第8話 8月31日 男の事情[他者視点]
公園はそこから歩いて一分も掛からない場所にあった。もともとあまり街灯の多い町でもないこともあって、公園内はかなり暗い。
ちょっとした街の公園であれば、こんな時間にはアベックがたむろしていることが多いが、この公園はそもそも人がいないようだ。
「ここらへんでいいだろう」
近くの自販機で缶ジュースを二本買ってきた男はベンチの上の埃を払うと、わたしに缶を一本渡し、座るよう勧めた。
手の中のそれを見てみると、シブいおじさんがパイプをくわえた絵の付いている缶コーヒーだった。遠慮なく勧めに従いながら、わたしも口を開く。
「それで、人造人狼がわたしに何の用?」
「ふむ、バレてるなら話は早いな」
あまり慌てた様子でもなく、男は微笑みながらわたしの隣に腰掛けた。
「お察しの通り、俺は『プロト』と呼ばれる人造人狼だ。一応、人間としての名前は
「頼み……ね。死んでくれ、とかいうパターンじゃないだろね?」
わたしの皮肉に、冴木は慌てたようにぶんぶんと首を横に振った。とても正直なリアクションをする男だ。
「とんでもない。俺はおろか、妹が全力で戦ったとしてもあんたには敵わんだろう。頼みというのはその妹に関することだ」
「その妹さんが完成体とかいう人造人狼なわけ?」
「ああ。妹……といっても、血が繋がってるわけではないが、同じ境遇にある……ということが一緒なだけだ」
何をテレている? ツッコミを入れたいところだったが、話がややこしくなるだけというのは見えていたので、とりあえずやめておく。
「俺は15歳の時にさらわれた。他にもさらわれた子供は多く、当時で32人いたが……度重なる投薬と手術に耐えて生き残ったのは、俺一人だった」
そう説明する冴木の顔は、だが得意そうではなく深い苦みを帯びていた。
「俺は自らこんな力を望んだわけじゃない。普通に暮らしていたのに、身よりがいなくて後腐れがないという、たったそれだけの理由で実験材料に選ばれてしまった。それまではアンヘルや夜属など、知りもしなかったのに」
怒りと悲しみを具象化したような口調だった。
確かにそれは同情に値することだ。人は自分ではどうしようもない状況に追い込まれることも、時としてある。だが、それが不幸かどうかは他人が決めることではない。
彼は不幸なのだろう。彼自身がそう思っているらしいから。でも、関わった事件が普通ではないというだけで、それ自体は世間にありふれた事象だ。
「……で? わたしにグチ聞かせに来たわけじゃないでしょ。そろそろ本題に入ってもらえるかな?」
「…………」
冴木はうつむいて即答しなかった。その表情は言葉の選択に迷っているようにも見えたし、決断をしかねているようにも見えた。
だが、やがて顔を上げた冴木は、まとわりつく夜の闇を振り解くかのように決然とした瞳で、まっすぐにわたしを見据えて、言った。
「あんたは、友人が自分を裏切ったとしたら、どうする?」
なるほど。わたしは相手の言いたいことを諒解した。それはわたし自身が抱いていた疑いでもあったから。
「九重が君たちの操り手だ、と?」
答えをはぐらかした反問ではあったが、冴木の言いたいことはやはりそれであったらしく、彼は重々しくうなずいた。
「表立ってではないらしいが、九重の人体に関する研究成果が人造人狼製造計画の基礎となっていたという話だ。夜属の能力を分析し、その能力を研究サンプルに導入する技術は九重の元部下である大森という男のテーマで、直接指揮をとっていたのはそいつらしい。俺と妹の人狼としての能力は、捕らえた人狼の能力をその男が不完全ながらも分析、抽出し組み込んだものと聞いている」
「それと今回の事件とはどんな関連があるの?」
「人造人狼製造計画に携わっていた研究者が、ほぼ全滅したことは聞いているか?」
わたしがうなずくと、冴木は話を続けた。
「あれ自体は俺も知らない何者かによって全滅させられたらしいが、そうでなくともアンヘル自身の手によってこの研究テーマがそうなっていた可能性はある。
結局のところ、九重はその大森のテーマに有用性を認めて、それを一定の成果として確保したいと考えているんじゃないかと思う」
言葉を切ると、冴木は缶ジュースのプルタブを開けた。一口飲んで、息を吐き出す。
「で、奴はそのテーマの生かし方を考えたようだ。それは、人造人狼の研究による一定の成果を上げさせ、それを認めさせるということ」
冴木はためらうように言葉を切った。
わたしはウェストポーチから煙草を取り出してくわえる。わたしが取り出した百円ライターに、冴木は目を向けた。
「……ジッポとかは使わないのか?」
「なくしても替えが利くからね」
わたしはそうとだけ答えて、煙草に火を点けた。
夜の闇に、オレンジ色の光が浮かび上がる。しばしの沈黙。
夜目に白い煙が空へと昇る様を見ながら、わたしは冴木が口を開くのを待つ。
それほど待つこともなく、彼は逡巡を破って口を開いた。
「九重が考えたことは、大森たちの造り上げた人造人狼――すなわち俺たちによって、A級エージェントでも敵わないレベルの夜属を、殺すか捕らえるかする、ということだった」
「それで白羽の矢が立ったのがわたし、か」
昼の人造人狼の襲撃の意味は、わたしを倒せればよし、倒せなくともわたしの戦力を測れるといったところか。
怒るでもなく、淡々とした口調でそう言ったわたしに、冴木は意外そうな目を向けた。
「怒らないのか? 悲しくないのか?」
「……なぜ?」
そう反問すると、彼はなぜか傷ついた少年のような表情をした。
「友が死んでしまえば悲しい。裏切られれば怒る」
「そだね」
わたしは思わず微笑んだ。
純真な少年のようなその言葉は、不愉快ではなかった。
怒り、悲しみ、喜び。それらの感情をストレートに表に出せるまっすぐさは、遠い昔にわたしからは失われたものではあったが。
「君は、わたしについてどこまで知っているの?」
唐突な問いに、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。本当に正直なリアクションではあったが、それはどことなく作り物めいて見えた。
「……あんたと九重が友人であること、それとあんたが『友切』と呼ばれる力ある夜属であること。それくらいだ」
「そっか」
うなずいて手にした煙草を、携帯灰皿にねじ込んでもみ消した。
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