第10話 9月21日 月夜の舞踏会
そこは町から少し離れた場所だった。
僕がこの町へ引っ越してきてまだ間もない頃に見つけた場所だった。だからそこは僕にとって秘密の場所で、大切な人にしか教えたことはない。
同時にここは美星ちゃんがとても大切にしている場所だった。
晴れた日に三人で来る約束をしたのに、それがこんな形になるなんて。それが少し悔しくて、少し哀しかった。
虫たちが歌う合唱の伴奏のように、さぁさぁと水の流れる音が聞こえてくる。
あたりはひんやりとしていた。かなり寒く、湿度が高い。
そこには、小さいけれど滝があった。
天上の月はどこまでも丸く、まるでその場所をスポットライトのように浮かび上がらせている。
たたずむ少女は、プリマドンナのように静かに、一人、舞台に立っている。
その舞台に、僕たちもあがる。
これは、僕たちだけで決着をつけなければならない物語なのだから。
「美星。あなたは忌なのね。そして――父さんを殺したのもあなたね」
巫女装束をまとった美空先輩は、事実を確認するように問いかける。
「はい、そうです。私は、姉様がおっしゃる忌というものになりました。父様を殺したのも私です。
私は、少し前に姉様とお兄ちゃんが人間ではないと知りました」
美星ちゃんはどこまでも穏やかな笑みを浮かべていた。それは、待ちつづけていたものが手に入る喜びの表情のように見える。
「だから私も、人間ではなくなることを望んだのです。そうすれば、あの頃のように、また三人で遊べると思いましたから。楽しかったあの日々。懐かしい、あの夏の日のように」
絡み合っていた糸がするすると解けるように、霞みがかかっていた記憶のベールが取り払われる。
あの日――あの夏の日にここで一緒に遊んだ女の子たちは、間違いなくこの二人だった。
「けれど、わたしは夜属。狩人たる人狼。人狼は狩りをするの。忌を、狩るのよ」
ゆっくりと、事象が書き換えられるように、美空先輩の右手が銀毛に覆われる。
それは爪。
忌を狩る爪だった。
そんな先輩の告白も、美星ちゃんには嬉しいものだったらしい。
美星ちゃんにとって、お姉さんである美空先輩が自分に対して興味を持ってくれるというだけで幸せなのだから。
じりと足が進められる。
獲物との距離を測るようにして、美空先輩が美星ちゃんに近づいていく。それは、絶対の間合いに相手を収め、確実に致命傷を与えるための歩み。
先輩の意図を知ってか知らずか、美星ちゃんはただ微笑んでいるだけだった。
深々と降り積もる月の光に浮かび上がった二つの影がゆっくりと間を詰めていく。
「ダメです!」
背中に声をかける。
「何を言っているの、宗哉くん。あれは忌。わたしたちの狩るべきものよ。忌は人を食らう。夜属は忌を狩る。そう、教えたでしょう」
振り返りもせずに、冷めた声できっぱりと言う。
「でも、あれは美星ちゃんです。貴方の妹です。大切な、ずっとずっと護ろうとしてきたたった一人の妹なんですよ」
「わかっているわ。でも――忌であることにはかわりない。忌は狩る。それが、夜属の、〈銀〉としての使命なのよ」
氷柱のような冷たさを秘めた声が滝の音と共に周囲に染み渡る。
先輩の言葉を聞いても、美星ちゃんはただ微笑んでいるだけだった。まるで殺してくださいと言わんばかりに両手をやや広げて、先輩を――お姉さんを迎え入れるように。
二人の、声にならない声が聴こえてくる。
世界を覆い尽くすかのように、二人の互いを思う気持ちが満ちていく。
それは――
喜悦であり、
疼痛であり、
絶望であり、
歓喜であり、
悲哀であり、
希望であった。
二人の気持ちが聴こえてくる。
蒼い月明かりのもと、渦巻く音色は絶妙の調和を見せる。
世界に音が満ちていく。
僕は――
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