いつかに続く間章


◆『置き去りになっていたレコーダーに偶然録音されていたある二人の会話』◆



「──おい実篤さねあつ、調子はどうだ」


「最っ高さあ。今ならいくらでも殺せる」


「つまり、気分が落ち込んでいるということか」


「…………ちっ。それで、兄上様は何のためにオレに話しかけたんですかーねぇ? そんな仲良し小良しじゃねえだろ、オレたち兄弟は」


「真信がここを去ってから、どれくらいが経った」


「あぁ? 筋が見えねぇ。真信を外に放り出したのは兄上だろうが。なんの嫌みだよ」


「真信の居場所を、誰かに言ったか?」


「知らねぇもんは吐けねぇよ。それがどうした」


「────アレが消えた」


「……はっ? まさか今日は──そうか。追跡は出したか」


「先鋭を十名ほど。すべて死体で帰ってきたがな」


「ちっ。だからあんなサイコパス、幽閉せずにさっさと殺しとけっつったんだよオレは。つーか、どうせ行き先は真信の所だろ? アレは真信を唯一の血縁と認めてんだから」


「そうだな。全く、我々がアレと同腹でなくて良かったと心の底から思う」


「同ぉ感。あんな執着されたらたまったもんじゃねぇ。つか真信とアレ、どこではらませて来たんだろうなぁ、親父は」


「さあな。とにかく、アレを野放しにはできない。アレが町を滅ぼしでもしないうちに確保が最優先だ。お前は真信の所へ忠告に行け。他の者では、真信は信じないだろう」


「へいへい了解でぇすとも。んじゃあちょっくら、この兄がイジメに行ってやりますかねえ」


「……いや、任務は忠告だぞ?」


「できりゃあ迎撃、捕獲も、だろ? 一応の妹を殴り飛ばすんだ。ついでに弟泣かすくらい許せよ、お兄さま」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆…………。





「くそっ。くそっ、くそぉぉおお!!」


 森の中に怨嗟えんさの声が木霊する。そこには、荒れた木々の間を大股でざかざかと進む少女の姿があった。


 破れと土埃ばかりの防護衣類を着て、右手には人間の左腕を握りしめている。


 それは正真正銘、少女の左腕だった。少女の左腕は肩口から切断され、その傷口は止血のためか焼けただれている。


「殺してやる。絶対に殺してやるぞ平賀真信ぅぅうう」


 声高々に復讐を唸り上げながら、ゴムが切れて腰まで降りてきたピンクアッシュの髪を振り乱す。


 終始怒りに顔を歪めなから、落ち合う予定の場所まで氷向ひむかい綾華りょうかは進む。この先にはイナーシャのボスが手配した者達が待つ集合地点があった。


 もう少しで森を抜けるというところで、綾華は人影にぶつかった。驚いて数歩飛び退すさる。


 気配がしなかった。いや、自分が気を立てていて気づかなかっただけか。綾華はそう納得した。


 なぜならそこに居たのは、真っ白なワンピースを着た、幼げな少女だったからだ。暗闇でもなお目立つ黒髪は頭の形に沿って切り揃えられ、大きく無邪気な瞳が月夜に輝いていた。


 少女は純粋無垢な笑みで綾華を見つめて立っている。


 なぜこんな所に子供が? そう頭の隅で考えながらも、綾華は少女を睨み付けた。


「なんだお前、退け」


 しかし少女は臆することなく首を傾げる。


「今さあ、お兄ちゃんの名前が聴こえた気がするんだよね。そこのお姉さん、永吏子えりこのお兄ちゃん知らない?」


「知らないわよ。んっ、その手に持ってるのって──」


 綾華りょうかが少女の手元が赤く汚れているのを見留めて言う。すると少女はそれを自慢のオモチャを見せびらかすように、もったいぶって掲げてみせた。


「ああ、これ? 向こうにいっぱいから、ちょっとくらい遊んでもいいかなって」


「なっ──」


 その手に持っていたのは血塗れの眼球だった。それも一つではない。無数の目玉を、クルミを弄ぶように手のひらで転がしている。目玉はまだ粘膜でヌメヌメと湿っていた。文字通り、だろう。


 ここは人里離れた私有地の中。辺りに人はいないはずだ。いるとすれば、それは綾華を迎えに来ていた──


「んふっ。お姉さん、やっぱり嘘つきだ。お兄ちゃんの匂いするもん」


「なっ──!」


 いつの間に接近していた少女に身体の臭いを嗅がれて、綾華は反射的に後退った。気配どころか音も無かった。


 綾華の中に動物としての本能的な恐怖がせり上がってくる。


「アンタの、兄って……」


 気づくと、綾華はそんなことを口走っていた。すると少女はぶすくれていた顔をパッと笑顔に戻す。


「お兄ちゃんはね、永吏子えりこと唯一、お父さんお母さんも一緒なの。だから永吏子えりこのたった一人の家族なんだよ」


 言いながら、今まで宝物のように持っていた眼球を残らず捨て、踊るように回る。


「とっても優しくて、可愛くて、あわれでみじめなお兄ちゃん。でも遺伝子レベルは永吏子えりこと一番近いはず。きっと永吏子えりことの間には、永吏子えりこに似た──ううん。もっと凄い、最高の赤ちゃんができる。だから探してるの」


 この少女が何を言っているのか、綾華には分からない。赤ちゃん? 実の兄と? そんなまるで培養のように語られても受け入れ切れない。


 瞬間、綾華は理解した。この少女は人の範疇はんちゅうにない。身体はともかく、頭が別だ。


 この少女は、一人だけ違う世界で生きている。


永吏子えりこ、偉いんだよ? お兄ちゃんの言い付け通り、ちゃんとあの警備のお粗末な牢屋の中で十六才まで待ったもん。あっ、そうだ」


 少女はそこで踊るのをピタリと止め、綾華に小さく薄い箱のようなものを差し出した。断るのも恐くて、綾華は自分の左腕はわきに挟んで、その箱を受け取った。


 それはトランシーバー型の通信機だった。刻まれたマークはイナーシャの物。


 地面に打ち捨てられた眼球の持ち主が脳裏で急に立ち上がってきた。このトランシーバーは、その人間達から奪ったのだろう。その様が目に浮かぶ。


 きっと綾華の仲間は、遊ぶように殺された。


 綾華の絶望に欠片も気づかない様子で少女が笑う。


「お姉さんの上司にはもう話しついてるから。そっちのジュジュツ者狩り、手を貸してあげるよ。平賀の本拠地も教えてあげる。その代わり永吏子えりこにお兄ちゃん、ちょうだいね。ああでも、種馬役が終わったら、あとはお兄ちゃんの身体、オモチャにしていいから」


「アンタは、いったい……」


永吏子えりこはね、ただの永吏子えりこだよ。お父さんがね、永吏子えりこは頭が狂っててから、平賀を名乗っちゃダメって言うの。だから、永吏子えりこ永吏子えりこ平賀ひらが真信まさのぶの妹の永吏子えりこ


 告げられたのは、自分の左腕を切り落とした男の名前だった。しかし今は、今だけはそんなことどうでもいい。


「楽しみだなぁ。会うのは十一年ぶりだね、お兄ちゃん。永吏子えりこが生きてるって知ったらきっと驚くだろうなぁ」


 どこまでも天真爛漫らんまんで無邪気な、夢見るような笑顔。もしもこの世に悪魔と呼ばれる存在がいるとすれば、きっとこの少女をこそ、その名で呼ぶのだろうと、綾華は思った。




        ──カミツキ姫の東天紅へ


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