車をこいだ。
右手には、クラスメイトから渡された粗雑な地図を握りしめて。
『いやぁ、この町はなんもないけどな。あそこだけは見ておいたほうがいいぜ』
転入してすぐ仲良くなった男子生徒がそんなことを言った。
『アイツの家、昔はこの町一番の名家だったらしくて、すっげぇデカイ家なんだよ』
『あれは確かに立派な屋敷だ』
たまたま会話を聞いていた担任教師も話に入ってきた。少し頭の禿げ上がった、年配の男だった。
『この町に住むなら、あれは一度見ておいたほうがいい。いろいろ勉強になる』
『ほら、先生もこう言ってるし。それに……。まぁ、後は明日教えてやるから』
そう言って手書きの地図と共に渡されたのは数枚のプリントだった。担任曰く、明日中に判子が必要なのだが、当の生徒がずっと学校を休んでいるからついでに届けろとのことだった。
つまり屋敷の見学は都合のいい口実で、実際はそこに住む生徒への面倒な配達を押し付けられたのだ。それ以外にも何やら意図があるように感じたが、真信は教師の人と成りを知らないので気にしないことにした。
友人の態度もどこか不自然だったが、新生活に浮かれ楽天的思考が強く出ていたこの時の真信は、やはり気にしなかった。純粋に町の名所を教えてもらったつもりでいた。
自転車のカゴに詰め込まれた通学鞄の中には、クラスメイト宛のプリント達が入っている。
宛名は「
真信の通う
(そういえば、まだ一度も会ってないような……)
真信の斜め前が
病弱なのだろうか。
そんな想像が浮かぶ。
(迷惑にならないよう、外から軽く眺めて、プリント渡してさっさと帰ろうかな)
帰ったら昨日余らせた肉じゃがのお供におひたしでも作ろう。
ときどき地図を確認しながらそんな考えを巡らせる程度には、町はいつも通り平和だった。
盛大に迷いつつ、学校から二十分くらいでその屋敷に辿り着いた。
教えられた通りの立派な屋敷だ。二階建てのようだが、テレビでよく見る豪邸くらいの広さがありそうだ。周囲は林と竹林が並び、他の家とは若干距離がある。余計に屋敷の
屋敷は生垣と、それに加えて木の柵に囲まれていた。外から中の様子は窺い知れない。
入り口の所に自転車を止め、真信は鞄を手に生垣の中に入った。
屋敷の玄関まで続く平らな飛び石を律儀に踏みながら進む。
やはり古い造りらしく引き戸にはチャイムが備え付けられていなかった。都会出身の真信にしてみれば、どうやって来訪者を知るのか不思議でならない。
仕方なく引き戸に手をかける。すると頭上で澄みわたった音色が響いた。見上げると風鈴が吊るしてある。時期外れのものではあるが、細かな模様が施してあり好感が持てた。
今度こそ意を決して戸を開く。
中を覗き込むと玄関は思ったよりも広い。上がり
今にも幕府の官僚が出勤しそうな物々しい玄関は、それでいて殺風景でひんやりとしていた。
「ごめんくださーい」
薄暗い屋敷に真信の遠慮がちな声が響く。中からは物音一つ返ってこない。
しばらく待つ。
返事はない。
「えっと、
もう一度、今度は大きめの声で呼び掛ける。
やはり返事はなかった。
玄関にプリントを置いて帰っていいものか。家主が現れるのを待つべきか。
真信が腕を組み
(なんだろう。人の声みたいな、それにしては甲高い感じの)
何か嫌な予感がした。けれど誰か居るかもしれないと、玄関から庭の方へまわる。あったのは少し広めの、日曜の夕方にでも放送されそうな一般的な日本家屋の庭だった。
見渡すが誰もいない。それでも何か違和感を覚えて、真信はもう一歩踏み出した。
──それがいけなかった。
「えっ?」
真信の目の前を人の胴体がふっ飛んでいった。屋敷を囲む木の柵にぶつかり、身体が地面に落ちる。黒いスーツらしきものを着込んだ身体には頭部がついていない。
庭は、真信がまばたきする前とは全く異なる姿を見せていた。
いたる所に血だまりがあり、破れた洋服の欠片や拳くらいのぶよぶよとした塊が浮かぶ。
およそ平和な町には相応しくない、平和からは一番ほど遠い景色が広がっている。
人がいないと思っていた屋敷の濡れ縁には、いつの間にか一人の少女の姿があった。
美しい顔立ちの少女だ。透けるようなブラウンの髪が腰の辺りまで流れ、少し長い前髪の隙間から、目尻のとろんとした大きな瞳が眠たげに覗いている。肌の白と頬の
こんな状況でもなければ
少女は綺麗な着物を着ていた。しかしまともに着るつもりはないのか、肩の辺りがはだけている。
だが重要なのはそこではない。
もっとも特筆すべきは、少女の背後に黒い影が浮いていたことだ。
犬の顔にも似た形の煤のような影。あれが生き物なのか、そうでないのか。その判別すら真信にはできない。
真信が見つめていると、少女はおもむろに右手を伸ばして地面に倒れたままになっていた身体を示した。
「────わん」
可憐な唇が紡いだのは、犬の鳴き声。
涼やかな声に反応するように影が
屋敷の庭に
影がその
目の前で起こった出来事の衝撃に、真信は今度こそ逃げを決意する。気配を殺して後退りした真信の肩を、何かが覆った。
それは、人間の大きな手だ。
「あぁ、見てしまったね」
低く
そこにいたのは髭を生やした五十代くらいの男性だった。白いスーツにシルクハットをかぶった、絵に書いたような紳士。
口元にシワを寄せ笑みを形作った紳士は、自分を見上げる真信へ仏様みたいに細めた瞳を向けた。
「帰れないよ、君」
真信の目に紳士の大きな手が覆い被さる。
視界が真っ暗になって、真信は
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