第4話 7月18日 委員長の意外な一面

           今

           あ

           り

           し

           日

           々


           夏


「――――――――」


「何か言った、狭山君?」


 ちょうど、何冊かの本を重そうに両手で抱えた委員長が、本棚の冒険から帰ってきた。


「…………委員長は、知らないほうが良かった、なんて思ったことある?」


 手持ち無沙汰で適当に開いた本の見開きに、奇妙な絵が描かれているのを見つけた。


 痩せこけた、爛々と燃える目を持つ、犬によく似た獣の図だ。

 犬神之図と見出しがついている。

 餓えており、舌なめずりし、貪り食い、吠える。

 昔、この辺りにいたという伝承のある、獰猛で恐ろしい祟り神の姿は、まるで赤い目が炯々けいけいとこちらを見据えているような錯覚を覚えた。


「それ、犬神之図ね」


「委員長、詳しいの?」


 なんとはなしに聞いてみる。


「少しくらいなら」


 本を机に置くと、僕の隣に座る。

 小さく咳払いしてから、結構、堂に入った仕草で話をはじめた。


「加賀瀬川の上流には古くから落人の伝説がたくさんあるの。うん。

 戦に破れた一族が敵の追っ手を逃れて川を遡るけれど追い詰められ、森の獣と追っ手によってあわや全滅の瀬戸際に。けれど危ういところで不意に現れた犬に導かれ、隠れ里へ導いてもらう。

 ……そんな感じかな」


 話している委員長は、なかなかに楽しそうだ。

 普段の様子から、口数が少なくて真面目だっていう印象を一方的に持っていたけれど、意外な面を見つけてしまった。


「ふぅん。結構、月並みなお話なんだね。それで、この話のオチは?」


「そうね。こういうお話はだいたいのパターンが決まってるからそんな突飛なのはあまりないの。それに落語じゃないんだから、オチなんてありません」


 委員長は子供を叱るみたいに眉をひそめた。


 この伝説、追い詰められた落人については諸説あるらしく、


  曰く、聖徳太子一族の生き残り。

  曰く、平家の一派。

  曰く、関ヶ原に破れた豊臣方の大名の臣下。


 などなど、いろいろと入り乱れている。


 落人を救う犬神。

 時に村人に祟りなす恐るべき祟り神。

 色濃く残る伝説の数々。

 ……それも当然か。


 ――ここは……

 ――ここは昔からわたしたちの……

 ――わたしたちの土地だもの。


「…………ねぇ、狭山君」


 委員長の声で我に返った。


「ごめん、ちょっと聞いてなかった」


「その、さっきの話なんだけど……」


「犬神の――?」


「ううん…………知らないほうが良かったと思ったこと、ていう話」


「……うん」


 それっきり、どちらともなく黙り込む。


 夏の空。

 窓の外を入道雲が流れていく。

 ガラス越しに差しこむ光の欠片がきらきらとテーブルに反射して少し眩しい。時折落ちる雲の影が、ゆるやかな陰影の模様を室内に描き出していく。


「……狭山君はどう思うの?」


 声からにじみ出る、意外なほど真剣な色に僕は考える。


「それでも知らないよりはいいよ」


「そっか。私はね……」


「………………」


「………………」


「………………」


 長いのか短いのかよくわからない、お互いの顔を見合わせたままの不自然な空白の後で。


「………………あるよ」


 と、囁くように委員長が呟いた。






「わたしは狼を見た」


「ずっと昔にほろんだはずの、狼を見た」


「わたしのよく知る優しい瞳をしたけもの」


「ある夏の夜……」


「わたしを殺しにやってきた」

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