第二幕 カミツキ姫の因果律

〈プロローグ〉


 ────何も見えない。


 そもそもが人気のない山の奥、そこに佇む一軒家こそが少女の自宅である。付け加えて今が深夜であるということを考えれば、周囲の暗さには納得がいく。


 だがそれにしても、己の姿さえおぼろにも見通せぬ暗闇とは、もはや自然のものではない。


 この暗闇の原理を少女は知らない。ただ寝ているところを突然家から連れ出され、隠れていろとそこへ押し込められた。


 世界の様子を少女に伝える情報は、膜を通したようにくぐもって届く頼りない音だけだ。


「決してここを動いちゃ駄目だからね」


 ひどく早口で、それでいて優しいそれは母の声だ。


「私達が迎えに来るまで、我慢するんだぞ」


 厳しくも少女を安心させるようなおおらかな父の声。


「絶対大丈夫だから」


 そう慰めるのは、姉の声だ。


 やはり姿は見えない。こちらの姿も、向こうにはもう見えていないだろう。けれど少女は自分を強く保つためにも、彼らの言葉に頷いてみせた。


 ふいに周囲の様子が変わる。声が止んだ代わりに人の遠ざかる足音もない。訝しんで耳を澄ませると、聞こえてきたのは遠くに投げ掛けられた誰何すいかの言葉と、間髪入れずに響く小さな悲鳴。


 いづれも愛しき家族の声だった。


 重たい何かが三つ地面に倒れ伏す音のその意味を、少女は気づかないふりをした。


 そうして直立不動のまま、先程の家族の言葉を頭のなかで繰り返す。


 大丈夫。

 必ず迎えに来てくれる。

 そしてまた、大切な家族との代わり映えしない幸せな日常が続いていくのだ。


 こぶしに力を込めて歯を食いしばり、感情の動きに蓋をする。頭を掠める嫌な想像から目をそらす。


 そうしなければ、そうやって信じなければ、少しずつ沸き上がってくる憎悪に心が喰い尽くされると、少女は気づいていたから。



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