エピローグ

序幕が終わり、未知が開く


 朝焼けが町を照らす。

 太陽が茜色の世界を連れだって、青空を侵略せしめんと広がっていくようだ。

 紫色に塗り潰された雲をオレンジ色の明るい光が縁取っている。


 そのうち光は剥ぎ取られ、または薄まり、もとの青空が我が物顔で空を埋めるだろう。


 その移り行く様子を見守りに外に出る者はいない。年寄りもまだ動き出さない時間。

 健康のためなのか、時折ジャージ姿で脇目もふらず走っていく人間があるだけだ。


 いまこの美しい空を眺めているのはたった二人しかいない。


 和服の少女と、それを背負って黙々と歩を進める学生服の少年。


 少女のほうは限界が来ているのか、少年の体に軟体動物のように全身を預け脱力している。唯一動くのはその瞳だけだ。


 眠っていてもいいのだと少年は言ったが、少女は首を横に振るだけだった。いま寝たら数日起きない自信があるらしい。


 無理もない。長時間幻影に狗神を振るい続けた後に、眠りこける人間を十人ばかりこの世から消したのだ。道中の見張りは全て真信達が片付けたとはいえ、相当に消耗しているはずだった。


 人前で気丈に振る舞っていても消耗の激しさは誤魔化せない。時折呟く言葉も何処どかかたどたどしかった。


 門下の者達は後日改めて挨拶に来ると言って消えた。だから今、彼らは正真正銘の二人きりである。少女の身体を落とさないよう、真信は細心の注意を払って屋敷を目指した。


 あと少しでその屋敷へ着くという頃だった。少女が突拍子もないことを呟いた。


「真信さー……もう屋敷うちに住みなよ」


「ほぁ!?」


 真信の歩調が乱れる。直に耳へと入ったその字面への驚きのあまり、背中の少女を落とすかと思った。慌てて深月を背負い直す。深月といえば、真信の動揺には興味がないようで淡々と言葉を続けた。


「部屋はいーっぱい空いてるからさー。……あの門下? の人たちも……いっそ、一緒に住めばいいよ」


「それって」


 自分一人に向けられた提案でないことに奇妙な安堵感と少しだけ拍子抜けする感覚を覚えながら、真信がちょっと振り返って深月へ問い返す。


 やはりその顔は見えないが、真剣の色が滲んでいることは声音から推測できた。


「……これでも……樺冴家の歴史はそれなりに調べてるけど、おじさんが今回みたいな強行手段をとるのって……実は、始めてなんだ」


 それは真信にとって意外なことだった。真信はこの町に来てからの源蔵しか知らない。てっきり強引な行動ばかりする男だと思っていた。


 ──これでも深月に期待してるんだ。


 源蔵はそう言っていた。


 狗神の呪詛を誰よりも多く削り、尚且つ未だ鮮明な自我を保つ深月を、源蔵は高く評価している。もしかすると彼女なら、という期待もあるのかもしれない。


 だからこそ多くの仕事を回し、深月の元へ敵を誘導した。今回のように。


「今後……今回みたいな……ううん、きっと今まで以上いじょーに荒れると思う」


 それは源蔵の行為ばかりのせいではない。呪術社会は変革の時を迎えつつある。近代科学の産物──新たな兵器おもちゃを手にした古風な呪術者達が何を始めるのか推測しきれない。


 今まで通りというわけにはいかないのは確かだった。既存の常識だけでは予測がつかない。ここから先は未知の世界だ。


 懸念があるのは真信も同じだった。平賀の当主が呪術社会との繋がりを真信一人に任せるわけがない。すでにいくつものルートを確保しているはずだ。


 平賀は金さえ積まれればどんな仕事も完璧にこなす。いつか彼等が樺冴の敵に回ることも考えなくてはならない。


 夢とうつつの境を彷徨さまようように、深月が事の核心を告げた。


「だから、できるだけ傍にいた方が……守りやすい」


「そうだね」


 お互いに、という言葉は飲み込んだ。

 やらなければいけないことは多い。こちらの手勢は限られている。いかに効率良く狗神を使うか。それこそが待ち受ける運命を打破する鍵になるはずだった。


 とりあえず今は、深月を休ませることが先決だ。


 屋敷に到着する。慣れ親しんだ飛び石を踏みしめ、真信は玄関へ近づいていく。


「お邪魔しま────あたっ」


 言って引き戸を開けようとして、何故か後頭部に衝撃が走った。何かと思えば、ちょっと起き上がった深月が真信の頭に手刀を落としたのである。


 深月が風鈴を指差し、呆れたように言う。


「いい加減それ、やめろってさー」


 何のことかわからず不思議そうな顔をする真信だったが、鳴らない風鈴と玄関とを見比べて何かに気付き、微かに頬を赤らめる。


 そして、照れたように言った。


「えっと……ただいま?」


「……うん、おかえりー」


 深月が微笑み、風鈴が鳴る。その音は心なしかいつもより軽やかに響くようだった。


 真信の生まれ育った家に、互いに挨拶をするような習慣はない。だからこんなやりとりも真信にとっては初めてのことだ。


 顔に浮かびそうになる照れ臭さをなんとか堪えて今度こそ引き戸を滑らせる。


 深月を上がりかまちに下ろす。


 この時間を守ろう。そう改めて心に誓いながら、真信はゆっくりと引き戸を閉めた。





 昔ながらの信仰を基盤とする呪術者オカルティスト

 近代学問を根拠とする科学的現実主義者リアリスト


 存在そのものが相手を否定するゆえに、今まで決して交わらなかった二つの勢力。しかし今やその垣根は壊れ、分裂と同盟を繰り返し、新たに小さいながらも強力な勢力を生みつつあった。


 そんな中、相反する世界に生きていた二人が手をとり合い、互いを守るために奔走を始める。


 変わりゆく世界で、それはほんの小さな出来事。

 だがそれは、これから二人が出逢う全ての出来事の、重要な始まりプロローグであった。




        カミツキ姫の御仕事 了


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