第8話 9月26日 オオカミへの想い2[他者視点]

「ちゅーワケで、第2回作戦会議といこか」


 フォスターは、テーブルの上に並べられたケーキに瞳を輝かせながらそうのたまった。作戦会議やらとケーキのどちらが重要なのか聞いてみたいところだけど不問にしておく。

 初めて彼女と会ったときの光景を繰り返しを見せつけられて、また胸焼けしそうだ。


「なんや? 嬢ちゃんも好きなもん注文せんとあかんよ? そない少なくてええのん?」


 私の前にはチョコケーキが置いてある。甘すぎないクリームとさくりとした食感が魅力の一品だ。


「結構です」


「そか。嬢ちゃんがそれでいいゆーならうちはかまへんけどな」


 フォスターはフォークで武装を完了すると、ケーキを蹂躙しにかかった。

『LAST QUEEN』の誇る歴戦の兵といえども、それほど長くは保たないだろう。経験上、彼女にかかってはいかな大兵力であっても数分しか陣形を維持できないことはわかっている。

 だから、私は勝手に話を始めることにした。


「いくつか話を仕入れてきたわ。まずは、黒服の人たちについて」


「ゲホッ、ゴホゴホ……」


「だ、大丈夫?」


 ケーキ連合軍の反撃がクリーンヒットしたらしいフォスターは、慌ててアイスティーの援軍を要請して体勢を立て直す。


「ま、まぁ、なんとかな。いやー、あまりに美味しくてつい我を忘れてもうたわ。こういうの、医者の無用心っていうんやろ?」


 失敗失敗などと言いながら、またケーキに向かい始める。


「それを言うなら、医者の不養生よ。あのね、人の話聞いてるの?」


「うん? ちゃんと聞いとるけど?」


「……そう、ならいいけど」


 この人はこういう人なんだと諦めるしかない。真面目に相手をしていたら疲れるだけだ。


「あとは、槻那見町でオオカミを見かけたって話ぐらいかしら?」


「……オオカミ、な」


 フォークの動きが止まった。


「なに? 興味をそそられたの?」


「嬢ちゃんこそどう思うんや? その目撃されたオオカミは本当にいると思うか?」


「私は………………わからないわ」


「さよか」


「気になる言い方ね。もしかしたら、フォスターの探しているのはオオカミにまつわることなの?」


「どうしてそう思うん?」


「さあ、どうしてかしら? 当ててみたらどう?」


「ふむ」


 マロンケーキ――栗の甘味がしっかりと生きている最高の逸品――を口に含みながらフォスターは考え込んだ。


「それはやな、嬢ちゃん自身がオオカミに興味があるからや」


「な――」


「違うか?」


 じっとフォスターの青い瞳をにらみつける。


「……たぶん、違わない」


「やろ」


 晴れやかに笑う。


「ニホンオオカミは、オオカミという種族の中でももっとも小型な種類だったようやな。まぁ、詳しいことは記録がほとんど残ってないからようわからんのが真実やろ。形状についてはシェパードとよう似とったという話やから、このあたりで見かけたのも見間違いでもしたんやないか?」


「あら? フォスターはニホンオオカミ生存説に否定的な意見なのね」


「そらな。2000年にそれらしき個体が写真に収められて、研究家からニホンオオカミと思わざるを得ないというコメントが出たそうやけど、どうやろう? うちは違うと思うけどな」


「貴方って、ロマンがないのね」


 思わず、ため息がもれた。


「間違えたらあかんで。うちはあくまでも人間の立場におって、その位置から物事を見てるわけや。江戸末期から明治初期にかけて、オオカミが害獣として存在をしておったのやったら狩られても仕方ないやろ? その結果滅びたのであれば、それを受け入れるしかないやん」


「ホント、見事なまでに人間のスタンスに立ってるわ。おまけに独善的ときてるから最高ね。

 結果論になるけど、オオカミが滅びて日本の森林における生態系のバランスが崩れたことは当然知っているんでしょう?」


 自分でも正しいとわかっているのに、フォスターの言う内容を受け入れることができない。


「勿論や。ただ嬢ちゃんも承知している通り、それはあくまでも結果論にすぎへん。ニホンオオカミが滅びたんわ、必然や」


「いいえ、人間の罪よ」


 フォスターはにやりと笑う。


「こない熱くなるなんて、嬢ちゃんはよっぽどオオカミのことが好きなんやろな。けどな、うちの国におるオオカミなんて、でっかくておっかないだけなんやで? ほら、童話なんかにもよく出てくるんやけど、そういうのは嬢ちゃんも知っとるやろ?」


 フォスターがどこの国の出身なのかわからない。仮に西欧だとしたら、ヨーロッパやシベリアを中心に生息しているタイリクオオカミをイメージしているのだろう。彼らはニホンオオカミに比べるとかなり大柄だ。

 グレイウルフとも呼ばれるタイリクオオカミは、大型の草食動物が主食となる。それに、家畜を襲うこともあるから、フォスターの言うこともわからないではない。


「日本のオオカミはね、神様なのよ。オオカミは大神に通じる。神聖な動物として、長い間、敬い、奉られてきた存在なの。

 それを、人間の都合だけで神様から獣におとしめて、挙句の果てに絶滅させたなんて嫌な話だわ」


 それではオオカミたちは救われない。


「でもな、仮に現代にニホンオオカミが生きとったとして、それは本当に幸せなんやろうか? 捕獲されたオオカミはどこへ連れて行かれると思う? まさか、そのまま生活させてもらえるとは思ってへんやろ?」


「それは……そうだけど」


 おそらく、トキのときと同じように保護されることになるだろう。

 実験動物のように扱われ、いずれ死に絶える。

 そもそも、つがいではなければ子孫を残すことはできない。それに、種族として最低必要な数がいなければいずれ滅びることになる。


「なら、オオカミは出てくるべきやない。このまま人の目につかんところで生きていくほうがお互いのためやと思うけどな」


 だから多分、フォスターの言っていることは正しい。理性ではわかる。けど、感情がそれを受け入れることができない。


「じゃあ、虎みたいに大きな生き物や、ゴリラみたいな生き物を見かけたっていうのも見間違い? それもいないほうがいいものってことなの?」


「なんや、冷静な嬢ちゃんらしくないな、そない声を荒げたりして」


「別に、私はそんなにできた人間じゃないだけよ」


 フォスターは諦めたような顔をしている。

 失礼な。


「ま、ええわ。坊さんも筆に謝り言うしな」


 間違いを指摘してあげたほうがいいのかもしれないけど、あえて聞こえなかったフリをしておいた。


「嬢ちゃんかてわかってるんやろ? 日本にそないな大きな生物は存在せえへん。虎は動物園にしかおらへんし、ゴリラやパンダもご同様や」


 フォスターはカップを手にとった。


「そないな動物が逃げ出したなんてニュースが流れとったか? そうでなければ、この日本において虎はおらへん。ゴリラは熊を見間違えたのかもしれへんけど、このあたりではどうやろ? 嬢ちゃんはこの町でこれまで暮らしてきて、熊におうた経験はあるんか?」


「……ないわ」


 残念ながら。目撃したという話は聞いたことがあるけど、私自身についてはノーだ。


「そしたら、答えは一つしかないやろ。全部、見間違い、勘違いや。おらへんものを見たと思い込んだだけやろな。事実、後になって証言を翻した例ばかりやないか?」


「……詳しいのね。まるですでに調べ終わっているみたいな口振りだったけど」


「当たり前やん」


 フォスターが胸をそらすと、豊かなバストが強調された。


「そないな物騒な町に誰が好き好んで来なあかんねん。うちはスリルシーカーやないねんから」


 それはそうだ。

 第一、この町で暮らしている私が疑ってどうするというのだろう。

 もともと、槻那見町は安心して暮らせる町だったはずだ。だからこそ、私も一人暮らしをしているはずじゃなかったのか。


「フォスターの言い分が正しいと思うわ」


「別に、嬢ちゃんがそない凹むことはあらへんで。ちょっと興味があることやったからレンズが曇っただけのことやろ。気にすることはあらへん。誰にでも間違いはあるんやさかいな」


「……じゃあ、私のほうはこれでネタ切れ。正直、これ以上の情報はちょっと入らないわ。力になれなくて悪かったわね」


「さよか。なら契約はここまでやな。でも、嬢ちゃんはちゃんとやってくれとったと思うで。ここだけの話、大助かりやねん」


「お世辞だと思ってありがたく受け取っておくわ」


「なんやひっかかる言い方やないか。ま、ええけどな。最後やから家まで送っていこか?」


 私は首を振って答えた。


「大丈夫よ。ここはオオカミも虎も熊も出ない、安全な町だそうだからね」


「なんや、ごっつ根に持ってへんか?」


「全然」


 おまけに笑顔もつけてあげる。


「フォスターはまだこの町にいるの?」


「せやな、もうしばらくはおると思う。なんで?」


「せっかく知り合ったんだから、もしも時間があればまた会えないかなって思って。たまには息抜きしたっていいでしょ?」


「うちはええけど、嬢ちゃんは試験があるのとちゃうのん?」


「……そうだった」


「そやな。もろもろ仕事が片付いたらつきあってあげてもええで。そのときまでにデートの予定をばっちり立てといてもらえると嬉しいわ」


「じゃあ、美味しいお店を中心に組んでおくわね」


 フォスターはにっこりと微笑んだ。


「嬢ちゃん、めっちゃ好きやで」




「……あれ?」


 冷たい風に思わず自分の身体を抱きしめた。


「え? なんで?」


 とっさに自分の置かれた状況の判断がつかない。たしか、フォスターとケーキを食べて家に帰ることにして……どうしたんだっけ?


 あたりを見渡すと、公園だった。見覚えはある。でも、家からだとちょっと距離がある上に、帰宅のルートからは外れている場所だ。


「……どうして?」


 夢遊病でもあるまいし。


 まったく、これではつぐみにあわせる顔がない。こんなことを話そうものなら、無理やり自宅謹慎させられるかもしれない。


 すぐに家に帰って休むことにしよう。

 やっぱり、シャワーだけですますんじゃなくて、きちんと湯船にお湯を張ったほうが疲れが取れるのかもしれない。

 私は寒さに身をすくめながら家路をたどった。

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