第5話 回想 修学旅行1
梅雨のまだ明けきっていない頃のことだった。
僕らは修学旅行のある学年だ。
今のご時世、海外への修学旅行も当たり前になっているけれど、平凡な僕らのコースはお決まりの国内旅行だった。
いや、それが悪いわけではない。機内での移動も自由にならない飛行機による旅よりも、こうして時には席を替わって楽しむことのできる電車による旅もいいものなのだから。
窓の外に広がる田畑や河川、家屋……自然や人の営みが、旅の実感とともに脳裏に焼き付いていく。
しかし、本来、学問を修めるはずであるところの旅行であるはずの修学旅行が、ただの行楽となっているのはどうしたものなのだろう?
車中でトランプをするなんて、その崇高なる理念を踏みにじっていると言っても過言ではないと思うのだけれど。
「宗哉、現実逃避なんてしていないで、貧民なんだから早くカードを寄こしてくれないかな」
窓際で外を眺めている僕の頬を、黛がつついた。こんな暇つぶしのトランプゲームに執着するなんてなんて夢のない男なんだろう。
「……黛、僕らは友達じゃないか。君はそんな友達から搾取しようっていうのか?」
「ふふ、宗哉から奪うのがいいんじゃないか」
黛がカードを僕にそっと握らせた。恐る恐るカードを見てみる。
『ハートのスリー』
黛め、覚えてろよ。
仕方なく僕は、黛の胸ポケットにカードを差し込んでやった。最強のジョーカーだ。どうだ、これで文句はないだろう。
「……宗哉、君の気持ち、確かに受け取ったよ」
胸ポケットからカードを取り出すと、黛はカードにキスをするふりをしてウィンクをした。
「二人とも、なにやらいろいろと怪しいわよ」
「委員長、この二人はいつもこんなだ」
「それはわかってるんだけどね……」
対面に座っている委員長が、江草の返答に思わずため息をついた。江草は何を今更と言った感じで、無表情を貫いている。
まったく、失礼な二人だ。
「さて、貧民であるところの宗哉くんに最初にカードを出す栄誉を与えよう。さぁ、出し給え」
「富豪であらせられる黛様の仰せの通りに……いきなり革命! ふふふ、貧民にスリーを渡したお前の失策だ。今こそこの革命をなし、我らが世界の実権を握るときなのだ!」
どうだとばかりに、スリーを4枚揃えて場に出した。僕の手札は他にも弱いカードがオンパレード。これで四連続貧民の脱出は確定だ。
「……革命返し」
「な、江草っ!」
相も変わらずのマイペースで江草が、あっさり僕の起死回生の革命をご破算にしてしまう。しかも出されたのはエースのフォーカード……凄く贅沢だ。何か怨みでもあるのでしょうか、江草さん。
「宗哉。君はやっぱり僕の支配から抜け出せないようだね」
「くぅっ。江草、こうなったらお前が黛に勝ってくれ!」
「無理だな。今のエースでもう終わった。残りは弱いカードばかりだ」
「じゃぁなんで、革命したんだよ!」
「……さぁ?」
僕の叫びはあっさりと流されてしまう。なんだかすごく虚しい。
「宗哉、諦めるんだね。君はもう僕のものさ」
「心までは支配されないからな」
「だから二人とも、そういう怪しい会話はやめておきなさいってば」
「気にするな、委員長。いつものことだ」
「江草さんは慣れ過ぎよ」
「おーい」
「昼休みの度に見せつけられれば慣れもする」
「いつもなのっ!?」
「江草っ! 誤解を招く発言はしないでくれ」
「あはははは」
「黛、そこは笑うところじゃないだろう」
「おーいっ!」
「これは委員長として、不純異性交遊の取り締まりをしないといけないのかしら」
「委員長、異性じゃないよ。僕らは同性だ」
「腕を組むな。妖しく絡むな。吐息を首筋にかけるな。人差し指で胸をなぞるな」
「しくしく、おーいっっ!」
いい加減可哀想になって声のほうを向くと、案の定そこには三輪つぐみがいた。高い身長を、ちょっと窮屈そうに屈めて肘掛けに手を付いている。
「どうした、つぐみ」
「どうしたもこうもないわよ、宗哉。どーして、あたしだけ席が離れてるのよ。しかも隣りの車両ってどーゆーことよっ!?」
いや、それはクジで決まったことだから仕方がないだろう。そもそも、クジを提案したのは、お前だぞ、つぐみ。
「綾乃ちゃんの隣だっけ?」
「うん。綾乃ちゃんってば、出発してしばらくは楽しそうに窓の外見てたんだけど、今はもう完全に寝ちゃってるんだもん」
綾乃ちゃんらしいと言うか、なんと言うか。
「で、三輪はここに座りたいのかな?」
黛がにやりと笑いながら、つぐみを見上げた。
「そう! あんたたち、もう充分楽しんだでしょ。だから席替えを要求する!」
「却下」
拳を振り上げ息巻いたつぐみに対し、黛が間髪入れず断言した。
「お、横暴よ! 黛、あんた女の子には親切にって教わらなかったの!?」
「あいにく僕は性差別撤廃主義者でね。男女の区別をつける気はないんだ」
「……やっぱり」
呟く委員長とほぼ同時に、江草も何やら納得してるし。二人が何に納得したのか予想して、げんなりとなる。
つぐみの鬼気迫る視線を、黛がすました顔で受け流していた。いや、正直言って後が怖い……。
「……あのさ、大貧民で負けた人が綾乃ちゃんの隣り行きってことでどうかな?」
僕の窮余の一言により、この座席は今まさに闘志と闘魂渦巻く四角いジャングルと化したのだった。
「あの時の宗哉は本当に弱かったね」
黛が忍び笑いをしつつ言った。
「運が悪かったんだよ。来るカード来るカード、弱いのばっかりで。せっかくの挽回の策を、誰かさんが意味もなくつぶしてくれるし」
「運も実力の内って言葉、知ってる?」
いつの間にか、つぐみと委員長が屋上に来ていたらしい。
委員長は元々真面目だし、つぐみもこういったお祭りイベントは大好きだ。ほぼ間違いなく、天川祭準備さぼり組を摘発に来たのだろう。
「大体、負けて追い出された後、僕は綾乃ちゃんの席で大変だったんだぞ」
綾乃ちゃんは僕が隣りに座っても起きもしなかった。起きないどころか、ますます眠りが深くなっていく。
その寝顔はどう考えても先生のそれではなくて、ともすれば年下にも見えてしまいそうだった。
「…………はぁ」
何度目だろう。一分に一回はため息をついている気がする。
「…………すぅすぅ。狭山くん、勉強しなさぁい」
何度目だろう。少なくとも10回以上は綾乃ちゃんの寝言を聞いている気がする。
っていうか、僕は綾乃ちゃんの夢の中では勉強をしていない生徒なのだろうか。叩き起こして問いただしてみたいところだ。
電車が揺れる度に熟睡中の綾乃ちゃんの頬が肩からずるずると落ちていく。このままいけば、そう遠くない未来、僕が綾乃ちゃんを膝枕する形になりかねなかった。
いくらなんでも、そんな姿を他の生徒や先生に見られるわけにはいかない。
生徒に見られれば瞬く間に噂が尾鰭をつけて飛び回るだろうし、先生に見られれば何か嫌な誤解を受けそうで怖い。
かと言って、綾乃ちゃんの頭を掴んで動かすのも気が引ける。これだけ幸せそうな寝顔を見ていられるというのは、なんていうかこっちまで穏やかな気持ちにさせてくれるのだし。
それとなく身体をゆすって合図を送っているのだけど効果は皆無で、むにゃむにゃと可愛らしい寝言が漏れるばかりだ。
かくして僕は、目的地に着くまで心休まることなく、電車の旅を過ごさなければならなかった。
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