第5話 9月17日 友の正体
一人、町を歩く。
目的なんてものはない、ただ歩くだけ。
午後の授業を放り出して学校を後にした。
教室で黛を前にして、どうすることができただろう。
問い詰める?
問答無用で殴りつける?
それとも、ただ泣いていただろうか。
先輩は黛のことについて何も言わなかった。
知らせる必要はないと判断をしたのだろうか。それとも、それを僕が知ることにためらいを覚えているのだろうか。
そんな先輩の意図が読めなくて、僕も先輩に聞くことはしなかった。
眼に差し込んでくる太陽の光は弱い。徐々に昼の時間が短くなってきているとはいえ、この時間はまだ夕方だ。
世界が赤く染まる時間――それは黄昏刻。
嫌な現実を振り払うために、僕は以前見た幻想のことを考えた。
――黄昏刻の少女。
偶然目撃し、追いかけて見失った彼女のことを、僕はどこかで見たことがあるような気がした。
揺れる髪、華奢な身体、落ち着いたデザインの洋服、たなびくスカート……。
頭の中で、部分部分は正確に再現できるのに、それを全体として見ようとすると、途端に輪郭がぼやけてしまう。
「――――――っ!」
何をするわけでもなく、ただ歩く僕の遥か前方。
いつしか見た――笑っている――少女がこっちを見つめていた。
その華奢な身体にはやはり、黄昏の色をした服をまとっている。
何故、また彼女が……?
鼓動が聞こえる。
テンポを上げて、体中の血液を沸騰させていく。
両足は動きを早め、少女を追って自然と駆け出していた。
少女は僕が走り出すのを見ると、ゆったりと流れるような動きで遠くなっていく。
僕は少女を目指し、少女のみを視界に捉え、少女だけを追う。頭は混乱したまま。
そんな僕を
それはまるで、消えたり現れたりを繰り返しているようにも見える。
乱れる息遣いの中、脳だけが冷静さを取り戻す。
追ってどうしようというのだろう。
正体を突き止める?
それによって何かが変わるとでもいうのか?
いや、何も変わりはしない。
ただ高校生たちの間に流れている噂がひとつ消えるだけのことだ。
そのことにまったく意味はないのではないか。
場所は人気のない路地裏。
ここなら大丈夫だろう。
僕は、ヒトではない姿へとその身を変える。
「グゥルル……」
息遣いが唸りになる。
「オオオォォォッッッッ!!!」
体中に激しい力と、底知れない感情が満ち溢れ、それらが咆哮となって、大気を揺るがす。
それを聞いたであろう少女が再び、角を曲がってその姿を消した。
己は遮蔽物を一気に飛び越え、音もなく少女の前へとその姿を見せつけた。
少女は足を止める、
驚いた素振りも見せないまま、幻想的な笑みを浮かべている。
いつでも闘えるよう、右手を振り上げる。
だが。
あれ……。
なん、で……?
この、少女は……。
ほら、やっぱり知っていた。
渦巻いていた感情がほどけていく。
そして、僕の中で誰かが言った。
「やあ、宗哉。手を上げるのは勘弁してもらえないかな」
その言葉に上げた右腕がだらりと下がる。すでに腕は毛に覆われていない。
それ――なんと言えばいいのかわからない。だって女の格好をしているのだから――はゆっくりと顔を上げる。
暖かな昼の世界の笑みと、冷たい夜の横顔をもったそれが、僕のことを見つめている。
何で、何でここにいるんだ?
それにこの恰好は……なんだ?
「まゆ、ず、み……?」
「そのように呼ばれることもあるね」
「そのように、って」
「言葉どおりさ。黛と呼ぶ人がいるから、あの姿は黛である。ただそれだけのことだよ」
こともなげに淡々と答える。
少女の姿をした僕の親友は、にこりと微笑む。その微笑みはどこか、遠い。
あいつはこんな笑い方はしなかったはずだ。
「……どう、して」
「ふむ、幾通りにも受け取ることのできる難しい質問だね、それは」
少し考えるように小首をかしげた。夢を見る少女のような仕草だった。
バックを飾る黄昏色と廃墟の影が、少女を幻想的な存在へと仕立て上げる。
対峙したまま、生温かい汗が背中を伝う。
「まずこちらから説明をしようか」
かつらをとると、見慣れた少年の顔があった。
「ふぅ、これで黄昏刻の少女の魔法は解けてしまったね」
ああ、それはいつもの笑顔だ。
見慣れた、僕の友人の顔。
クラスの皆から、『黛さよい』と呼ばれる少年。
幻想的な世界は現実のそれへと、姿を戻す。
聞きたいことが山ほどあった。
屋上で先輩と何を話していたのか。
なんで、そんな恰好をしているのか。
本当に黛はアンヘルなのか。
だけど、ふいに僕の口からもれた言葉は、全く別のことだった。
「―――母さんを殺したのはお前か?」
黛だったものが目を丸くする。まるでなんの話題なのかわからないと言いたげに。
同時に僕も混乱した。どうしてそんなことを聞いたのだろうか。
もしかしたら、僕の声ではないかもしれない。
しかし、ここには二人以外に誰もいない。
僕は首を傾げて、試しに今聞こえた台詞を繰り返してみた。
「母さんを殺したのはお前か?」
それを合図に、いつしか見た夢を思い出した。
それは、とても蒸し暑い、夏の日のことだった。
ひび割れ、飛び散ったガラス。その中には朱に染まった破片もかいま見える。
身体のあちこちからじんじんと悲鳴が上がり、どうしようもない痛みが熱さを伴って身体を包み込んでいた。
運転席の母さんは、まるでハンドルを抱え込むように乗り出し、だらりと手を放り出していた。
あの時、僕は何を理解していたのだろう。
とにかく痛くて、何もわからなくて、母さんにただ助けを求めた。
でも、僕をいつも守ってくれる母さんは、運転席でぴくりとも動かないで。
目に映るすべてのことを僕は、とても理不尽で納得ができず――愚かなことだけど――怒りにも似た感情を、持った。
そして薄れ行く意識の中で、ふと前を見た僕は、確かに少女を見た。
ただ、僕たちを乗せた車の前に佇む、少女を。
黄昏色の服をまとった少女を。
オレンジがかった陽光に浮かぶ華奢な少女を。
鮮やかな色彩を伴って、僕は憶えていた。
「母さんを、殺したのは……お前、か?」
三度、震えた声で問いただす。
あの日、あの時、母さんの車でひび割れた窓ガラスから見上げた世界。そこに踊っていた少女。それが――黄昏刻の少女だ。
そして、その少女は今ここにいる。
大切な人を失ったときに、最後に見た光景に映っていた。この、目の前の姿をしたものが。
それが意味することを、すぐには考えられなかった。
一体、何が、どういう、ことなん、だろうか?
ぐるぐると、繋がるはずのないものばかりが一つにまとまっていく。
戸惑いと驚嘆、その後に後悔がやってきて、最後にはやっぱり疑問へと戻って来る。
ぐるぐる、ぐるぐると。
すがりつくように目の前の少女を見ても、彼女は人形のように動くことはなかった。
そしてまた、ぐるぐる、ぐるぐると……。
世界は赤い。
その色があの時に僕の視界を染めた血の色にしか見えない。倒れそうになるのを懸命に堪えながら、何とか両足で体重を支える。
早く、夜が来て欲しい。
あんなに怖く思っていた夜の到来が、こんなに待ちきれなくなるなんて。
早く、早くきてくれ……。
そのことだけを一心に願って、鈍い動きで視線を前に向けた。
黛は何も答えない。
いつものように目を瞑って、何かを考えるようなポーズのまま微動だにしない。
僕も、もう何も話さない。
無言の二人を、訪れる闇が少しずつ覆っていく。
黛の両眼が、薄く開いた。
「―――――」
「オオオォォォッッッッ!!!」
黛の声を、獣の咆哮でかき消す。
イ ヤ ダ。
地を蹴り、力の限り跳躍する。
イヤダ。
イヤダ。
イヤダ。
両足が地に着いても、すぐさま跳躍して、その場から逃げ出した。
答えを知るのが恐くて。
このまま黛と呼んでいたはずの友人と言葉を交わすのが恐くて。
ただ逃げ出した。
ようやく始った夜の世界に、長く尾を引く寂しい遠吠えが響き渡った。
s56黄昏刻の少女――完了
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シナリオ/ 宵の小道
シナリオ補佐/ 卯月桜
白い少女[しろいしょうじょ]
真白い衣装を身にまとった少女の噂話。
斜め60度チョップ[ななめろくじゅうどちょっぷ]
調子の悪くなった電化製品に下される制裁。多くの場合、さらに調子が悪くなる。調子が悪くだけではなく、天寿を全うすることもざらだったりもする。ただし、稀に機能が蘇ることもあるのでこの行為をやめる人は少ない。ちなみに45度という説もある。
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