ドラマチック
「深月、奈緒!」
入ってきた裏口から建物を出ると、ちょうど向こうも終わった所だったのだろう。真信が手を振りながらこちらに駆けてくるのが見えた。
走っている間は心配そうな顔をしていたが、近づくにつれ、深月が返り血一つ浴びていないことに気づいたらしい。二人の前にやって来る頃には、安心に表情が緩んでいた。
「二人ともお疲れ様」
「うん、疲れたー」
「そっちもお疲れ様です、真信先輩」
軽く言葉を交わし、深月の前に立った真信はてきぱきと深月の状態を確認し始める。
「脈は正常、焦点はあってる。これ何本に見える? ……よしクリア、意識は正常だね。ついでに怪我もなしか。よかった、今回は疲労で済んだのかな。でも帰ったらマッドに看てもらうんだよ。さぁ、車に戻って休もう。──静音、深月をお願い」
「かしこまりました」
「真信はー?」
「僕はまだちょっと調べものがね」
柔らかく笑み、真信は
竜登とおかっぱの女性も静音に伴われて車の方へ去っていく。
場には真信と奈緒だけが取り残された。
なんとも不自然な流れだ。これは明らかに、狙って奈緒だけ残るように事前の打ち合わせがあったと見ていい。
真信としては奈緒にだけ話があるのかもしれない。しかし自虐の思考に落ち込んでいる奈緒は今、他人に気遣う余裕はない。
お互いのためにも早く帰って寝てまた後日、とするべきだ。なので声をかけられる前に車へ向かおうとしたが案の定、真信に引き留められた。
肩を掴まれ振り返ると、少年は言い出し難そうにしながらも手を離さない。
「……あのさ、そっちで何かあった?」
予想通りの質問だった。ひたすら面倒臭かったが、奈緒は仕方なく簡単な相づちで話を繋ぐ。
「どうしてですか?」
「いや、深月がどうしても一人で行くって言ってたの気になるし。マッドも研究データを見るなって言うし、その……」
真信にしては珍しく言葉を濁した。なぜこうも発言がはっきりしないのか。
その理由に思い至って、奈緒は思わず破顔した。
「あはっ、つまり真信先輩、深月先輩に置いてきぼりされて寂しいんですね! ウケる」
つい指を差して笑ってしまった。どうやら図星だったらしく、真信からの反論はない。少年は顔を赤くして悔しげに唇を噛んでいる。
奈緒はやれやれと肩をすくめ、助言のつもりで真信をあしらう。
「みんなが見せないようにしてるってことは、真信先輩はまだ見ちゃダメってことでしょ。ここは大人しく指くわえて引き下がってくださ~い」
「そんな……」
真信は
「それじゃあ帰りますよ」
奈緒が先に歩き出すと、真信は数歩後ろをついてくる。
この時の奈緒には、仕事は終わったという気の緩みがあった。深月の心の強さに、自分の未熟さを思い知らされた思考の鈍りもあった。
偶然の条件が重なり、奈緒はいつもなら気づくことができたものに、反応することができない。
建物の敷地を出て森に入った途端、真信が何かに気づいて顔色を変える。
「奈緒っ!!」
「えっ?」
焦った叫びに奈緒は顔を上げた。数メートル先の木の影に白衣を着た男が立っている。男は顔に涙の跡を残し、鬼のような憎しみの形相で奈緒たちを睨んでいた。
その手には矢をつがえたボウガンが握られ、矢じりは奈緒へ向けられている。
これほど殺気を浴びせられているにも関わらず、奈緒は今の今まで男の存在に気がついていなかった。
(うげっ、残党!)
奈緒はとっさにナイフを投げた。しかしナイフが届くよりも、男が引き金を引く方が早い。
眼球に深々とナイフの刺さった男がのけ反るのと同時にボウガンの矢が放たれる。男が倒れることで軌道が変わり、鉄製の矢は真っ直ぐ奈緒の顔に向かって飛んで来た。
避けるのも間に合わない。冷や汗が吹き出し諦めが脳裏に浮かんだ瞬間、横から伸びてきた手が矢の先端を掴んだ。
「大丈夫!?」
奈緒の前に飛び出した真信の腕だった。勢いのまま拳から飛び出した矢じりは奈緒の眉間すれすれで止まっている。
真信が止めなければ、奈緒は確実に死んでいただろう。
真信の拳から数敵の血が滴り落ちる。その赤に刺激されたのか、奈緒の頭にさっきまで思い描いていた空想が、思考の端から浮かんで来た。
昔見た古い映画のように。本棚の真ん中に置かれた小説のように。
無条件に自分を助けてくれる何かが、誰かが、居てくれはしないか。
醜い現実に翻弄されながら手を差し伸べてくれる誰かが現れるの待っている自分を救ってくれる、運命の人が。
そんな、都合の良いありえない幻想。
「奈緒?」
奈緒は自分の心臓が早鐘を打つのを感じた。頭に血が上る。絶対に赤くなっている。顔を上げていられなくて奈緒は視線を落とした。
「あっ……」
違う。
違うこれは、さっきの思考がこびりついていただけだ。断じて違う。違うのだ。
そんな、ハッピーエンドに通じるような運命は存在しないと、頭で分かっているのに──
「あぅっ…………あ、アホー!!」
「ええ!?」
奈緒は思わず叫んだ。唐突な罵倒に真信がのけ反る。それが正常な反応だ。命を助けられてアホ呼ばわりは失礼が過ぎる。
そんなことは奈緒も分かっている。だが、自分では止められない。
「飛んできた矢じりを素手で掴むとかアホですか!」
困惑する真信をキッっと見上げて指摘すると、少年はさらにたじろいだ。
「やっ、だって
「毒とか塗ってあったらどうするつもりですか!」
「考えてなかった」
「ほらアホー! バカー! さっさと止血しろバーカ!」
震える手で取り出したハンカチを少年の怪我した手に握らせる。出血はそれほど多くない。傷は浅いようで、ほっと息が洩れた。
真信は切り裂かれた手のひらをハンカチで押さえて、そっぽを向いた奈緒に優しく笑いかける。
「ありがとう、奈緒」
「礼を言われる筋合いありませんから。話は終わりですよね、さっさと帰りますよ!」
「でも奈緒、なんか顔が赤いよ? どこか怪我をしたんじゃ……?」
「そんなヘマしてませ~ん。いいから黙って歩いてください」
嫌味たらしく言って、奈緒は高鳴り続ける心臓の音を頭から閉め出した。
違うのだ。突然のことで驚いたせいだ。だからこれは違う。
──心の拠り所を欲しているのは、平賀の門下達だけではない。それは人殺しを仕事にしている奈緒も同じだ。
たまたまその事を考えていた時に、たまたま真信が自分を助けてくれただけ。
今回の件はそれだけだ。ただの偶然。運命などではない。奈緒は自分に繰り返しそう言い聞かせる。
(だって、これじゃ先輩に依存してる人たちと変わらない)
一瞬でも竜登に共感してしまいそうになった自分が、心の底から嫌になる。
依存してはいけない。寄りかかってはいけない。これ以上、この少年に負担を与えてはいけない。
そもそも自分には誰かを頼っていい資格がない。
迷走していた思考がそこに行き着いて、奈緒は手のひらで顔を覆った。
「奈緒、大丈夫?」
挙動がおかしかったのだろう。さすがに後ろから声がかかる。それに奈緒は、意地悪な後輩の顔を張り付けて振り返った。
「なんでもないですよ~。それより、自分の心配したらどうです真信先輩?
矛先を向けると、真信は頬を掻いて曖昧に笑う。
「いやぁ、一番僕が現場指揮の経験あるのは確かだけどね。他の能力は皆のほうが高いよ。静音やマッドも深月を気に入ってるみたいだから、僕が欠けてもきっと大丈夫──」
「は? んなわけないでしょ。マジでそれ言ってます? 目ぇ腐ってるんですか?」
真信があまりに他人事のように話すから、奈緒は少年に詰め寄って胸ぐらを掴んだ。首を締めるほどではない。引き寄せられた真信はつんのめりながら、困った顔をする。
「や、でも僕がいないほうがいいことも」
「ない。絶対に瓦解しますよ、今のままじゃ。深月先輩はワンマン、静音さんは献身キャラ、マッドさんは異次元だし、他はダメダメ。誰も柱にはなれない。そんくらい、付き合い長い真信先輩のが分かってますよね」
奈緒は早口に
「逃げんな。
言いながら、奈緒は力無く手を離した。
踏み込み過ぎた。こちらは線引きしておいて、これはいけない。対等ではない。
「押し付けが過ぎました。……帰りましょう。その手もさっさと手当てしないと」
真信に背を向けて車を目指す。するとすぐ後ろから気配が迫り、耳元で小さな声がした。
「…………ありがとう」
真信が奈緒を追い越して前を行く。
その思っていたよりもずっと広い背中を見て、奈緒は思い知った。
自分がもう、後戻り出来ないところに来てしまったことを。
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